第3話

 つなぎは埃の匂いがする一枚の写真を持っていた。資料を整理していると隙間に落ちていたのを見つけたのだ。写真には多くの小学生たちに囲まれた波田洋介が映っており、彼は一人の少女の手の上に頭を乗せていた。少女はどこか気恥ずかしそうに黄色のギターを抱いている。それでも溢れんばかりの幸せが写真から伝わってくるせいで、繋の心にはどこか針が去っているような感触がした。見えないように、写真を奥にしまう。


「はぁ―」


 頭を回さなけらば。他のアーティスト達は個人的なやり取りもあったため、時間の調整さえすれば受け入れてくれるはずだ。問題は誰がどの順番で歌うのか。最初と最後だけは意味合いが異なってきてしまう。参加するアーティストの誰もが認めるような存在でなければ、この役割は担えない。世間体ではなく、実力だけで決めるのなら間違いなく波田洋介は最後を飾るのに相応しいと繋は考えていた。


「よし、行くか」


 準備を終え、駐車場に止めてあったバイクにまたがる。この季節だと、バイクはまだ冷えていない。けど、やがて寒空がやってくる。段々と太陽の光が短くなっていく私たちの世界は、すぐそばで来ていた。




 深夜、皆が寝静まっている時に妻夫木物流は稼働している。今、繋は妻夫木つまぶき 義男よしおに波田洋介の状況を直接聞くために、この妻夫木物流の門を叩いていた。作業場から少し離れた事務室に足を運ぶ。事務室に入ると女性の事務員の方が繋の対応を行った。


「連絡してあった繋水那です。社長さんはいらっしゃいますか?」


「あ、ごめんなさい。妻夫木さん少し席を外しているの。すぐに戻ってきますので奥の社長室に案内させていただきます」


 事務員の方は繋を子ども扱いしなかった。よく子供に間違えられるせいで酒を買う時に止められるような経験が多くあったために繋は内心嬉しかった。ソファに座って社長室を見ると、自分の部屋と似ていたために緊張よりも安心感があった。部屋の中をボーっと眺めていると恰幅の良い男性が顔を出した。そばにもう一人若い男性が付添いで入ってきた。体や精神までも鍛えたような体つきで、事前に聞かされていなければ救急隊員だとはわからないだろう。軍人の方がしっくりするぐらいだ。


「あんたが繋さんか。妻夫木だ。波田のことで相談があるのだろう?」


「自分は小口こぐちです。今日はよろしくお願いします」


 繋は丁寧にお辞儀をする。彼らとの対話に、私の欲を満たす何かはあるのだろうか。取り繕られた空気が会議室を満たしていく。


「始めまして、繋水那と申します。本日は話し合いのお時間を頂き、誠にありがとうございます」


 社長である妻夫木が会社にいるのは当然だが、小口もここに呼び出されていた。二人が比較的近い距離で住んでいたため、妻夫木が『小口も一緒に呼んでみてはどうか』と持ち掛けたのだ。波田の件で二人は以前から知り合いだったのだ。


 情報通りの空気は、やはりつまらない。しかし、繋は話を切り出すしかない。お楽しみはこれからなのだ。


「今日お二人に集まってもらったのは他でもない、波田洋介さんをサポートして頂きたいのです」


 一切表情を崩さずに繋は演じる。今自分が何を行いたいのか。自分が一体どんな情報を持っているのか。演じつつ全てをさらけ出し、二人に説明した。自分が本気であることが伝わればそれで良いのだ。ただ子供のお願いをするだけではいけない。これはビジネスだ。双方にとって何がメリットになるのかをまとめたリストを提示して、計画の緻密性やどれほどの労力が必要なのかを説明しなければならないのだ。


 妻夫木と小口はわかりやすくまとめられた資料達を眺め、繋の話を聞いていた。妻夫木は波田をどうにか何日か休ませるための方法として、この話し合いの前に手はあると言っていた。その方法を遂行してもらうのが良い。一番簡単な役割だが、失敗してはいけない。悟られないようにと念を押した。

 

 一方、小口にはこの計画の最後の仕上げを担ってもらうことにした。小口と波田がであう頃に波田の心境がどうなっているのかは、まだ予想がつかない。そのため、最後に波田の様子を見て話すか否かを選択させたかったのだ。


「自分は何も話さなくて良いのですか」


「小口さんは波田洋介が最後にサインを書いたギターの持ち主。彼は感が良いから、あなたがその高校生だったということに気がつくでしょう。音楽が好きだった高校生に自身が書いた、サイン入りのギターを持って渡す。少しひどいかもしれませんが、弾かないわけにはいかないでしょう」


 小口は納得せず、資料を見ながら唸っている。会議室が取りつかれていた空気は消え去った。やはり、正直に言うべきか。繋は小口の資料をとりあげ、目の前の豆鉄砲を喰らった鳩に対してさらに猟銃を向ける。


「あなたは、この計画でほとんど出番は無い。他の方々よりも波田洋介に対する思いが少ないのは間違いないでしょう?」


 小口は繋を睨む。凄まじい形相だが、彼女はひるまずに続ける。小口も妻夫木も顧客であって顧客でない。失うものなど無いのだ。


「協力して頂いていますが、私は小口さん、あなたを使いたい。波田洋介を引き立たせるための最高の道具として使いたいのです。バースデーケーキで例えるのなら、あなたは蠟燭に点される火だ。メインでは無い。しかし、飾らなければ意味が無いでしょう?」


 小口からすれば横暴もいいところだ。夜遅くに訪ねてきて欲しいと言われてきてみれば、お前はいらないと言われ、挙句の果てに道具として使いたいとまで抜かす。やがて、小口は怒りを通り越して呆れてしまった。笑いが込み上げて、先ほどまで睨んでいたのも馬鹿らしくなった。


「ごめんなさいね、必要以上に場を荒らしてしまって。でも綺麗ごとは嫌いなんですよ」


 何の反省も見せないまま繋は先ほどと同じように、にっこりと答えた。いつものように妻夫木は豪快に笑い、小口も腹を抱える。

再び予定のすり合わせを行った後、輪塚という人物が波田と一番仲が良いということも確認した。後は少し世間話や身の上話でもして時間を使えばよいのだが、話がまとまったかと思うと繋は席を立った。


「では、私はこれから舞台を整えます」


「随分、忙しいみたいだな」


「えぇ、初めと最後は全てをつかみ取るんですよ」


 だから、波田洋介を使う。彼に最後を飾らせる。見ておけよ。誰が何と言おうと、私はやり遂げてやる。全てを持たなければ、この世の全てに意味など無い。


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