第17話 些細なお願い


「私は見ての通り一人暮らしをしています。両親とは別居しているので滅多に会いません。生活費だけは必要以上に振り込まれていますが」

「…………」


 俺はどう返したらいいのか本気でわからなかった。


 本倉の口から語られているのはプライベートな部分に関わるものだから。

 相槌がないのも気にせず、本倉は独り続けていく。


「私の髪と目は、父方の祖母からの遺伝です。祖母は可愛がってくれましたが……周囲からの反応は基本的に冷たいものでした」


 詳細な部分は話さなかったものの、内容の推測くらいはできた。


 当然だが、白い髪も薄緑色の瞳も珍しいものだ。

 そして、それは注目を集める要因になりえる。

 良い意味でも、悪い意味でも。


 本倉に向いたのは悪い意味の注目だったのだろう。


 その苦しみを正しく理解することは出来ない。


 けれど、それが本倉にとって辛い過去だったのは確かだ。


「歳を重ねるにつれて、そういう感情もある程度は受け流せるようになりましたが……それでも、傷つくことに変わりはありません。だからこそ、楠木さんには聞きたい。私といて、辛い思いをさせていませんか」

「…………」


 何一つとして言葉が出なかった。


 どうしてそこで出てくるのが俺への心配なんだ。

 だが、同時に確信を得る。


 本倉は優しすぎる。

 自分ではない誰かへ、自分の身を切って優しさを向けていた。


 自己犠牲――そんな言葉が脳裏を過る。

 正確に言えば違うのかもしれないけれど、俺の頭にある辞書で真っ先に見つけたのがその言葉だった。


 誰かのことだけを考えて、自分には当然の優しさを享受する資格すらないと思っているような表情。


「――ふざけんなよ」


 それがどうしてか、無性に苛立った。

 相手が病人だということも忘れて、気づけばそう口にしていた。


 布団に隠れながらも、本倉の肩が跳ねる。

 まさか反論されると思っていなかった風に開いた、丸い緑の瞳が俺を映す。


「俺が辛い思いをしてないか? そうなら偽装交際も受け付けなかったし、美鈴に頼まれてもお見舞いなんて来ない」

「それは」

「偽装交際は義理、今日のお見舞いだって俺が来てもいいと思ったから来た。それだけだ。変な勘違いだけはしないでくれ」

「……ごめんなさい」


 神妙な声色の言葉が返ってくる。

 それからはっとして、自分が何をしたのか認識した。


 病人に説教とか何やってんだ俺。

 普通に迷惑だろ。


「ああ、いや、そんな強く言うつもりはなかった。ついヒートアップして……悪い」

「楠木さんのそれは私のためだとわかっているので。でも、もし悪いと思っているなら、一つ些細ささいなお願いを聞いてもらっていいですか」

「……内容による」


 不明瞭な内容に軽々と頷けるはずもなかった。

 本倉のことだから常識的な範囲内でのお願いだと思うものの、そうじゃなかったときのリスクを考えてのこと。


 肝心の内容を待っていると、本倉は口元まで布団を引き上げて、


「――私が寝るまで、手を握っていてくれませんか」


 ささやくような声で要求し、羞恥心が勝ったのか布団を頭までかぶってしまった。


 そんなに恥ずかしいなら始めからやめとけばいいのに……と思わないでもないけど、口に出すのははばかられた。

 手を握っていてくれ、か。

 デートのときも繋いでいたのに今更だし。


「別にいいぞ。寝るまでな」

「っ! えと……お願いします」


 布団からモグラのように顔を出して、白い手が伸びてくる。

 その手に俺の右手を重ねると、本倉の方から指を閉じた。


 直に伝わる体温は想像以上に温かく、溶けてしまいそうな熱さ。

 握る力は頼りなく、けれど離さないように包んでいる。


「……前も思いましたけど、楠木さんの手、大きいですよね」

「そうか? 男子高校生なんてこんなもんだろ」

「上手く言えませんけど、とても安心します。こうしていると……独りじゃないのかも、と感じられて」


 呟いて、本倉はそのまま瞼を閉じた。

 まるで俺が手を離すことなんて想定していないかのように、穏やかな表情で。


 ……そんな顔、俺なんかに見せるなよ。

 じくりと、胸が鈍く痛みを訴えた。


 メトロノームのように規則的な呼吸、眠気を誘う手のぬくもり。


 最後に言っていた言葉を脳内で反芻はんすうしながら、ぼんやりと寝顔を眺める。

 整った輪郭、仄かに赤く色づいた肌、ちょうの羽にも似た長い睫毛まつげ

 ふっくらとした柔らかそうな頬。

 首元まで流れる白い長髪が、同じく白いシーツに広がっていた。


「……ほんと、わかんねえや」


 ぽつりと言葉を漏らす。


 本来なら俺と本倉は接点がなく、関わりを持たないまま互いの日常を過ごしていたはずだった。

 けれど今、真逆の方向に進もうとしている。


 お礼を求められ、偽装交際をして、どういうわけか週末デートまでして、風邪を引いた本倉のお見舞いに来たかと思えば色々と世話を焼いてしまった。

 お礼だって適当に決めてしまえば、それで終わり。

 そうしなかったのは、なぜだろう。


 こんな寝顔を見せられると、悩んでいるのがバカらしくなってくる。


「寝た……のか?」


 気づけば、静かな寝息が部屋に響いていた。

 様子をうかがってみるも、本倉は目をつむったまま身じろぎ一つしない。

 声にも反応しなかったから、多分寝ている。


 ……というか、本当に寝たよ。

 そんなに時間は経ってないはずだけど。


「……これでお役御免か」


 終わってみると、一抹の寂しさが胸の内に広がった。

 約束したのはここまで。

 後はお粥を食べるのに使った食器を洗って帰るだけ。


 握られていた手を離そうとすると、しがみつくように本倉の手がついてくる。


「……ほんとは起きてるんじゃないのか?」


 苦笑しつつ再度確認するも、起きている雰囲気はない。

 代わりに閉じられたまぶたから溢れた液体が頬を伝って、枕元へ流れていくのが見えた。


 見えて、しまった。 


 これ、どうすんだよ。


 あくまで約束は約束、長居するのは良くない。


 でも、無意識だとしてもそんな姿を見てしまえば、目を逸らすことは出来なくて。

 スマホを取り出して時間を確かめると、午後六時を過ぎたくらい。


「なにやってんだか、俺は」


 理性では帰るべきだとわかっていても、感情の部分が先行していた。

 幸い今日は金曜日、明日は休みだ。

 多少帰りが遅くなっても問題ない。


 母さんに帰りが遅れる旨のメッセージを送って、少し離れた手を握り直す。


「五分だけ、それっきりだ。俺も寝そうだし」


 自戒を込めて呟いてタイマーをセット。


 再び広がった熱量に心地よさを感じつつも、五分きっかりで手を離して洗い物を済ませ、言いつけ通りに鍵を借りて施錠して、本倉の家を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る