第35話 三鷹は今日も大忙し!(2)
前を菜緒さんと並んで歩いていたなずなが、ふと横を向いた。背筋を伸ばしてまじめに菜緒さんの顔をを見て言う。
「菜緒さん、ここって、いま、何をやってるんですか?」
「ここ、って?」
「だから、いままで見たのって、ここに天文台ができたころの建物とか望遠鏡とかじゃないですか。いちばん新しい、えっと、あの大きいところ」
「自動光電子午環?」
「そう。あれももう観測してないっていうし、いま、ここの天文台で観測しているのって、地面の下の、その重力波の観測機だけなんですか?」
「今日見た範囲だとそうね。あと、今日は公開してないけど、五〇センチ反射望遠鏡っていうのもあるし、あの第一赤道儀室とかアインシュタイン塔とかの役割を引き継いだ太陽観測用の望遠鏡ももっと奥にある。そういうのはいまもちゃんと働いてるから」
「でも、大きい望遠鏡は岡山とか、ハワイとかなんですよね?」
「ええ、そう」
「それはさ」
セリが身を乗り出して言った。
「さっきも菜緒さんが言ってたとおりで、ここ、空が明るいからしかたないよ。わたしたちの学校でも、空がよく晴れててもあんまり星見えないじゃない? ここって、それより都会なんだからさ」
「うん……でも」
なずなは、やっぱりちょっと納得いかないように、うつむき加減になる。
菜緒さんが歩きながら優しく言った。
「いまのこの国立天文台の三鷹はね、自分のところに大きな望遠鏡を持ってないかわりに、ほかのいろいろなところにある観測設備を指揮して、そこから入ってきた情報をまとめて、そこから何がわかるかを研究してっていう、そういう場所としての役割が大きいかな。岡山とハワイだけじゃなくて、奥州市の水沢とか」
「あ、
なずなが言う。
「何、それ?」
「あ、いや、いいです。水沢は、わたしたちの、いや、漫研の部活で行ったことあるから」
「ああ、そうなんだ」
セリはそれ以上きかなかった。
「えっと、それから、長野県の
「あ、そうなんですね」
なずなが言ったとき、なずなの携帯電話の呼び出し音が鳴った。
あたりの物音が、枯れ葉の擦れ合う音や落ち葉が風に吹かれる音ぐらいしかしないので、呼び出し音が大きく聞こえる。なずなはあわてて電話を取った。
「はい、
「なずなちゅあ~ん!」
少し離れているところにもはっきり聞こえる大きな声だ。
「なぁにをしているのかなぁ~?」
それに言いかたが異様にねちっこい。
「えっと、はい、あの、今日は天文部の部活で東京の国立天文台に……」
「早めに帰ってきて編集を手伝うって言ってなかったかな~ぁ?」
「ああ、漫研の部長だ」
暁美が小声でセリに言う。
「あの、夏に来てた?」
「うん……」
そのころはまだ「次期部長」だったけれど。
「ああ、はい、すぐ行きます。えーと、あの、三時間ぐらいかかりますけど」
「それと、きみの作品はどうなったのかなぁ~? ちゃ~んとページ
ねちねちした言いかたが続く。なずなは縮み上がっていた。
「あ、はいっ。はいっ。そ、それも描きますっ、ちゃんと描きますっ! あとちょっとなんですっ! はいっ!」
「きみの鉛筆絵の原稿は部室での画像処理がたいへんってことをちゅあ~んとにんしきしてるかな~あ?」
「あ、はいっ、すみませんっ!」
「きみは、全部のページをかんぺきに仕上げてあしたの朝に印刷所に送らないと本が落ちるという事態をちゅあ~んとにんしきしてるかなぁ~あ?」
部長はねちっこく容赦なくなずなを責め立てる。かなり怒っているらしい。
「ああ、はいっ。いますぐ行きます、行きますから、はいっ」
なずなは言って、電話をしまった。首をすくめてほかの三人を見る。
「たいへんだね、漫研は」
セリが言う。
「漫研も」ではなく「漫研は」というのは、つまり、天文部はたいへんじゃない、ということなのだろうか?
そのとおり、だけど。
「いや」
なずなが首を縮めた。
「部長が、いま、部室にいて、部員が自分の家で描いて、メールとか、ファックスとか、あと、手持ちで持ってきてビニール袋に入れて柵から投げ入れたりして送ってくる原稿を本にまとめる処理をしてるんですよ」
柵から投げ入れるのは、門は守衛さんがいて通してくれないからだろう。それにしても、メールと柵から投げ入れるのとでは、何か落差がありすぎると暁美は思う。
「わたし、自分の原稿も描いてないのに、部長の手伝いもしなきゃいけなくて、どうしよう……」
部長というのは、暁美ではなくて、漫研の部長だろう。
「漫研って部室で漫画描いたりしないの?」
困っているなずなに、セリはクールに質問した。
「あ、昔はやってたらしいんですけど、部室、あんまり広くないし、パソコンとかプリンタとかで場所取っちゃったから。だから、いまは家で描いて、部室は編集のときとか、会議とかしか使ってないんです」
なずなはけなげに答える。
「じゃあ、つまりここの三鷹の天文台とおんなじじゃない?」
セリが言う。
「いろんなところに電話かけて、指示を出して、上がってきた漫画をまとめて本にするのが漫研の部室だとしたら、やっぱりいろんなところに指示を出して、データを集めて発表するのがここの天文台の役割なんでしょ? いっしょじゃない」
「よし」
唐突に、暁美が言った。
「三鷹に行こう!」
「はあ?」
セリが声を裏返す。
「何言ってるの。いま三鷹にいて、それでこれから帰るんでしょ?」
「そうじゃなくて」
長い髪を弱い風に揺らせながら、暁美は前を見て声に力をこめた。
「漫研で忙しいときになずなちゃんの時間を使っちゃったんだ。だから、今度は、わたしたちが漫研の部室に行って、漫研の部長さんの仕事を手伝って、その時間でなずなちゃんに自分の漫画を描いてもらうことにしよう」
「あ、そうしていただけると、たすかりますっ! すごくたすかりますっ!」
背の高いなずなが、背を丸めて頭を下げる。
「えーっ?」
セリは不満そうに言った。
「帰ってから宿題もやらないといけないのに」
「セリちゃんは帰ってもいいよ。わたしは行くから」
「アケビがそんな言いかたしたら、わたし帰れないじゃない……」
「よし、決まったね」
暁美が高らかに言った。
「これから、わたしたちは漫研の部室に行って、三鷹の天文台の仕事がどんなにたいへんか、実感してみるんだ。ね、地球と木星の模型の比較でわかったでしょ、実感してみるのがたいせつだって。うん」
「うん、って……」
セリは、救いを求めるように、菜緒さんのほうを見たけれど、菜緒さんはただ笑ってそのセリを見返しただけだった。
(注)CRUSH!は岩手県奥州市で開催されている同人誌即売会です。https://cmcrush.net/
(注)50センチ公開望遠鏡では、月に2回のペースで定例観望会が開催されています。2022年1月現在、オンライン開催です。https://prc.nao.ac.jp/cgi-bin/fukyu/stargazing/entry.cgi
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