第2章 美酒と乱舞

第1話

 妻夫木つまぶき波田なみたを呼び出す一か月ほど前。小柄な女性が複数のモニターや撮影用の機材に囲まれてゲーミングチェアに三角座りになっていた。けだるげな表情のまま、暗がりの部屋で頭の悪い光を放つPCの光を浴びて肉まんを嗜む。辛子は付けない派。


 時間だ。いつもどおり所定の操作を行えば、彼女はただの22歳、つなぎ 水那みずなからミュージシャン兼動画投稿者のmizunaに早変わりする。今日のちょっとした発表の前にも、彼女の姿は灰色の寝間着姿のままだ。しかし、一番大きなモニターには彼女が配信している時のアバターが映っていた。水色が基調のデザインで、元気はつらつな動きが人気の秘訣だ。


 アバターのmizunaは今日も快活明瞭の声で、画面の向こう側の信者たちに笑顔を振りまく。右側の画面にはコメントが凄まじい速さで流れて目で追うことなどできない。手を振ればイイネが付き、欠伸をすれば可愛いと称賛されるのだ。とても追いつけない。そんな有象無象の中から、繋は適当に選んだコメントをピックアップする。


『mizunaさん!次の新曲楽しみです!』


「ありがとー今度は結構攻めたから期待しててねー」


 感情が微塵も動かないことを悟られないように、声を作ってコメントに返答するとまたしてもコメント量が爆増した。そういえば、参加者はまだ1万人か。この状況であの発表をするのは少し足りない。もう少し待ってから話せばよいかと、mizunaは先週発売された自身のアルバムについて語りだす。


 語る内容といっても、曲自体に何を込めて作ったのかは語らない。例えばMV撮影の裏側だとか、どうでもいい自分の過去の経験だとか、ファンが勝手に連想してくれるように情報を渡す。そうすれば曲が発表されていない場合でも彼らは楽しむ時間を得ることができる。


 彼女にとって当たり前のことを話しているだけで、向こう側の人々は簡単に拍手喝采。今のだらしない姿をいきなり見せて失望させてみたいものだと、考えたこともあったがさすがに身の危険がある。頭にやってみたかったことをしまい、食べかけの肉まんを再び口に運ぶ。咀嚼音をマイクが拾ったのか、視聴者が反応した。


『何か食べてます?』


「食べてるよー何か当ててみてねー」


 コメントで様々な料理名が挙げられる。配信中に食べることのできるものは限られているのに、激しく手の凝った料理名も記載されると逆に正解と言ってしまいたくなる。並べられている料理名を見ていると、食べている肉まんでは心もとないとお腹が鳴ってしまった。


「パスタ食べたいなー誰か奢ってよ」


 ファンとの交流を行う理由には、今の市場が何を求めているのかを冷静に分析するため。スタンスを少し変えた方が良いのか、貫いた方が良いのかを整理しているのだ。どういうコメントをすれば彼らは喜ぶのか、多くのエゴサも行ってきた結果は大成功。現在のチャンネル登録者は1000万人、外国の層も大きく取り込めた結果ここまで成長することができた。毎日動画を投稿し、曲を作り、何年も何年もかけてここまでたどり着いた。だが、一つ失敗をすればたちまち瓦解する。ここはそんな世界だ。


 現在の参加者数を確認する。参加者はそろそろ10万人といったところか。これぐらいなら発表しても良いだろう。ファンとのやり取りを止めて一つ咳ばらいをした。


「では、ここで皆さんにちょっとした発表があります」


 “ちょっとした”という言葉が前に置かれることでコメント欄では、


『何々、ライブ?』

『コラボ企画とかかかな?』

『勿体ぶってないでさっさと答えろ(待ってられない)』

『新曲!新曲!新曲!』


 様々な希望的観測が流れ、これからの落差の話を全く想定していなかった。眩いばかりの反応を見てmizunaは笑いをこらえるのに必死。部屋に鼻歌が響き始め、マイクが音を拾うとコメントの民たちはさらに期待の言葉を書き込んでいった。十分に場が温まったのを確認すると相手には見えない、とても晴れやかな顔で彼女はちょっとした発表を行った。


「私、mizunaは次の動画で投稿をやめます♪」


 右画面が固まった。文字通りずっと流れていたはずのコメントの勢いが無くなって、繋は一瞬パソコンがフリーズでもしたのかと他の動作の確認をする。動作に異常はない、どうしたものかと頭を掻いた途端、固まっていた右画面の挙動が途端におかしくなった。


「皆焦ってる、おもろ」


マイクをミュートにしていたから良かったものの、口を軽く押さえて発言をした。


『ちょっとどころじゃなくて草』

『え、嘘でしょ?』

『どうせ何か考えてる』

『oh! my gosh!』


 目で拾えたコメントはそれぐらいだった。もう、笑いをこらえることができない。反応が良すぎるファンたちのことを見たまま、彼女は突き放した。


「じゃあねーお知らせも終わったことだし、今日はここで配信を止めるねー」


 主要機械たちの電源を落として、背もたれが壊れてしまいそうなほど大きく背伸びをした。己の疲れと対峙すると、肩の力がぐっと抜けた気がした。スマートフォンで各SNSを確認して、自分の話題で持ちきりになっていることを見て大きく高笑いをしていると一本の着信が入る。こいつもそりゃ驚くだろうなと思いつつ、繋は電話を取った。


「繋、どういうことだ!こんな話は聞いていないぞ、なぜ相談しなかった?」


「だって、話すと止めるでしょ?」


 通話の相手である冴野さえの 紗枝さえが唸っていることも、どこかで笑いながら繋は机の下にある肉まん蒸し器からピザまんを取りだした。


「まぁまぁ、予定も特にないでしょ?それに準備したいことがあるから休止したんだよ。紗枝にも手伝ってもらうから」


「勝手すぎるだろ。はぁ、まぁいい。で、何をするつもりなんだ」


 彼女に振り回されてきた紗枝はとっくに諦めていた。いつも繋が何を考えているのか全くわからずに置いてけぼりにされる。だが時間が経つにつれて、受け入れる方が楽だと気がついた。


 紗枝の気持ちなんて知らない。繋はピザまんの後ろについてある、グラシン紙をはがし取ろうとした。取るためには両手を使うタイプなのでスマホを机に置き、電話をスピーカーにした。全てが当たり前だ。


「盛大な祭りを行うつもり。道化に必要な舞台だよ」


 さぁ、踊ろう。部屋に椅子が開店する音が聞こる。ひとしきり回転した後、繋は再びモニターに向き合った。彼女が住むのはネットの中、ファンの誰一人でさえ彼女の素顔を知るものはいない。そして繋は熱々のピザまんを頬張る。今日も美味しさの塊が、彼女を満たしていった。

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