第22話 季節はめぐる

 九月になって、学校はまたにぎやかになった。

 地学の実力テストには喜瀬川きせがわ先生の予告通りヘルツシュプルング・ラッセル図の問題が出て、学年でたった二人だけ、暁美あけみとセリが「スペクトル型」の全問正解を勝ち取った。

 「とんでもない世のなかだよね」

 それで気が晴れたのだろうか。セリがあたり構わぬ大声で言う。

 セリが言っているのは、あの木星の観測会から三日後、メールが届いたからで。

 そのメールには、芝生のような地面にちょこんと座って、ちょっと謎めいた笑いを浮かべた、思いのほかかわいらしいグミ先輩の写真が添付されていたのだ。

 もちろん、オーストラリアからのメールだ。

 「こんなのだったら、地球の向こうのほうに行っちゃっても、あんまり変わんないじゃない」

 「そうかな」

 そこで暁美が議論の引き戻し役に回る。

 「それでも、毎日こうやって会えるかどうかって、けっこう大きいと思うな」

 「まあねー」

 セリの返事は間延びしている。

 「それで、アケビは先輩のメールに返事書いたの?」

 「うん」

 「何て?」

 「メールありがとう、オーストラリアに無事に着いたようでよかったです」

 「それから?」

 「こっちは元気です。ものすごく暑いです」

 「で?」

 「先輩も元気でがんばってください。暁美」

 「そんだけ?」

 「うん」

 「つまんないの」

 低い声で言って、唇をとがらせ、向こうを向いてみせる。

 「じゃ、セリは?」

 「まあ、似たようなものだけどね。着いたよ、写真ありがとう、ってそれだけ」

 「よけい横着おうちゃくじゃない」

 そこで暁美も唇をとがらせて言い返す。

 セリは、ふふっ、と笑い声を漏らした。

 「じゃ、いまここで二人並んで写真撮って携帯からメール送ろうよ」

 「いいけど」

 セリは、左手ですばやく暁美を抱き寄せ、右手で携帯電話を前にかざして、二人の写真を撮る。

 見せてくれた。うまく撮れている。

 セリは、携帯電話で撮っても、部室にある大きいカメラで撮っても、写真はうまいのだ。

 天文部には、天体写真を撮る道具はあるのに、ずっと天体写真を撮っていない。

 撮れる人が途絶えてしまって、技術が伝わっていないからだ。

 セリにやらせてみよう――と暁美は思う。

 「で」

 「うん?」

 「その、いいけど、の、けど、のつづき」

 「ああ」

 「なんでもない」とは言わない。

 「写真送るのはいいけど、コメントも送るんでしょ?」

 「うん」

 「何書くの?」

 「考えてなかった」

 セリが言って笑った。でも、すぐに何か思いついたらしく、何か企んでいるような顔で暁美をじっと見る。

 暁美が何か企んでいるとしたら、セリも同じなのだ。

 「で、いま何考えてるわけ?」

 「新入部員を獲得して何としてでも部の存続を図りますって森沢もりさわ暁美新部長が言ってますって、そう書く。それでいいでしょ?」

 「あ、ああ」

 セリは、もしかすると、暁美が反発すると思っていたのかも知れない。

 「そう。そうなんだよね。新入部員……。九月から、そんなのって入るかな?」

 暁美のことばに、セリは何か言おうとした。

 その二人の横を、駆け抜けていった子がいる。

 駆け抜けてから、くるるっ、と後ろを向いた。暁美に向かって手を振る。

 「暁美先輩っ! このまえはお世話になりましたっ」

 「だれ?」

 セリは、わからないらしい。

 駆け抜けていった生徒は間を置かず、つづけて言った。

 「今月は何を見るんですか?」

 「あ、観望会のこと?」

 暁美が大きい声で声を掛け返したからだろう、セリがびっくりしている。

 「今月は月。お月見の季節だから」

 「今月も行きますよ! あっ、それじゃ」

 相手は、くるんくるんくるんと、部室棟につづく道のところで無駄に体を回してから、部室棟の奥の入り口へと駆けていく。

 「じゃ、待ってるから、なずなちゃん!」

 暁美の呼びかけに、その生徒――一年生の高科たかしななずなは、もういちど、くるんと回って手を挙げてから、部室棟に入って行った。

 「ああ、漫研の子か。あの筆圧弱いとか言われてた」

 セリがようやく思い出したらしい。

 「さては、あれを漫研からさらおうって魂胆こんたんだな」

 「さらうなんて、人聞き悪い」

 暁美が抗議する。

 「兼部してもらえばそれで十分だから」

 「暁美は、漫研の子を天文部にさらおうとしています。それではお元気で。送信――と」

 「あーっ」

 暁美が手を伸ばすより早く、セリはボタンを押してメールを送信してしまった。

 「もーうっ!」

 暁美がふくれる。セリが「かかかっ」と声を立てて笑った。

 「だいじょうぶだって。わたし、そんな速くメール打てないもの。だから、写真を送っただけ」

 ――オーストラリアまで。

 「なあんだ」

 暁美がつまらなそうに言う。

 しかし、だとすると、グミ先輩は何の説明もない写真だけのメッセージを赤道の向こうから送られたことになる。

 あとで説明のメールを送っておいたほうがいいな、と暁美は思う。

 セリが言った。

 「それにしてもさ、いまのアケビの身のこなし、速かったね。アケビじゃないみたいだった」

 「天文観測は体力だから」

 答えになっているのかどうかわからない。暁美は、活発ですばしこいセリより少し前に出て、なずなのあとを追うように部室棟に向かった。

 遠い雷鳴が聞こえてきた。空の色は暗い灰色に変わりつつある。

 日本のこの街では、夏が終わり、雨の季節がやってきている。

 でも、その季節が早く来て、早く終わって、そして、次の観望会の夜に晴れてくれればいいと思う。

 月について、何を話そうか。

 暁美は、空気中の湿り気が去って、月も星もきれいに輝く秋の夜空へと、しばらくその思いをせたのだった。


(終わり)

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