第12話 暁美のたいせつなひと
「あっ、だめっ! やめてっ!」
と叫ぶ。
立ち上がって奪い返そうとした。
足に力が入らなかった。立てない。でもセリの手首をつかむことはできた。
セリもそんなに強く握ってはいなかった。
ぱさっ、と床に落ちる。
落ちたのは暁美の定期入れだった。そして、その定期入れからは――。
床に落ちた拍子に、二つ折りになった定期入れが開いて、ちょうどのサイズに切った写真が見えている。
写っているのは――。
グミ先輩と暁美だった。
手を伸ばそうとして、暁美はセリの顔を見上げた。
暁美の動きが止まる。
「三月」
セリが、
「三月さ、三人で東京の国立天文台に行って、帰りに近くの川のところを散歩した。桜が咲いてきれいだったからってさ。それで、始業式のあと、そのときの写真をプリントして部室に持って行った」
「……」
暁美はうなずいて、そのまま両手で顔を覆う。
涙の流れはもう止まっている。セリがつづける。
「あのときさ、グミ先輩もアケビも、あんまり写ってなかったのね。まあ天文台の写真を写したわけだからさ。あとは、大きい望遠鏡の解説のところにいた大学生さんに撮ってもらった三人の写真と、それから、あとはね、だいたい一人ずつしか写ってないんだよ。それでね、グミ先輩とアケビがいっしょに写っている写真は一枚しかなかった」
暁美は顔から手を離してセリの顔を見上げる。
セリはやっぱり暁美をにらむように見下ろしていた。
「ところが、帰りに気がついてみると、その一枚がなかったんだ。いや、べつにいいんだけどさ。パソコンでプリントしただけだから、おんなじものはいくらでもプリントできるんだから。で、そのことは忘れてたんだけど、中間試験前にいっしょに図書館行って、アケビが図書カード出そうとしたときにさ、その」
セリは、唇をすぼめて、鼻からふっと息を吐いた。
「見ちゃったんだよ、アケビがその写真を定期入れに入れてるの。しかも、ちょうどこのサイズに切ってさ。それも、桜の花が写ってたのに、その桜の花のところは切って、グミ先輩と自分のところをクローズアップしたみたいにして」
セリがその写真に手を伸ばす。いまさら防ぎ止めようとしても間に合わない。
暁美はセリの顔を見た。体も顔も、震えているのがわかる。
「か……えし……て」
細い声だけが喉から漏れた。
「返すよ」
とんとん、と指でついて、カード入れをもと通りに折り、ぐい、と暁美の前に突き出す。
もぎ取るようにして取り返し、暁美はカード入れをぎゅっと胸のところで抱いた。
そんなふうにするつもりはなかった。
セリは、どう思っただろう?
だから、暁美は、胸の間にカード入れをかばったまま、セリの顔から目を離せないでいた。
セリは、ふうっと大きく息をつくと、ベッドの、暁美のすぐ左の横にどんと腰を下ろした。
横に並ぶ。
暁美の顔は見なかった。いままでのようにすらすらとはことばをつづけない。
「つまりさ。アケビにとって、グミ先輩っていうのはさ、その、そういうふうにたいせつなひとなわけ。その、うまくいえないけど、ただたいせつだとか、ただ、先輩として好きとか、そういうのとは、その、違ってさ。もっと違った、もっとだいじな、たいせつ、だし、好き、なんだよ。その人の前で、自分が何をできるか見せる、最後のチャンスなんだよ。わたしがかわっていいわけがないじゃない。それにさ」
セリの声は少しずつ落ち着き、そして小さくなっていった。
「アケビが、わたしみたいに何も知らないんだったら、それはどう思われてもしかたないと思う。でも、アケビはよく知ってる。そして、たぶん、だけど、グミ先輩みたいに、すらすらと、みんなにわかるように説明できたらいいな、って思ってるよ、アケビ自身が、さ」
「うん……」
目からあふれずに鼻の奥に溜まった涙を押し戻すようにして、暁美は声を立てた。
「うん」なんて言うつもりはなかったのに、つられて言ってしまった。
取り消せない。セリが続ける。
「たぶん、今回で一発でグミ先輩みたいにすらすらと説明できるようには、やっぱりなれないと思う。でもさ、なんていうんだろう、アケビがそういう方向に向かってます、っていうところを見せたら、グミ先輩も安心すると思うよ。次、たぶん部員が二人になるから十月ってことになると思うけど、そのときはさ、アケビはきっとすらすら説明できているに違いないって思ってさ。ね?」
泣いて、カード入れを抱いて、前屈みになって、そして今度こそ長い髪をすだれのようにして顔をのぞかれないように守っている暁美が、その髪を左手で上げて見ると、セリは暁美よりも前屈みになって、暁美のほうを見上げて、笑っていた。
無理に笑っているようにも見える。声は優しい。
「だから、がんばろうよ。まだ十日はあるんだからさ。まずアケビが原稿書いて、わたしがそれにツッコミみたいなのを入れて、それでわからないことが出てくると思うからさ、それ、一個ずつ、調べていこう」
「それで……うまく行くかな?」
声はだいぶ普通に戻っている。セリが安心したように息をついたのがわかった。
「百パーセントとはいかないとしても、五十パーセントぐらいは、必ず。だから、最初の百パーセントを高い目標にしておけばいいんだ」
「うん」
ほんとうにそうかは暁美にはわからない。
でも、これ以上、セリの気分を荒らすようなことはしたくなかった。
――自分の妹みたいなセリの気分を。
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