第11話 観望会の予行演習

 さっそく予行演習ということになった。

 「あ、えっ、あっ……。今日……今日は、来てくださってありがとうございます。今日は木星を見るわけですが、えっと、あ、木星というのは、えっと、ご存じのとおり、太陽系の五番めの惑星で、太陽系のなかでいちばん大きい惑星としても知られています……って、こんなので、どう?」

 暁美あけみが、図鑑から写した木星の図の横に立って、説明してみた。

 きいているのは、ベッドの上にどんと腰を下ろして、手で足首を握っているセリだ。女の子のくせにお行儀が悪い。

 そのセリが言う。

 「えっとさ、そのさぁ」

 出だしは遠慮がちそうだ。でも、こういうときこそ、セリは無遠慮にきついことを言う。

 「今日は木星を、っていうのはさ、今夜は、のほうがいいかな。ま、どっちでもいいか。あとさ、太陽系の五番めの惑星って知らない人もいると思うよ。だから、ご存じのとおり、はいらないんじゃない?」

 「そうかな?」

 「わたし、知らなかったもん。あ、もちろんいまは知ってるけど。でも、えっと、木星の内側って、何だっけ? 金星だっけ?」

 「セリちゃん、わざとまちがえてない?」

 「ぜんぜん」

 セリはけろっとして言う。

 どうして「系外惑星」なんていう難しいことばを知っている人が惑星の並び順も知らないのだろう?

 「木星の内側は火星なんだけど」

 「ああ、そうか。でもさ、なんで火曜日と木曜日って離れてるんだろう? まあ、いいや」

 そんなことを言いながら、観望会の説明はセリのほうがうまくやるのだ。

 「えっと、木星というのは、軌道半径が五・二天文単位で」

 「天文単位っていわれてもわかんないって、地学勉強してないと」

 そして、照れ笑いもせずに言う。

 「わたしだって、わかんない」

 セリがわからないのは予想の範囲内だけど。

 「じゃ、えっと、それは、一億五千万キロの五・二倍だから……」

 「そんなんより、太陽から、地球よりも五倍とちょっと遠いところを回ってます、のほうがいいんじゃないの? そのほうがイメージ湧くと思うな」

 知ってるんじゃないか! セリは。

 太陽と地球の距離を「天文単位」といって、その倍を二天文単位、三倍を三天文単位、というように言う。太陽と地球の距離はだいたい一億五千万キロなので、暁美はそれをキロに換算しようとしたのだけど。

 でも、セリの言うように、「地球よりも何倍遠い」と言ったほうが、イメージしやすいだろう。

 「えっと、じゃあ、地球よりも五倍とちょっと遠いところを回っていて、えっと、直径が地球の十一倍という、大きな惑星です。ほぼ十二年で軌道を一周するので、中国では歳の星と書いて歳星さいせいと呼ばれたりしました。それで」

 「なんで十二年だと歳の星になるわけ?」

 「あ、えっと……えっとぉ……。セリちゃん、なんでだっけ?」

 「いや、わたしにきかれてもわからないんだけどさぁ。まあいいや。あとで調べよ。で?」

 「あの、えっと、えっと」

 「中国では歳星で?」

 「あ。英語ではジュピターと言います。これは、ギリシア神話の最高神の名まえで、木星が明るく堂々と輝いているところからついた名まえです」

 「ん? あ、ふと思いついちゃった。いい?」

 「……うん」

 「じゃあさ、なんで日本語で木星って言うの?」

 「えぇっ? あの、それはっ、……それは、それはっ」

 グミ先輩ならどう答えるだろう?

 先輩は答えを知っているだろうか?

 いや、先輩に頼ってはいけない。

 このままでは、先輩の最後の観望会でも先輩に説明を助けてもらうことになってしまう。

 それでも先輩の印象には残るだろう。

 最後まで――それも高校二年生にもなって、部活動で引き受けた役割もきちんと果たせなかった後輩として。

 何か、答えを見つけないと。

 「そ……それ……」

 でも、焦れば焦るほど、出てきてほしいことばは遠のいていく。

 「それは……それはっ……!」

 ふいに涙が湧いてきた。

 とても豊かな泉のように、次から次へと湧き出しては、顔を流れ下る。手で頬を覆うと、その手の甲まで涙が流れて筋を作った。

 「ああ、はいはい」

 セリはベッドから下り、自分のハンカチを出した。暁美がふと顔をそむけようとする。そのあごを握って暁美が顔を逃がさないようにする。

 頬を覆った手まで引きはがして、セリは暁美の目から流れ出た涙を拭いた。

 ぽん、ぽんとハンカチを軽く押し当てている。

 暁美の涙がセリのハンカチにみていく。

 「わたしも意地の悪いことをききすぎたよ」

 「そんなことない……そんなことない」

 ほんとに、そんなことはない。

 観測会では、もっと関係のないことをきいてくる子だっている。

 ひとが「この星雲は星が生まれている現場です」っていう話をしているのに、オリオンという猟師はどうやって死んだことになっているか、とか……。

 またそんなことをきかれると、また答えられないだろう。

 グミ先輩なら……グミ先輩なら……。

 涙は止まらなかった。

 ハンカチが離れた隙に、涙はぼとぼとと床の絨毯じゅうたんに落ちる。その音が聞こえるたびに、暁美は耳をじかに打たれたように、何が何かよくわからなくなっていく。

 「もう……いい……」

 こんなみじめな思いをするくらいならば。

 「なんだって?」

 「もう、いいよ。セリちゃん、観望会の説明、かわって」

 「はい?」

 「だって、わたし、どうやっても、グミ先輩に……人前で満足に説明もできないだめな後輩って、思われるだけ……」

 あとは声にならない。腕の表面が火照ほてって、足に力が入らなくなって――。

 セリに寄りかかりそうになる。

 セリは大きくため息をついた。

 自分に寄りかかってしまいそうな暁美の体を自分から支えてくれる。

 セリは腕を暁美の胸に当てた。

 セリが息を止め、唾を呑みこんだのが胸に伝わってくる。

 その動きで、暁美の胸がぽっとして、涙の泉がふと止まる。

 セリは、自分と体を入れ替えて、暁美の体をベッドの端に座らせた。

 暁美は座ったままうつむく。

 セリの体が離れると、涙がまた湧いて、また床の絨毯に音を立てて落ちる。

 こういうときに、長い髪が肩に引っかかって、右も左も前に回ってこない。顔の表情を隠すことができない。

 手で髪を前に回すのもわざとらしい。

 「アケビ!」

 セリのほうに顔を上げると、セリは暁美の鞄に手を伸ばしていた。

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