第2話

『今日もご安全に』


 倉庫での仕事は夜に朝礼を始める。準備体操を行い、今届いている荷物を今日はどれだけ捌く必要があるのかをチームリーダーが従業員に伝える。その後は各自の持ち場に向かう。波田が配属されている場所はベルトコンベヤーの制御だ。これはつい最近導入されたものである。


 仕事はこれだけではない。フォークリフト、荷物の運び出し、それらを時間で交代して作業を回していく。この方法のおかげで集中力が途切れにくく、個人の負担が均等に近いというメリットが生まれていた。リーダーである輪塚はラインの全体を巡回し、人が足りていないところもしくは少し苦手な操作を行っている人のところへ助っ人に赴く。荷物がきちんとそろっているかの確認もしないといけないため、中々に仕事量が多いポジションでもある。板に固定したチェック表を振りながら、輪塚は作業中の波田に輪塚があることを伝えにきた。


「波田、妻夫木社長が今日の仕事が終わったら事務に来て欲しいってよ」


「わかった。伝えてくれてありがとう」


「へいへい。にしても今日は荷物が少ないなぁ」


「別にいいだろ。気を抜いて荷物の個数、数え間違えるなよ」


 輪塚は手に持っていた今日のノルマ表を確認する。昨日と比較すると、大体1.2倍ほどのスピードで作業は進んでいた。


「気はつけるけどよ、この分だと早く終わりそうだな。あ、そうだ。特に異常はないか?」


「大丈夫だ。それより8番担当の彼のところに行ってやってくれ。まだ慣れてなさそうだ」


 輪塚が8番の場所に目を向けると、どこか焦って作業を行っている新人の姿が見えた。作業にある程度の遅れは出るかもしれないが、全体的には1日分早く進んでいる。今、必要なのは正確性だった。


「そうみたいだな。ちょっと手本見せてくる。あんがとな」


「あぁ」


 輪塚の予想通り、今日の仕事は定刻通りに終わった。厳密には定刻よりも早く終わりそうだったため、輪塚が全体的な作業ペースを落としたことも一因だ。波田は輪塚に伝えられていた通り、事務所の妻夫木社長のところへと向かった。事務所内には社長室は無く、この会社では会計、電話応対などの事務員と同じ部屋で妻夫木は仕事をこなしている。波田が事務所に来ると、奥にある客人用の面会室へと事務員に案内される。しかし妻夫木は今席を外しているらしく、革製のソファに軽く座って面会室を眺めていた。


 面会室とは言ったものの、小さな事務所であるために書類を管理する棚はこの部屋に置かれてある。セキュリティがあまり良くないと波田は常々考えていた。俺がこの会社の情報を盗み出したいなら、簡単に盗み出せてしまうだろう。ただ、そんなことが起きないのは、この会社の雰囲気、社長の人の良さによるものであろう。


「待たせちまってすまんな。ちょっと私事の電話が長引いちまった」


 波田はソファから立ち、妻夫木にお辞儀をした。妻夫木はお辞儀に対し、手で制止するが自身も軽くお辞儀をしていた。


「いいよ。座ってくれ。別に堅苦しい話じゃないんだ」


「ありがとうございます」


 社長自ら淹れたお茶をテーブルに置き、妻夫木は深々とソファに座った。


「で、話なんだが。波田、有給使ってないだろ」


 何度目だろうか。妻夫木物流で働き始めた当時は上手く使えていたはずだが、ここ数年は使うことを忘れてしまってた。昨年も注意されたことが鮮明に蘇る。


「そうでしたか…またご迷惑をかけてしまって申し訳ございません」


「気にすることはねぇ。だが、お前大丈夫か?かなり余ってあるし、有給で来週土曜から水曜日ぐらいまで休んでみたらどうだ?」


 妻夫木は目の前のお茶を飲み干す。波田も倣って半分だけ飲んだ。有給の休みは世間一般的には最高の組み合わせだ。しかし、違う。波田は握っていたコップをゆっくりと置いた。


「有休を使ったことにして頂けませんか?家に戻っても特にやることが無いんです。だったら、働いていた方がいいと思うんです」


 妻夫木は大きく息を吐いた。吐いた息によってテーブルに敷かれたクロスがパタパタと揺れる。ため息に近いような息の吐き方は、妻夫木が予感していたことが当たってしまっていたことを示すには十分だった。


「本当に彼女が言っていた通りみたいだな」


 波田が妻夫木の言葉より反応するよりも前に、妻夫木は懐から二枚の紙をテーブルに置いた。紙には二人の人物の名前が、名前の隣には日時と場所が書かれてあった。


木梨きなし小口こぐち?」


「覚えてないか。この二人は7年前の記者会見の事件の時にお前と話した人物らしい。木梨は警察官。小口は救急隊員だ」


 波田は記者会見の日を思い出そうと試みたが中々思い出すことができない。むしろ考えれば考えるほど頭痛と共に記憶が遠くなっていく。頭蓋骨の裏に紙で書かれた紙を貼りつけられているようだ。つい、頭を押さえてしまった。奥底から来る何かが波田の頭痛とリンクする。しばし反応が無くなり、妻夫木は波田を覗き込んだ。


「おい、大丈夫か?」


「えぇ」


 波田は目の前にあるコップに手を伸ばした。しかし、コップは掴まれることはなく中身を吐き出してしまう。我に返ったと同時に会議室を見渡し、波田はそばにあったティッシュでテーブルを拭こうとしたが、その手を妻夫木は制止する。


「すみません。面会室を汚してしまって…」


「いや、いい。わしに少し案がある。聞いてくれないか?」


 妻夫木は手を組み、濡れたテーブルの上にどこかの司令官みたいに肘を置いた。


「この二人に会いに行ってくれ。詳しいことはわしも知らんが、この者たちは君に会いたいらしいんだ。もし依頼を受けてくれるのなら、その日はこっちで有休を使ったことにしておくよ」


 波田はテーブルを濡らしたお茶の行方を追いかける。幸いにも名前が書かれてあった紙は濡れなかったが、机を這うように進む液体はやがて波田の服も濡らした。ポタポタと一定のリズムで落ちる雫。滴る液体を眺めていると、波田は考える余裕が現れた。


「わかりました。二人に合わせて頂きます。有給の件、お願いします」


「そうか!それは良かった。じゃあよろしく頼むわ。それにしても、有休を使わない奴はこれまでにも居たが、有給の日も働かせてくれと言った野郎は波田が初めてだ!まぁ会社にとってはありがたい話だが、もう少し体を労わってくれ。お前ももう年を食ってんだ。次は老人にこんなこと言わすなよ?」


「その老人は元気すぎて、俺には言う機会が無さそうです」


「そうか!はっはっはっはっは!」


 妻夫木の笑い声は面会室の外の事務室にまで響き、事務員の人々は『社長さん、また何かいいことあったのかしら』と話していた。妻夫木につられて波田も表情が緩む。隠すようにソファに深く座り、彼は膝の上に置いた手を見つめた。

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