第16話 嬉しかったですよ、私は
「出来たぞ」
熱い湯気が立ち上るお粥をお盆に乗せて、本倉の部屋まで運んだ。
買ってきたパックご飯を煮込み、塩コショウで適度に味をつけ、溶き卵を流し、梅干を乗せただけのお粥。
手間はかかっていないし、誰が作っても同じような味になるだろう。
本倉はベッドで横になっていたが、俺が来たのを見てゆっくりと起き上がる。
お盆をベッドサイドのテーブルに置いて、
「食べられなさそうなら薬だけ飲んで寝てもいいから」
「……これを本当に楠木さんが」
「嘘だと思うなら食べなくてもいいけど」
「いえ、そういうことではなくて……ありがたく頂きます」
ふるふると首を振って本倉が答え、木製のスプーンをお粥へ。
一口分を掬い、軽く息で冷ましてから口へ運ぶ。
「どうだ?」
作った手前、気になる味の感想を聞いてみる。
返事はすぐに返ってきた。
「……美味しい、です。沁みるような、優しい味で」
「そりゃよかった」
緩く笑んだ本倉は、続けてもう一口。
とりあえず食事の問題は解消されたとみて良さそうだ。
食事風景を眺めているのはいかがなものかと思い、スマホを適当に弄っていると、
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「お粗末様。食べてくれて何よりだよ」
「お薬の方も買ってきてくれたんですね。もう一回分で切れるところだったので、本当に助かります」
「別にいいって。ほら、早く飲んで寝ろ」
礼を言われるのがなんか恥ずかしくなって、薬と水の入ったコップを手渡して、
「じゃあ、俺はそろそろ帰る。ちゃんと食べて寝ろよ」
「待ってください。もう少し、いてください」
背にかかる制止の声。
振り返ってみた本倉の目はわずかに潤んでいた。
縋るような視線と、俺に伸びている右手は頼りなくて。
どことなく子どもを連想させるくらいには、その姿は小さく見えた。
熱が上がってきたのか?
……でもまあ、時間はあるし、少しくらいなら。
自分でも甘いなと思いつつも座り直して、
「わかったって。いつまで居たらいい?」
「……では、私が寝るまで、お願いします」
「それ、鍵どうすんの」
「そうでした……机の上に家の鍵があるので、それで施錠してもらえれば。鍵は月曜日にでも返してくれればいいので」
こともなげにとんでもないことを言う。
「……あのなあ。そんな軽々しく家の鍵を家族以外に渡すなよ。ましてや男に。俺が悪用するとか思わないのかよ」
「楠木さんはそんなことしないと信じていますから。それに、悪用しようと考える人は、そんなこと言いません」
「いや、鍵を落としたりするかもしれないだろ。他にも盗まれるとか、まあ、色々だよ」
「それは私の責任です。寝るまで居て欲しいなんて我儘を聞いてもらうのですから」
言い切って、本倉は薬を飲んでしまう。
態度や雰囲気からしても寝るまでいて、施錠も任せるというのは本気らしい。
冗談じゃない。
いくらなんでも俺を信用しすぎだ。
でも、こんな状態の本倉を放置して帰れなさそうなのも事実ではあった。
毒を食らわば皿まで。
本倉が毒とは言わないものの、状況を示す言葉としてはこれ以上ないだろう。
しばらく考えて――やがて諦めを伴ったため息をついた。
「仕方ないか。寝るまでだな。寝たらすぐ帰るからな」
「……はい。ああでも、それまでのお喋りくらいは許してくれますよね」
直接答えるのは負けた気がして、スマホをポケットにしまった。
使った器とかを片付けるのは本倉が寝てからにしよう。
了承の意を汲んだ本倉は宣言通り、横向きに寝転がって布団をかける。
「お喋りって言われても、俺の会話デッキは貧弱だぞ」
「誘った私が話題を提供するべきですかね。では……あれ、何を話したらいいのでしょう」
「まあ、うん。本倉の会話デッキも貧弱だよな」
「むぅ……」
その評価は不満とばかりに口先を尖らせる本倉。
いつになく表情とか仕草が子どもっぽく感じるのは気のせいじゃないと思う。
というか、落ち着いたことで改めて状況の異常さを理解した。
異性の部屋、お見舞いという面目があるにせよ思春期真っ盛りの高校生が二人きり。
漫画なんかだとおあつらえ向きのシチュエーション。
それが今、俺が置かれている状況だった。
やばい。
意識したら途端に緊張してきた。
「……楠木さん」
「は、はい」
「寝転がりながらで申し訳ありませんが……今日は本当に、ありがとうございました。正直、結構困っていたので」
目を伏せながら本倉が口にしたのは、今日何回聞いたかわからない感謝の言葉。
熱を聞いたときにも思ったけど、やっぱり体調は良くなかったんだな。
「礼は美鈴に言ってくれ。元々、美鈴が来る予定だったし」
「来てくれたのは楠木さんの意思です」
「それは美鈴が行けって言ったからで――」
「関係ありません。それに、朝、「大丈夫か」って送ってくれたじゃないですか」
「…………」
「……嬉しかったですよ、私は」
ふにゃりとした笑み。
頬の赤みが増しているのは気のせいか、あるいは。
しかし、本倉は気配を一変させて、
「少し、私の身の上話を聞いてもらえませんか?」
そう、話を切り出した。
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