第3話


 波田は30分ほど早く、待ち合わせ場所であるファミレスに来ていた。時刻はおよそ10時。普段仕事をしている時間帯に、人気も少なく煌々と存在感を放つ飯屋にまさか自分が来るとは思っていなかった。今日会うのは木梨と呼ばれる警察官で、記者会見の日に協力して上本さんを救った人物らしい。はて?


 彼が自分に合う理由は一体何なのか。皆目見当つかず、当時のことを思い出そうと考えを巡らすが検索結果は見つからなかった。記憶も解像度が低くなったものだな。はぁ、年もとったのか。


「流石に寒いな」


 秋が行方不明になった今年の空の下で、ただ待っておくのは錆び始めた体に来るものがあった。妻夫木の『体を労われ』という言葉を思い出し、ファミレス内で待つことにした。店内に入ると白を基調とし、所々に青と緑のアクセントが入った制服を着た女性が波田を出迎える。夜にもかかわらず、快活に話す彼女は人気が出そうだと頷いた。


「いらっしゃいませ!お一人様ですか?テーブルとカウンターどちらにしますか?」


「いや、人を待っているんだ。テーブル席を頼む。それと木梨という人が来たら波田が奥のテーブルに座っていると伝えてもらえるか?」


「はい!じゃあここに名前を書いておいてもらえますか?予約票に書いてくださればその方も気がつきやすいかと思います」


 波田は店員の提案通り、予約票に『波田』と名前を記す。


「じゃあ一番奥に座らせてもらうよ。水はいらない。おしぼりだけお願いします」


「はい!ごゆっくりどうぞ!」


 波田はコートを隣の椅子に放り投げるように置き、メニュー表を広げた。カタカナばっかりのリストに目がチカチカする。だが、店内に入ってしまった以上何かを頼まないわけには行かなかった。ピザ、グラタン、パスタ、この店のメインはヨーロッパの料理だろうが、あいにく今は腹があまり空いていない。かと言ってデザートを頼むのもいかがなものかと、唸ってしまう。


「これでいいか」


 安っぽい音が鳴る呼び出しボタンを押して店員に注文を行う。


「どれくらいかかる?」


「たぶん10分ぐらいだと思います」


「そう、ドリンクバーも頼める?」


「はい!以上で大丈夫でしょうか?」


 波田が頷くと店員はそそくさと厨房に戻っていく。制服のデザインのためにまるで脱兎のようだ。波田はテーブルに広げていたメニューを片付けて時計を見る。針は50分を指す。これは注文するタイミングを間違えてしまったかもしれないな。波田は苦笑し、席を立った。


 ドリンクバーでリンゴジュースを注ぎ終わり、後ろを振り向くと体格がしっかりした男性が入り口で予約票を眺めていた。彼が木梨だろうか。しかし、髪はオールバックで仕立てが良いスーツを着ていたため、波田の中の警察官像と一致しなかった。気のせいか。


 まぁ一応…準備はしておくか。一度注いだコップを置かなければと、テーブルに戻ることにした。一方入り口に立っていた男は店内を見渡し、波田の姿を見かけると店員と話しこんでいる。お礼を店員に告げると、男はあごを引いて背筋をピンと伸ばして店の一番奥に歩みを進めた。



「波田さんですか?」


「えぇ」


 乾燥に耐えられずストローでジュースを啜っていた波田に、オールバックの男性は旧友に話しかけるかの様相で挨拶をした。波田はコップを離さずに椅子に深くもたれかかる。


「木梨と申します。今日はお時間を頂き誠にありがとうございます。座っても大丈夫でしょうか」


「どうぞ」


 木梨は着てあったコートを波田とは違い、丁寧に隣の椅子に掛けて座った。彼は着ていた背広をビシッと整え、波田の瞳を時と見つめたかと思うと机に腕を置いて前のめりになった。しかし、何かを話そうとする彼はジュースを飲んでいる波田に止められた。


「木梨さん。早速ですが、なぜ自分と話したいと?」


 少しニカッとし、木梨はネクタイを締めなおした。


「僕のことを覚えていませんか?僕は7年前の記者会見の日のことは、強く脳裏に刻み込まれていますよ」


 木梨の表情は…見たくなかった。薄汚い仮面を被っているのか。取り繕っていることが丸わかりだった。こいつは嫌いだ。波田は力強くコップを置き、椅子に掛けてあったコートを手に取った。


「その件か…だったら俺に話せることはない。折角段取りを立てたみたいだが、無駄足にさせてしまったようだ。俺は帰る。もうすぐ注文の商品が運ばれてくる。奢りだ。食べていってくれ」


 微動だにしないまま、木梨は引きとめる。ため息にも似た何かが、口からこぼれ出た。


「記憶で引っ掛かっていることがある。違いますか?」


 コートを掴んだ波田は再びコートを椅子に戻す。


「木梨さん。これは言っておく。あんたが今放っている雰囲気は警察官のそれじゃない」


「では一体どんな雰囲気ですか?」


「胡散臭い詐欺師と同じ匂いだ。俺は嫌いだ」


 木梨はゆっくりと目を瞑り、眉間にしわを寄せながらファミレスの外を見た。波田も彼につられて外を見てしまう。


「もう花粉症の季節ですか?僕の匂いは詐欺師とは若干種類が違う。ただ根本的には同じかもしれないので間違われたのでしょうか。今の僕はメンタリスト。警察官時代とは異なりますが、人々の幸せを守ることには変わりありませんよ」


 あぁ、本当に気に食わない。ふざけやがって。


「俺の記憶でもいじるつもりか?なんのために」


「別に僕はそんなことはしませんよ。メンタリストがそんなことをしては商売上の建前が崩れる」


 波田は自身の頬が緩むのを抑えられなかった。気を取り直すようにジュースを口に向かい入れて投げるように机上を滑らせた。


「嘘つけ。さっきから催眠術に落としやすいように色々としているだろ?素質はあるようだが、まだ粗が多い。俺を催眠術に落としたいのならもっと腕を磨いてきて欲しいものだ」


「ははは!」


 乾いた笑い声が聞こえたかと思うと、木梨の目が子供のような輝きを放ちだす。さらに口をぽっかり開けてしばらく何かの余韻を堪能する木梨の姿に対し、波田の目は釘付けとなった。ファミレスではない異様な雰囲気に、互いは目線を外せない。


 何度か頷き、再び波田との視線が合わさる。すでに木梨に纏わりついていた胡散臭い空気は消え去っていた。


「…本当にあなたは波田洋介だ」


「え?」


 波田はメンタリストを自称する若造に注意をしたつもりだった。そりゃ自信過剰になったら様々に飲み込まれてしまうことに繋がる。しかし、奥底にある興奮を隠しきれない木梨の姿があった。これは自販機で飲み物を買うつもりが違う商品が出てきた時の驚きと似た気持ちだな。しかし、まだこの若造は足らないようだ。


「やはり、あなたは変わっていない。アーティストとしても一流でしたが、俳優としても一線を戦い、たぐいまれなる努力で実力を培ってきた。僕はあなたがどのようにして役作りを行っていたのかも知っています。役作りをする上で知識が必要なら専門家レベルまで勉強し、可能ならプロからの体験を経て自らの力としている。メンタリストについては催眠術師の役割を演じる際に勉強もされたんですよね」


 急に早口で木梨はまくし立てた。もう、波田洋介への憧れを隠しきれない。何なんだ、この熱量は。並々ならぬ語りように波田はあっけにとられ、木梨につい指をさして聞いてしまう。


「え、じゃあもしかして全部演技?」


「そうです。波田洋介なら中途半端なことは気がつくから仕掛けてしまおう!と伝えられていたのです。なので僕、木梨 圭斗きなし けいとは今も現役の警察官です。一人のファンとして最高のやり取りでした!握手をお願いします!」


 波田は差し出された手を握り、あっけにとられながらも木梨の肩を叩いた。すっかり木梨の演技に騙されていた自分に対して笑いが込み上げてくる。二人の間には先ほどまでの緊張感がどこへ行ったのやら、穏やかな空気が流れていた。


「ご注文のポップコーンシュリンプです!」


 ちょうど注文していたメニューが運ばれてきた。香ばしい揚げ物の香りが鼻腔をくすぐる。数年前は精神的な観点から料理の味も、ジュースの違いもわからなかった。最近になって味は感じることができるようになったのは幸運だ。美味しさは感じないが。


「ご注文は以上でよろしかったですか?」


 山盛りに盛られたポップコーンシュリンプは迫力があった。あまり脂っこいものが多いと少しきついかもしれないが、たまにはいいだろう。


「いいや、店員さん。追加でポテトとスティックサラダも頼む。あと、彼にもドリンクバーをよろしく」


「はい!」


 脱兎のごとく厨房に戻っていく彼女を二人は見つめる。木梨も同じことを思ったのか、にやけているのを隠せていなかった。


「今日はさっきの謝罪も込めて俺の奢りだ。食べながらでも話そうか」


「えぇ、こちらも試すような真似をして申し訳ありませんでした。それに積もる話が沢山あります。こちらこそお願いします」


 波田はカラリと揚げられ、弾けるようなうまみを持ったポップコーンシュリンプをつまみ上げる。話はある程度腹ごしらえをしてからだ。

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