第8話 予想していなかった頼み事


 俺が恋愛相談を受ける日が来るとは。

 しかも『雪白姫』なんて呼ばれる孤高の美少女――本倉がそういう話をしてくるなんて、考えたこともなかった。


 金曜日の時点で美鈴はそういう可能性もあると言っていたし、本倉の容姿からすれば当然の結果かもしれない。


 だけど、相談する相手を間違えてやいないだろうか。


「……楠木さん?」

「俺が力になれるとは思えないんだけど」

「それでも、私よりは経験豊富でしょう? 自慢するようなことではないですが、私には友人と呼べる人はいませんので」


 自虐じぎゃくにしかなっていないそれに頬を引きらせつつ、考える。


 俺に話せるのは世間一般的な考え方だと思っているものだけで、本倉の状況にあった対応策を示せるかは微妙だ。

 参考にできる相手としては涼太と美鈴が思い当たるものの、二人のめはおおよそ普通とは言いにくい。


「人を好きになるとはどういうことなのでしょう。今日、あの方が伝えた言葉が私への好意を表したものだとはわかるのです。ですが……」

「いまいちピンとこなかった、と」

「……端的たんてきに言えばそうなります」


 こくりと、本倉は静かに頷く。

 本倉の気持ちが多少はわかるだけに、俺も頭を悩ませる。


「……一緒にいて楽な人ってのも、一つの指標になるんじゃないのか?」

「楽な人、ですか」

「そう。一緒にいるのに気を使ってばかりだと疲れるだろ? 好きと繋がるかは微妙だけどさ」

「……一理あるかと思います」


 なるほど、とまたしても頷いた。

 そして、本倉は手元に置いていた辞書を開いて、ページを捲る。


「何を調べてるんだ?」

「『好き』の意味です……ありました」


 開いたページの一部に本倉が指を置く。

 好き……その下に書かれている意味に目を通す。


 ――『心がひかれること。気にいること。また、そのさま』


 いざ調べてみても、まあそうだろうなという言葉が連なっているばかりだ。


「この意味が本当だとしたら、彼は私に心がひかれて、気に入っていることになりますよね」

「そう、だな」

「……本当に、私なんかのどこを気に入ったのかわかりません」

「見た目とか性格とか、色々あるんじゃないのか?」


 実際のところ、本倉は美少女と呼んで差し支えない容姿を持っている。

 誠実で無責任なことをしないのは図書委員としての仕事や学校生活を見ていれば、関わりがなくても伝わるだろう。


 しかし、本倉は首を横に振る。

 つられて揺れた白い長髪。

 僅かに俯いた本倉の前髪の隙間から緑色の瞳がのぞく。


 その目は、どこか暗さを帯びていて。


「……私に誰かから好かれる資格はありませんから」

「そんなことは」

「あるんですよ」


 咄嗟とっさに出た否定の言葉は、逆にさえぎられる。

 静かながら、確信をともなった言葉。


 感じたことのない圧に押し黙った。


 その意味が示すところは全くわからないものの、放置はできなかった。


「本倉」

「……なんですか」

「あんまり、自分を嫌うなよ。否定ばかりしていると、少しずつくさっていくんだ。怪我をして不貞腐ふてくされた俺みたいに」


 自分で言ったものの、偉そうな態度に遅れて笑いが込み上げてくる。

 本倉に忠告出来るほどの人生経験はないけれど。


 それでも、伝えられることくらいあるはずだ。


 怪我をした俺の生活は一変した。

 楽しいという感情が薄れて、日常の実感も薄れて。

 自分自身の存在すら、日ごと日ごとに薄れて消えるような錯覚すら覚えたくらいだ。


 それが今、少しずつ。

 変わろうとしているのを感じていた。


 きっかけは外でもない、あの日。

 雨宿りのために訪れた図書室で本倉と出会い、どういうことか礼をするまで定期的に本倉を会うことになった。


 まだ二回目だけど、俺は本倉と会って話すのが嫌じゃないと感じ始めている。

 怪我での偏見もなければ、深くまで踏み込んでも来ない。

 適度な距離感を保った関係性はどうにも居心地が良くて、楽だ。


「では、私はどうしたらいいのでしょうか。好意に応えることもできず、否定しか返せないだけの私は」

「さあな。でも、本倉がどう感じようとも、告白にくる奴は減らないと思うぞ」

「……どうして、でしょうか」

「俺に聞かれても困るけど……あえて言うなら、伝えなきゃ伝わらないからじゃないのか。心の中にため込んでいるだけじゃ、誰にも分らないだろ?」


 思いを抱くことは誰にでも出来る。

 だが、伝えられるのは一握りの存在だけだ。


 勇気を振り絞って思いを伝えたとして、望んだ答えを得られるとは限らない。

 だからこそ秘めたるそれを表に出すのは怖いし、簡単じゃない。


「…………そうかも、しれませんね」

「まあ、あんまり難しく考えるなよ。困ったことがあれば言ってくれ。なるべく力にはなってやるから」

「……それは、楠木さんが私を好きだから、ですか?」


 すがるような目で、本倉は俺に問いを投げる。


 俺が本倉を好き……?

 少なくとも、嫌いではない。

 けれど、イコール好きになるかと言われると、話が違う。


 だったら好きじゃないと伝えればいいだけなのに。

 返事にきゅうしつつも、その理由を考えて。


「……俺といなかったら本倉もこんなことにはならなかっただろ? だから、申し訳ないというか、なんというか」

「つまり、義理だと言いたいのですか」

「そうだな」

「……でしたら、図々しいとは思いますが、楠木さんに一つ頼みがあります」


 期待を込めた眼差しが、俺を真正面から射抜いて。

 花のつぼみに似た桜色の唇がつむいだのは、予想していなかった頼み事だった。


「楠木さん――私と、交際しているふりをしていただけませんか?」

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