プロローグ後編
通行人がそそくさと、ひしめき合っている渋谷のスクランブル交差点。ひと際大きく目立つそのモニターには天気予報が流れていた。明日は全国的に快晴となるでしょう。しかし、一段と冷え込む可能性があるので、皆様もう一枚何か予備の服があるといいですね。いつもはこの後にキャスターがスタジオにいるどこかの誰かとトークをする予定だが、映像が急に切り替わった。
「天気予報の途中ですが速報です。本日、ミュージシャンの
映像が切り替わり、入場制限がされている現場が映し出される。聴衆の視線は一つのモニターに集約する。モニターには薄ピンクのコートを着た新人レポーターの月見が映し出された。どうやらレポーターの月見はホテル中には入れておらず、現場の混乱具合を伝えるだけにとどまっているようである。月に対し、現場のリーダーから指示が飛んだ。
『周辺の人に何があったか聞け』
月見は指示通り、近くにいたビニール袋に酒をぶら下げている中年男性に声をかけた。かなり寒くなってきているはずだが、男性は半袖で棒立ちしていた。
「すみません。今お時間よろしいでしょうか」
「あ、はい」
「このホテルで何があったかご存じでしょうか?」
美人のリポーターにマイクを向けられ、男性は一瞬たじろいだ。月見は誰から見ても美人だろう。彼はそんな彼女の姿の全身を一度見てから答え始める。
「え、あ、はい。自分もあまりよくわからないんですけど、なんか中で暴動が起きたみたいで、波田さんが叫んでいるのは聞こえました。けが人も多く出ているようですけど、波田さんが報道への反抗でこんなことでもしたんでしょうかね」
「お詳しいようですが、事件関係者ですか?」
「いやいや、ただ通りかかっただけですよ」
インタビューを終えた後、月見は無言のままマイクを引いた。彼女はあっけにとられたが、リーダーから慌てた様子で次の指示が入る。そして伝染した焦りが彼女の不安定な感情を増大させ、月見に初噛みを体験させる羽目となった。
『一旦スタジオに戻せ』
「現場からは以じゅうです。一旦スタジオにお返しします」
画面が切り替わる。スタジオではその日ゲストで呼ばれていた全く関係のない専門家や、いつものトークメンバーがこの事件について話し始める。最近の世間から見た波田周辺の様子は非常に悪いものであった。波田の親戚が暴行事件を起こす。メンバーの薬物所持が判明し、逮捕。所属会社の脱税。だがどれも彼には直接関係のない話だ。
波田はそこで放り出せばよかったものの、自身の発信力を過信した。自分がキチンと説明すれば周りの人物も大丈夫だろうと考えていた。それが間違いであった。表向きには人気バンドで過激なことも行っていたため、様々なフィルターを通って濾過された結果、なぜか波田の責任となる。波田や周りの人物たちも困惑したが、やがて彼の家族にも被害が出始め、今すぐに記者会見を開かなければならなかった。だが、遅すぎた。今もどこかのスタジオ内では、彼の表向きの悪評がささやかれる。
「現場に動きがあったようです。月見さん、何かわかりましたか?」
再び画面が切り替わると、ホテルの奥から波田が担架で運ばれてきた。彼は警官と救急隊員の付添いの下、救急車に運び込まれようとしていた。すでに会見は終わり、暴行と有刺鉄線で傷だらけとなった体が現場の凄惨な状況を語っている。しかし、カメラには映っていなかった。救急車がホテル入り口にくっつくように停車していたために、捉えることができなかったのだ。現場ではスタジオに戻している間にも取材が行われており、リポーターが状況を語り始める。
「はい、関係者によると会見場に様々な道具を持った人物たちが忍び込んでいたようです。彼らと記者会見に来ていた取材班が衝突し、今このような状況とのことと聞きました。ケガ人も多く、重体者もいらっしゃるようです。現場からは以上です。スタジオに戻します」
スタジオと現場のやり取りは何回か行われ、その度にせわしなく画面が切り替わる。自身と関係のないことを話し続けられ、ゲストの専門家はいら立ちを隠せない。専門家は今までの情報を整理して発言をして欲しいと求められ、心の中でため息をつきながら答えた。
「つまり、インターネット上の情報を鵜呑みにし、記者会見を潰せばよいという思想に染まった人たちが記者会見場の占拠を試みた。一方で記者会見を聞きたい記者たちは彼らと衝突し、暴力事件へと発展したということですか。いやはや、まったくもって話になりませんな。これも、あの波田という男がこれまでしてきたことの報いでしょうか」
男は椅子に深くもたれかけ、さも私が大将首を取ったのだと言わんばかりの様子でキャスターに返事を求めた。専門家は満面の笑みで、キャスターは苦笑いを浮かべている。キャスターが困っている中、専門家の意見に口を出したのは今日たまたまゲストで出演していた高校生ぐらいの若い俳優だった。
「重体者も出ているんです。不謹慎ですよ」
鋭利かつ短い言葉のナイフが専門家に刺さった。スタジオの空気はおそらく2度ほど下がっただろう。淡々と答えたその高校生は専門家とにらみ合う。さらに高校生は追い打ちをかけた。ナイフの切れ味は増して、容赦なく専門家を襲う。
「現場とスタジオのやり取りで発表された重体者は私の父でしたので、すみません。つい話してしまいました」
専門家の男は風呂上りに、氷水をバケツでぶっかけられた衝撃を受けた。しかし、一度発言してしまったものは取り消すことはできない。コンマ一秒にも満たないその判断ですぐに謝罪する。
「申し訳ない…君の御父上では無くても今の発言は失言であった。謝罪させてもらえないか」
「はい、こちらとしても出しゃばってしまいました。申し訳ございません」
解決していない。スタジオはもはや氷点下並みに温度が下がっており、誰がどうやって進行するのかが機能していなかった。そんな中、記者会見の内容が届いたとの知らせを受け、渋谷のモニターも切り替わる。
会見の様子に人々は注目した。壇上に人が乗っている。惨状が映る映像の中でも、マイクを持った彼には人々を引き付ける華があった。今ここで一曲を伝えたとしたら、誰もが彼の言葉に耳を傾けざるを得ないのだ。その男の名は波田洋介。この日本でかつて一世を風靡したバンドのリーダーだった男だ。彼の歌手人生が、今日終わる。
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