第2話

 深夜三時に腹を満たすはカップ麺、足りないから頬張る肉まん、そして喉を潤す2Lのコーラ。さて、紗枝が車で来るまで色々と準備をしなくちゃならない。ファイルの中にまとめてある個人情報盛りだくさんの書類たちを手に取った。机に広げたいが、パソコン達が邪魔で広げられないため、ドクペの箱を裏返して簡易的な机とした。


 ファイルの中身は『2014年波田洋介の記者会見の調査書』と『2021年波田洋介と周辺人物の状況』と書かれた分厚い書類、そして一本のUSBが入っていた。床に無造作に置いてあるノートパソコンに差して中に入ってあるファイルを開くと、動画ファイルが二本あった。一本目は記者会見の報道の際に流れた映像だ。映像とは言ってもテレビで流れたのはたったの一言だったはずだ。機材が壊されたとか言って、短い時間しか撮られなかったと説明されていた。


 繋は動画ファイルを開いた。本当に一言、波田洋介が話しているだけだった。


『あなた達に聞きたい。この状況で正確な情報を伝えて100%伝わるのか。絶対に伝わらない。無理でしょう。だから、取材も何も受け付けない』


 あーそう言えばそんな感じの会見だったなと、繋は15歳の頃にちらりと見た際の記憶を掘り起こす。さて、次のファイル名は―


「記者会見の裏側…ねぇ」


 再生ボタンを押すと、記者会見があったあの日に誰かが撮影していた動画が流れ始める。全くの無編集で再生された内容はテレビで報道された物とは感じ方が変わるものとなっていた。にやつきながら肉まんを頬張る。



 動画では丁度、波田がボロボロになりながら壇上で事の顛末を話していた。辺りが凄惨な状況の中に一人で佇んでいる様が、やけに静かに見える。


「波田洋介だ。今、この場で記者会見を開こうと考えていたが、何者かによって会場は見るも無残な惨状となった。ケガ人も、現行犯の逮捕者も多く発生してしまった」


 強く握られたマイクがミシミシと音を立てた。カメラマン、音声スタッフ、残った記者たちも波田に向かって走っていった。彼らは足元を見ず、懸命に会場の前に向かってくる。だが、足音も、怒号も、あらゆる喧騒が波田の放つ気迫によってかき消された。繋の耳に聞こえるのは波田の深呼吸のみ。そして、彼らに対して波田は手を向けた。


「あなた達に聞きたい。この状況で正確な情報を伝えて100%伝わるのか。絶対に伝わらない。無理でしょう。だから、日を改めて話をさせて頂きたいと思います。それまでは取材も何も受け付けない。絶対にだ。しばらくの間、待っていてください。必ずもう一度、私の言葉で全てを話す」


 会場内では依然、怒号が飛び交っていた。時折波田の視線は会場内に飛び、いつ誰かが何を起こそうとしているのかを把握しようと試みていた。誰もが自分中心で、状況からの最高の一打を目指す。その時、舞台の裾から男が飛び出して波田の頭を殴打した。金属バットを頭に振り切った音は鈍く響き、彼は何が起こったのかも分からないまま壇上に崩れ落ちた。


 もう一撃をお見舞いしようと男はバットを振り上げる。しかし、気がついた警察官の木梨が放った決死のタックルによって防ぐとともに、他の警察官と共に取り押さえた。男に手錠をかけて木梨は波田の下に駆け寄った。意識が無い。目の前にはべっとりと血痕がついたバットが転がっていた。


 すでに救急隊員は中に入ることができており、波田はすぐに搬送された。彼を殴打した男も他の警察官に連行されて、現場の立ち入りを制限し始める。会場から追い出されようとするカメラマンは録画を止めない。止めるものはいない。最後に映っていたのは倒れた波田を見ながら、呆然と立ち尽くす木梨の姿だった。



 動画ファイルを閉じて当時の状況の資料を探る。


・波田洋介は事件後、普段はあまり話さないが感情的になるとペラペラ語りだす特徴がある。数年間、人間不信に陥った。安定剤、睡眠薬が精神科から処方されており、頭部に受けた後遺症によって水が飲めない体になった。対等に話すことができるのは同じ職場の輪塚浩だけである。


「輪塚浩?あぁ、これか。これも薄っす」


・輪塚浩は妻夫木物流にて働いている。事件前、匿名掲示板で波田に対する批判の意見に染まった。何かを起こした記録は無し。



 資料を読み込む繋の家を誰かがノックした。部屋の半分以上でもあるのかというほどの防音室に閉じこもっていたために気がつくことは無かった。カチャリとドアが開き、防音室に近づいてくる。深夜にもかかわらず、他人の家なのも気にせず、苦手な虫を潰す勢いで踏みしめて防音室のドアノブに手をかけた。まさに般若の形相の人物が現れるのだ。


「おい、労基法って知ってるか?」


繋は資料を手に持ったまま、いきなり開いたドアの先を見つめた。ドアの前にはナイロン袋を携えて、ゴミを見るような目を向けている紗枝の姿があった。


「あ、どうもー資料読む?あ、それ何?もしかして、肉ま――ヴッ!」


 繋の顔面に中に何かが入ったビニール袋が衝突した。仰向けになりながら繋は匂いを感じ取る。香ばしいパン粉の匂いが彼女の鼻腔をくすぐった。


『あ、コロッケだ』



 袋の中を熱心に眺めている繋をよそに、紗枝は繋が用意していた資料に目を通した。波田洋介の記者会見、これが関係しているのか。書面での情報は少ないが、記者会見映像の完全版の危うさは考えなくてもわかる。繋は一体何を考えているのか。偽名でも偽アカウントでも何でも使ってこの動画を拡散させれば、少なからずの世間への影響は発生する。活動を止めてまで行わなければならない程の代物ではないだろう。


「う~ん、深夜に食べる揚げ物は最高だなぁ~」


 繋は紗枝の買ってきたコロッケを美味しそうに頬張っている。さながらリスのような頬の膨らませ方をして、何も知らない人が見れば可愛らしく幸せそうに食べているだけの女性だ。


「さっさと話して、あたしは運転でクタクタなの」


 肉まん蒸し器に食べかけのコロッケを放り込み、怪訝そうな顔を繋は浮かべた。そして顔は紗枝の方向ではなく、掛けているヘッドセットを向いて肘をつく。そして言葉を発する瞬間、スッと不機嫌さが消えた。紗枝は自分の背筋が伸びるのに気がつかない。


「波田洋介を復活させる」


「はぁ?」


 紗枝は先ほどの波田洋介の資料をチラ見した結果、彼が関係するとは思っていた。だが、まさか一度失墜した歌手を再起させるためだとは考えつかなかった。一瞬で理解できなかった紗枝に対し、再び怪訝とした顔つきで繋は答える。


「な、み、た、よ、う、す、けを!歌手として復活させるの!」


 やはり、なぜ?という紗枝の頭に浮かんだ疑問はすぐには解消されない。繋は考え込む彼女をよそにゲームコントローラーに手を伸ばした。しかし、コントローラーは目の前で取り上げられ、普段目をあまり見開かない紗枝の目が見開いていた。苦笑いを浮かべた繋はバツが悪そうにダンボールの机に戻り、とあるリストを紗枝に差し出した。


「この中の人物は彼にとって大切な人物たちだ。彼らなら私の筋書き通りに動いてくれる」


 受け取ったリストの中には、妻夫木義男、上本剛一郎、上本創吾、木梨圭斗、小口義隆、輪塚浩に関する住所や家族関係、性格などのありとあらゆる個人情報が記載されていた。リストをひらつかせて紗枝は質問した。


「今の活動をやめてまですること?」


 繋は古典的にチッチッチと指を振ったかと思えば、メインのパソコンを開いた。全部で9枚のモニターに世界中で有名なアーティスト達が映し出される。モニターに向けて手を開く。紗枝よりも繋の身長は小さいが、この時ばかりは大きく見えた。


「言ったはず。世界規模のライブを行うんだ。AR、VR、ライブ会場を用いて全世界同時開催。そして、波田洋介にはこの大舞台の最後を飾ってもらう」


「世界規模って誰が出るの」


「今、目の前に映っている人々さ!」


 全身を大きく広げてモニターの前に繋が立つと、まるで子供が描く夢物語だ。だが、紗枝からすれば実現できるように見える。馬鹿馬鹿しくも感じるが、繋の静かに燃やしている自信が見え隠れするのだ。マグマの火口のように大きな熱を放っているのに、波一つない水面の如く動かない。繋がにやりと笑えば、マネージャー兼秘書して紗枝も腹をくくるしかなかった。


「仕事は軽くして、それと臨時ボーナスも頼むから」


「ボーナスは大奮発するさ。ただ、私は波田洋介に集中する。大会の運営は紗枝に一任するから頑張ってねー」


「はぁ?」


「紗枝にしてもらう仕事はこのファイルにまとめてある。後でUSBに入れて。あ、私の名前と金はいつもの通り好きに使っていいから。それじゃあとりあえず朝飯でも食いに行きますか!!」


「おい、待て!話を聞け!」


 20歳を超えてからの体力の落ちようを忘れてきたのか、紗枝を無視して繋は勢いよく防音室を飛び出していった。足早に着替えを済ませて外に出ると太陽が昇り始めたばかりだった。秋になったばかりの、清々しい朝だった。


「いやぁー必死の思いで積み上げてきたものをきっぱり捨てたのは心地良いな!」


 人も誰もいない、街がまだ起きていないこの街に、自分の存在を知らしめるために世界を睨む。ポケットに手を突っ込むと自然と顎が上がる。そして言葉を放つ。魔法の呪文でも、鼓舞でもない。これは繋水那が行うただの挨拶だ。


「私は、何でもできる」


 日の光は、屋根に防がれて繋に届かない。まるで、繋から逃げるかのように避けていった。

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