第11.5話


 妻夫木物流の面会室に輪塚は来ていた。仕事があるというのは嘘であり、波田の状況について社長に報告するために会社を訪れていたのだ。会社員なら誰でも使えるコーヒーサーバーで時間を濁しながら社長が来るのを待つ。


 夢なら醒めて欲しい。まさか自分があの波田洋介とバンドを組むことになるとは、友人であったつもりだが強い憧れも抱いていたのも事実。余韻なのか放心なのかはわからないが、天井をただ見つめていた。


「寝てんのか?」


妻夫木社長の声で我に帰る。面会室の入り口に、妻夫木社長と上本元弁護士が立っていた。座っていたソファを吹き飛ばすぐらいの勢いで輪塚は立ち、二人に頭を下げる。老人二人は全く気にせずに輪塚の前に腰を降ろして、リラックスした雰囲気を醸し出す。


「妻夫木から聞いたよ。波田君とバンドを組むことになったらしいね。君もよく頑張った。これからは自分のために生きなさい。贖罪はもうとっくに終わっているんだ。スターとバンドを組むなんて中々ないからね、せっかくだ、楽しみなさい」


 輪塚は依然、心ここにあらず。髪をかき上げて頭を抑えた。頭痛がするような気がして、上本の話が聞こえているのに聞いていないという状況だ。そんな輪塚を見かねて妻夫木が彼の背中を思いっきり叩いた。


「元は輪塚のせいじゃない。世論が悪いんだ。あの時の状況では誰もが波田のことを責めてしまってもおかしくは無い。現実はそうだ。確かにお前は人一倍、責任を感じすぎる節がある。あの事件の時、波田への誹謗中傷を特命掲示板に書き込んだことも、必要以上に悔やんでいる」


 輪塚は頷く。顔も上げずに頷き続ける。


「周りが悪いんだよ。輪塚の性格ぐらいなら周りに責任を押し付ければいい。今のお前の姿を波田に見せたって、あいつは軽蔑なんてしないぞ。それどころか世論に巻き込まれたことも今なら笑って受け入れるだろう」


「全部言ってしまいなさい。話すことができる瞬間を逃してはいけない」


 会議室に静かな時間が訪れた。二人は輪塚が話し出すのを待っている。輪塚は本心の悩みを打ち明けた。その様子は、まるで彼の体から生気が抜けていくようだった。


「事件後の波田に一番近かった人物は間違いなく俺でした。俺が励ましの言葉をかけても、あいつは良くならなかった……辛かったです。自信の罪の意識もあるでしょうが、どんな言葉を伝えたとしても、彼には仲の良い友達だから励ましてくれると捉えていたのでしょう。けど、俺以外の励ましの言葉をかけられると、どんどん良くなっていった。嬉しい反面、胸のざわめきが取れませんでした」


 輪塚は二人を見据える。いつも活気あふれている彼ではない。口をすぼめ、瞼は完全に開いているわけではなく濁った色をしていた。より老けこんで見えた姿は妻夫木と上本の二人も沈黙させる。


「これで良かったのか。社長が波田を励ますためにバンドを組むと言ってはどうかとおっしゃった時、もし成功してしまったら波田を蔑ろにしているのではないか。バンドは俺の夢でもありました。ベースを活かしたいとも思っていました。だが自分の夢に他人を巻き込んでいるのでは、そんなことをしたら波田の人生を奪うのではないか。気がかりでした」


 妻夫木は淡々と呟いた。


「好きなことを貫くのは、苦しいな。お前が後悔する気持ちはわからんでもない。掲示板に書き込んだのは、当時、輪塚も波田君に裏切られたような気がしたのだろう。だがな―」


 いつもは優しい雰囲気を出している妻夫木の目つきが変わった。


「元は輪塚が後悔している様子が見ていられなくて、バンドを提案した。長年、人と関わっていると良くわかる。相手がこれから先どれくらいのことをするのか。だからな、輪塚。波田と暴れてこい。お前たちの音楽を俺たちに聞かせろ。夢を、叶えて来い!それが輪塚の使命だ!」


 吐き出せなかった後悔、輪塚は膿のような思いを吐き出した。妻夫木たちは聞いた。彼の思いを、そして願った、彼の安寧を。


 心のつきものが取れた輪塚は、いつもの輪塚に戻っていた。彼の言葉はいつも周りを明るくさせる。彼が持つ、一番の才能だ。


「わかりました。じゃあ、一泡吹かせて来ますわ!」


「輪塚君、妻夫木と私はあんまり高い音は聞こえない可能性があるが大丈夫だろうか?」


「んー波田に聞いてください。曲はあいつが作るはずですから」


「ま、その時はその時だな!ガッハッハッハ!」


 妻夫木が豪快に笑った。輪塚は考える。波田、このことはいつか話す。今はバンド結成を喜ばせてもらう。きっと、くだらないほど楽しいバンドになるぜ。

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