第4話 夏恒例の……

 だが、いきなり、近くで、どす、どん、という音がして、その思いは中断させられた。

 「何やってるの!」

 「早く!」

 ひそひそ声のつもりだろう。でも声に力がこもっていて、よく聞こえる。

 セリが立ち上がった。

 この部室棟は、それぞれの部室のドアに警報装置がついていて、夜に建物や部室に侵入しようとすると警報が鳴る。

 だが、この屋上には、壁の外側についている鉄の梯子はしごがあって、そこから上がってくることができる。建てられてから百年というこの建物に昔からついていた梯子で、火災のときの避難用に残してあるのだそうだ。避難用というだけあって、頑丈なのはいまでも保障つきだという。

 だから、屋上にならば、その梯子を不審者が上ってくる、ということもあり得る。

 セリが外をのぞいて見下ろした。

 暁美あけみも立ち上がって横に並ぶ。

 梯子からはだれも上って来ない。

 そのかわり、一階の部室の窓から外に跳び下りている。

 いま二人いる。また、一人が出てきた。それで終わりらしく、最後の一人が大きい荷物を地面に置いて窓を外から閉めている。

 廊下側の入り口には警報装置がついているのに、窓には警報装置がついていないから、こんなことをしても警報は鳴らない。

 セリから聞いた話だと、最初は窓にも警報装置をつけたのだが、すぐにはずしてしまったらしい。生徒が窓を閉め忘れたり、窓の閉めかたが不十分だったりすると、そのたびに守衛さんだけでなく警備会社にまで警報が行く。しかもこの建物は古いので、立て付けが悪く、きちんと閉めたつもりでも警報が鳴ったりする。毎晩二件とか三件とか警報が鳴り、使っていない部屋で警報装置が毎日作動したりして、それで学校が音を上げたという。

 だから、部員が窓から脱出しても警報は鳴らない。

 「夏恒例の漫研の徹夜でしょ?」

 グミ先輩が後ろからのんびりした声で言う。

 「漫研の徹夜?」

 セリが声を潜めてきいた。

 「そう。ちょうどペルセウス座群のころにやるの。わたしたちとちがって許可もらってないから、窓から出たり入ったりするわけ。だから、見ていて。柵越えして出て行くから」

 「柵越え」というのは、門以外のところで学校の周りを囲んでいる柵を乗り越えることだ。腰の高さより少し高い煉瓦れんが塀の上に鉄の柵が立っていて、高さが合わせて二メートルくらいある。スカートを穿いた乙女たちがそうかんたんに越えられる高さではない。

 それに……。

 「なんか大荷物持ってるでしょ? 昨日、徹夜で漫画描いて、部室のプリンタで印刷して、で、着替えも持って始発の電車で東京に行くんだって。東京で何かあるらしくて、始発で行かないと間に合わないって」

 「着替えまで持って、ですか?」

 「そう」

 「こんなお盆休みの時期に?」

 「そう」

 「でも、去年は見なかったですよ」

 暁美が振り向いてやはり声を小さくして言う。グミ先輩が説明した。

 「流星群みたいに、毎年、同じ日ってことはなくて、少しずれることもあるみたい。でもこの時期に必ず一回はやる。わたしは見たことないけど、冬休みにもやるみたいよ」

 「あ、ほんとだ。柵越えするつもりだ」

 漫研の三人は、一人が一個ずつの大荷物を持って、中庭の芝生を斜めに横切って走っていく。

 セリが振り向き、グミ先輩に言う。

 「それって、漫研にとっては何か大事な行事なんですよね? その、わたしたちのこの観測会みたいに」

 「ええ。もしかすると、観測会より大事な行事かも知れない」

 「じゃあ、激励しよう!」

 セリはテーブルまで戻った。流星の流れた経路を書きこむためのスケッチブックの空きページをめくる。極太のマーカーで大きく「がんばれ漫研!! 天文部」と書いた。

 あまりきれいな字ではなかったが。

 セリの字はどうも雑で、しかも男の書いた文字みたいなのだ。

 「声をかけると、あの子たちの苦労が水の泡かも」

 グミ先輩がさりげなく注意する。セリは、あっと小さく声を立て、しばらく思案した。

 「いや、気がついてくれなかったら気がついてくれないでいいですよ。わたしたちが激励してることに意味があるんです」

 けなげなことを言う。セリは、そのスケッチブックを手すりの上にぽんと置いた。

 暁美と二人、柵越えにかかっている漫研部員三人を見つめる。

 最初は三人とも気づかなかった。まず一人が柵を越え、荷物を柵越しに手渡して、あと二人が向こうに越える――というような手はずを話しているらしい。

 そのうち、いちばんこちら側にいた一人が、ふと後ろを向いた。

 そして気がついた。

 最初は、ぎくっ、として慌てて仲間に声をかけようとする。だが、すぐに、セリが持っているメッセージに気づいたらしい。

 その子はだまって手を振った。それでほかの二人も気づいた。柵を越えかけていた子と、もう一人も、暁美とセリに手を振る。短く、だったけれど。

 セリはスケッチブックを両手で持っているので手を振れない。暁美が控えめに漫研部員に手を振った。

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