ファイン・ガール

清瀬 六朗

第1話 ペルセウス座流星群の観測

 夜の空にはひと流れの雲もない。夏の空気は蒸せて、湿って、星の光はぼやっとにじんでいた。

 でも、目を凝らしていれば、今夜なら暗い四等星でも見えそうだ。

 いま、グミ先輩――山岸やまぎし恵美めぐみ先輩――は、暁美あけみの隣の簡易ベッドに仰向けになって、空を見上げている。

 いや、暁美がグミ先輩の隣の簡易ベッドで空を見ていると言ったほうがいい。

 その二人と頭を突き合わすようにして、反対側の簡易ベッドには同じ二年生の川倉かわくらセリが寝ている。

 高校生の女子三人が、夏の深夜の学校の屋上で並んで寝て、空を見上げている。

 ロマンチックというのだろうか。

 空を見上げているだけならばロマンチックかも知れない。

 流星を探している、というだけでもロマンチックかも知れない。

 でも、流星が流れるたびにもぞもぞと起き出し、セロファンをかけた赤い色の懐中電灯を灯してシャープペンシルで記録をつける。

 それは、ロマンチックとはちがう。

 だいぶ違う。

 やっていることは、ペルセウス座流星群の観測だ。

 ペルセウス座流星群は夏の流星群のなかでは明るい流れ星が多い。しかも今夜がいちばん多く流れ星が流れるという。

 でも、それはどちらでもよかった。

 暁美は深くゆっくりと息をつき、軽くまぶたを閉じた。

 グミ先輩と、セリと、三人きりで――。

 こんなに心地のよい時間がいつまで続くんだろう、と思う。

 刺すような白い光がとびこんできた。

 はっとして目を開いた。後ろからセリが肩をどんと叩く。

 「あ、えっと。わし座の、アルタイルの南のへんから、いて座ぐらいの方向、〇等、痕なし、あ、えっと、一二時三七分」

 「よくできました」

 頭の後ろでセリが言う。

 わかってなんかいないくせに、と暁美は思う。

 暁美は、うつむけになると、赤い電灯をつけ、いま言ったことを表に書きとめた。

 スケッチブックに貼った拡大コピーの星図にも流星が流れた経路を書きこむ。

 光り始めた場所から、光が消えた場所まで、思い出しながら線を引く。

 上半身を起こして髪を引っ張り上げ、髪を頭の後ろで整える。その長い髪を背中で踏むようにしてそっと背を下ろし、厚めのタオルケットを肩のところまで引き上げた。

 その肌ざわりが気もちよく、このまますっと眠ってしまいそうだ。

 「寝るなよ」

 セリが頭の後ろで言う。

 でもそのセリの声がすでに眠そうだ。

 グミ先輩が

「べつに寝てもいいのよ。ある時間だけデータがなかったからって、観測の値打ちが下がるわけじゃないから」

と言う。

 ふんわりと、やわらかい声で。

 自分のまぶたが眠そうに垂れ、涙が目の縁に溜まってきているのがわかる。

 夜更かししてはいけないと思うと眠れないのに、どうして明日の朝まで寝てはいけないと思うとこう眠くなってくるのだろう。

 セリも同じらしかった。

 「あぁあぁあーっ!」

 悲鳴かと思うような無遠慮な声を立てて大きなあくびをする。

 「こういうときって、出ないものですかね、目の覚めるような大っきい火球かきゅうとか」

 「火球」というのは、ほかの星と較べて飛び抜けて明るい流星のことだ。

 「それはいつかは出るものだけど、出たときに目が覚めてないと意味がないよね」

 グミ先輩が応える。暁美がわざと細い声で言う。

 「出たりして。……お化けとか!」

 「だからやめてって!」

 元気で、積極的で、さっぱりしていて、見たところもボーイッシュなセリも、なぜかお化けの話や怪談が苦手らしい。

 去年のこの観測会のときはまだ前の部長さんや三年生の部員がいた。そのときには、セリが午前二時ごろの怪談話に耐えられなくなり、耳を押さえて悲鳴を上げた。掛け値なしのほんものの悲鳴だった。そしてそのあとは簡易ベッドの上で丸くなってふるえていた。観測なんてできたものではなかった。

 朝になると、今度は暁美が長い髪を簡易ベッドに絡みつかせて起きられなくなった。背が四五度ぐらいまでは上がるのだが、それ以上は起きられない。髪のつけ根が痛いのと恥ずかしいので涙をにじませながら、体を斜めにして絡みついた髪を一本ずつベッドから解いていた。

 一年生二人で先輩たちに笑いを提供してしまった。

 思い出すのもいやな思い出だったけれど、それから一年めのこの夜になってみると、それもいい思い出だ。

 今年は、三人だけだ。

 春には一年生の部員もいたのだけれど、梅雨に入る前にはみんな来なくなってしまった。

 女子校で、活動時間がほとんど夜という部活は、やはりきつい。

 いま三年生はグミ先輩一人だけだ。

 去年も、暁美が入部するまでは一年生部員――いまの二年生――はゼロだったのだ。

 暁美がふと漏らした「天文部に入りたい」ということばにグミ先輩が「嬉しい」と言ったのは、ほんとうの気もちだったのだと思う。

 暁美はグミ先輩の横顔を見た。

 この部室棟の下に灯っている水銀灯の白い明かりがいろいろなところで反射してきて、グミ先輩の横顔を浮かび上がらせている。

 頬は白かった。横になっても髪の毛は乱れず、その白くて艶のよい頬をきれいに縁取っている。

 グミ先輩は、唇を軽く閉じて、二重のまぶたが閉じないようにして、じっと上を見ている。

 眠いのだろうか。

 ちがう。グミ先輩はそうやってまじめに空を見つめているのだ。

 何のために?

 もちろん観測のために、だ。

 自分がよそ見をしていてグミ先輩の足を引っぱってはいけない。暁美も空へと目を向けた。

 でも、そのとき、ふと思った。

 「先輩、寂しそう」――と。

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