第9話 『雪白姫』との偽装交際


「……………………は?」 


 返せた言葉は、間抜けな声だけだった。

 俺と本倉が、交際?


 付き合う……って、こと?


「……いや、いやいや待て待て待て! なんでそういう話になったんだよっ!?」

「楠木さん、声が大きいです」


 勢いよく立ちあがって声を上げるも、本倉の冷静極まる声にたしなめられて座り直す。

 あんなことを言われて冷静でいられるはずがない。


 高嶺たかねの花――『雪白姫』、本倉もとくら悠莉ゆうり

 同級生のみならず同学年、別学年にも知られる本倉の人気はとても高い。

 今まではあまりに孤高のイメージが強すぎて、誰も告白なんてしようとは思わなかった。


 それが、俺のせいで変わってしまった。

 俺といることで自分にもチャンスがあるのでは、と考えたやつが殺到するのは目に見えている。


 まだ一人、されど一人。

 これから先、せきを切ったように本倉に告白するやつは増えていくことだろう。


 けれど――もし、本倉に彼氏がいたとすれば?

 偽物だとしてもそれを理由に本倉は告白を断れるし、断られた側も「やっぱりか」となるはずだ。

 それに、彼氏がいるという話も瞬く間に広まるはず。


「私に好意を伝えに来る方には申し訳ないと思いますが、それでも不誠実な気持ちを伝えるよりはいいのではないでしょうか」


 本当に本倉は真面目だ。

 適当な返事をしてあしらうこともできるのに、本倉はそれをしない。


 でも、それは嘘だ。

 俺を偽物の彼氏に据えて、彼らへの返事を先延ばしにしている。


 それが良いか悪いかはよくわからないけれど。

 少なくとも、本倉が自分の言葉で思いを伝えられるようになるまでは、その選択もいいのかもしれない。


 決めるのは本倉だし、俺にできるのは多少の協力と図書室で話を聞く程度。


「――はぁ……わかった、わかった。俺の存在をちらつかせるだけで楽になるならそうしてくれ。元を辿れば俺が発端みたいなもんだし」


 頭をきつつ本倉に答えると少し驚いたような表情を見せる。

 了承を得られるとは思っていなかったのだろう。


 しかし、本倉はどこか嬉しそうに頬をゆるめて、


「ありがとうございます、楠木さんっ」

「礼はいい。問題はこれで収まるかどうかだけど……様子を見るしかないだろうな」

「はい。ですが……また楠木さんに借りを作ってしまいましたね」

「そうか? 今回のは俺のせいでもあるし、どっちもどっちだって」


 俺も本倉も悪くない。

 強いて言えば、根も葉もないうわさを流した奴が悪い。


 でも、誰が噂を流したのか不明だ。

 たまたま図書室に来ていた人が俺と本倉が話しているのを見かけて誤解したのか?

 流石に早とちりが過ぎる。


 せめて本人たちに確認をして欲しい……ってのは無理か。


「私が楠木さんと交際……っ」

「いや、交際しているだって。というか、本倉は俺でいいのかよ。もっと他に、こう……いないのか?」

「私に友達と呼べる相手は……それこそ楠木さんくらいですから」


 気まずそうに目をらしながら話す本倉。


 うん、なんかごめん。


「……でも、俺のことは友達だと認識してくれてるんだな」

「っ、もしかして、迷惑でしたか」

「違う違う。いやさ、本倉と関わるようになったのは最近だろ? これまでは気難しい感じがしてたけど、話してみたら意外と楽っていうか」

「楽、ですか」

「気を使う必要がないって方が正しいかもしれないけどな。なんにせよ、一人でいるよりよっぽどいい。話し相手にもなってくれるし」


 部屋にこもって一人で過ごすよりも誰かといる方が余計なことを考えずに済む。

 精神衛生的にもいいし。


 孤独感は簡単に人の精神を迷わせる。

 特に何かの理由があって弱っているときはなおさらだ。


 単純に人といるだけで改善される問題は多い。

 そういう意味で、表には出さないものの本倉には感謝していた。


「私も楠木さんとお話しする時間は好きですよ。読書の次くらいに」

「読書の次かよ」


 笑ってみせると、本倉は本を立てて顔を隠してしまう。

 声の調子から冗談を言っている様子もなく、本心に近い言葉なのだとわかった。


 読書の次。

 ……読書の、次?


 俺が知っている本倉のことは少ない。

 珍しい白い髪を伸ばしていて顔立ちが整った真面目な性格ということと、読書が好きなこと。

 あと、友達と呼べる相手が俺くらいだと本人が言っていたこと。

 明確にわかるのはそれくらいだ。


 でも、そんな本倉が、俺と話す時間が読書の次くらいに好き……?


「……っ」


 浮かんだ憶測おくそくに、俺は喉を詰まらせる。


 飛躍しすぎだ。

 思い込みもはなはだしい。


 本倉にそんな気がないのはわかっている。

 それでも――一度意識してしまえば、頭の片隅にちらつく。


 今一度、本倉を見た。

 本を読む眼差しは真剣そのもので、余計なことなんて頭にないような。


 ぼーっと眺めていると、不意に本倉が本を退けて顔を見せた。


「あの、そんなに見られていると恥ずかしいのですが……なにかついていますか?」

「なにもついてないぞ」

「……誤魔化していますね」

「なんでわかるんだよ」

「勘です」


 しれっと言われても困るんだけど。


「隠すのは構いません。誰にだって言いたくないことの一つや二つはあるものですから。無論、私にも」

「……もし一人で抱えるのが苦しくなったら、俺でよければ話くらいは聞いてやれるから。遠慮なんてしないでくれ」


 気づけば、そんな言葉を発していた。

 本倉は目を丸くして俺を見る。


 それから咳払いでくすぶる恥ずかしさを押し出そうとして――全く変わらないまま、


「…………偽物だけど、彼氏って扱いだから、さ」


 口にした瞬間、顔から火が出るんじゃないかと思うくらいに熱くなった。


 偽物の彼氏、偽物の関係。


 本倉と――『雪白姫』との偽装交際。


 本物ではないそれは些細ささいなきっかけで壊れてしまうような、薄氷はくひょうの上に成り立つ奇跡じみた現実だ。


 でも、だからこそ。

 時折本倉が見せる悲しげな表情が、忘れられなかった。


 直接目を合わせないまま、チクタクと時計の針が進む音だけが響いて。


「――彼氏役を頼めたのが楠木さんで、本当に良かったです」


 目元を緩めながらの声はどことなく弾んだもので、普段見せることのない笑みにまたしても見蕩みとれてしまった。

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