第19話 心外です


「風邪はもういいのか?」

「はい。おかげさまでこの通り。お見舞いもありがとうございました。楠木さんが色々買ってきてくれたものが、とても助かりました」


 月曜日、放課後の図書室。

 外は細かい粒の雨が降っていて、まだ梅雨が続いていることを教えてくれる。


 週末明けの本倉はすっかり風邪から回復したようで、顔色も雪のような白色に戻っている。

 ともすれば病的な肌色ではあるけれど、これが平常運転。

 頬のほのかな赤みを見れば、血が通っている人間なのだとわかる。


「風邪、うつりませんでしたか?」

「んー……まあ、大丈夫だった」

「なんていうか……すみません」

「ほんとに大丈夫だから」


 深々と頭を下げる本倉に軽い調子で言葉を返す。

 微妙な間で何かしらの症状があったのが見透かされたのだろうか。

 とはいえくしゃみの回数が増えただけだし、誤差みたいなものだ。


 すっかり本倉と会っていることに違和感を感じなくなってきたけど、まあいい。

 なんだかんだで日常の一部になりつつある。


 これで明日から会わないってなったら逆に混乱しそうだ。


「そうだ、忘れないうちに鍵返しとく」


 お見舞いに行ったとき、施錠をするため借りていた鍵。

 ちゃんと保管していたそれを鞄から取り出して、本倉の前に置く。


 すると「その節はありがとうございました」と、鍵を受けとる。

 これで気が楽になった。

 人の家……しかも一人暮らしの異性の家の鍵を持ってるとか、もしものときを考えると心臓に悪い。


 ……というか、誰かに知られたら普通に不味いのでは?


 本倉を好きな男子に知られたら嫉妬で殺されかねない。

 いや、冗談じゃなく。


 落ちる沈黙、雨音が響くだけの空間。


「……七月もすぐなのに、梅雨はまだ明けないのか」

「例年であれば気象庁による梅雨明けの発表は七月中旬だったかと」

「そんなに遅いっけ?」

「年によってばらつきはありますから。何か気になることでも?」

「いや、涼太たちが七月七日……七夕の日にお祭りがあるって言ってたのを思い出してさ。晴れるかなーって思って」


 この辺では、毎年七月七日に夏祭りが行われる。

 最後には川沿いから花火も打ち上げる、結構大きめのお祭りだ。


 俺は毎年見に行っている。

 一緒に行く人は年によって変わるものの、家族か友人とがほとんど。


 今年は……どうしようか迷っていた。

 涼太から誘われているものの、返答はまだ保留にしている。


「お祭りですか」

「興味あるなら来るか? 涼太と美鈴なら歓迎してくれるだろうし」

「……いいんですか?」

「いいも何も、断る理由がないし。後で話しておくよ」

「いえ、それは自分で話します。いつまでも楠木さんに頼りっぱなしは良くないですから」


 それを聞いて、少しばかり驚いてしまった。


 本倉が自分から関わりを持とうとしているのが新鮮で、確実に成長しているんだろうなと感じる。

 俺たち三人に加わって昼食を取ることもあるし、なにより他の人への当たりが柔らかくなったと思う。


 事務的な対応一つとっても、前より表情が豊かに動くようになった。

 微々たる差かもしれないけれど。


「変わったよな、本倉は」

「……そうでしょうか? そうだとしたら、全部楠木さんのお陰でしょうね。定期的に話す相手がいて、コミュニケーションの練習になっているのかもしれません」

「前の本倉は週に何回話しているのを見るかってくらいだったからな。一人暮らしだし、声帯が退化しててもおかしくない」

「それは冗談と取ればいいのでしょうか?」

「自分の生活を思い返して判断をしてくれ」


 本倉の目が徐々に厳しいものに変わっていく。

 最後にはジト目で俺を見つつ、


「心外です」


 そう言葉を漏らした。

 自覚症状があるのか、あくまで目を合わせようとはしない。


「そいえば夏祭りで思い出したけど、期末考査もそろそろだな」

「ですね。自信のほどは?」

「本倉のおかげでなんとかって感じだな。ほんと感謝してる」

「まだ感謝をするには早いですよ。結果が出てからにしてください」


 正論に頷くしかない。

 最後でつまづいたら意味ないからな。


 でもまあ、こうして放課後に本倉から勉強を教えてもらっているから、成績が下がる心配は杞憂きゆうに終わりそうだ。


「なんにせよ、問題次第だな。重箱の隅をつつくようなものがなければ、成績維持くらいは望めそうだ」

「私もそうですね。対策はしますし、満点を取ろうと勉強はしますが」

「偉いな……俺もできる限りは頑張るつもりだよ。進学のためにも。なるべく親には返したいし」


 親孝行というほどたいそうなものではないけれど、少しくらい楽はさせたい。


「……私は、自分のために勉強しているので」


 本倉はどこか羨ましそうに、視線を落としながら言った。

 だけど、自分のために勉強するのは間違っているだろうか。


 あくまで勉強……知識を蓄えるのは自分の可能性を広げるためで、誰かに強制されてやることではないと思う。


「元々そういうものだろ。単にそういう結果にも繋がるってだけでさ。悪いことじゃないって」

「……そう言ってもらえると嬉しいです」


 家庭環境が複雑なのはお見舞いのときに聞いていたけれど、本人的には気にしていたのだろう。

 力なく笑う本倉を見て、話題を変えるべきだと判断した。


「そいえば買った本読んだよ。面白かったわ。特に最後の相打ちになるシーンとか、挿絵の迫力もあってよかった」

「わかります。私も何周もしましたから。続きも読みます? 読みますよね」


 本の話題を出した途端に勢いが変わる本倉を見て、苦笑しつつも乗っかるのだった。

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