第39話 だって可愛かったので


「――起こしてしまいましたか、蓮くん」


 そんな声が、寝起き直後の耳元でささやかれた。


 薄っすらと開いていた視線の先には、俺を覗き込む悠莉の顔があった。

 頭の後ろに感じるのは柔らかくも弾力のある感触。

 感覚からして寝かされているのだろう。


 一気に意識が覚醒かくせいするも、飛び起きることだけは耐えた。

 こんなことで悠莉に怪我をさせるわけにもいかない。


 結局、俺は悠莉に抱きしめられたまま眠ってしまったようだ。

 窓からは綺麗な夕日が差し込んでいて、部屋を黄昏色に染めている。


 凄く恥ずかしいのだが、それ以上に悠莉の気遣いがありがたかった。

 話して受け止めてもらったことで、胸のつっかえが取れた気がする。


「……えっと、おはよう?」

「はい、おはようございます。それで、膝枕の寝心地はいかがですか?」

「膝枕……?」


 身じろくと、「あんまり動かないでください」と恥じらいを帯びた声がかかる。

 横向きになれば、制服のスカートから伸びる白くほっそりとした太ももがあった。


 ――つまりこれは、あれだ。


 頭に感じていたのは悠莉の太ももの感触で、俺はいつの間にか膝枕で寝かされていて、寝顔を鑑賞されていた……ということだ。


「……恥ずかしすぎて死にたい」

「お見舞いのときに寝顔を見られたので、これでおあいこです」

「俺のなんて見ても面白くないだろうに」

「そうでもありませんよ? とても可愛かったですし、安心してくれているのがわかったので」

「男に可愛いは誉め言葉じゃないんだけど」

「だって可愛かったので」


 だってじゃないよ。


 残されていた羞恥心が限界を迎える前に膝枕から起き上がろうとしたが、悠莉に頭を押さえつけられた。


「まだダメです。私の気が済んでいません」

「いや……頭って重いだろ? 疲れてるだろ? 足も痺れてるんじゃないのか?」

「確かに多少は重いですが問題ありません。疲れは寝顔を見ていたら癒されましたので。足は……そろそろだと思いますけど」

「だったら降ろしてくれよ」

「むう……いえ、そう何度もすることではないですし、この機に堪能します。蓮くんも私の太ももの感触を堪能してくれていいので」

「ただの変態じゃん……」


 とにかく続けたい意思を感じ取った俺はため息をついて、引き続き悠莉の膝枕に身を委ねる。


 太ももの感触を堪能してくれていいと言われても、本当にそんなことをすれば悠莉と言えど引かれると思う。

 そりゃあ男としては膝枕なんてシチュエーションへの憧れというか、ある種の希望みたいなものは持っていた。

 だけど……実際にやられると、どう反応していいのかがわからない。


 スカートの生地越しに感じる太ももが柔らかいとか、そこから伸びる脚が雪原みたいで綺麗とか、より甘い匂いが近づいたとか、湧いてくるのは煩悩ぼんのうに直結するような感想だけ。

 視線を上に向ければ慎ましい丘と頬が緩み切った悠莉の顔があって、なんとなく躊躇ためらってしまう。


 ただ、頭をでられているのはとても落ち着く。


 これが母性……流石に失礼か。


 冗談じゃなく、本当に落ち着くのだから仕方ない。


「……悠莉。今何時?」

「六時を過ぎたくらいですね」

「結構寝てたのか……悪いな」

「私が好きでやったことなので」

「でも、そろそろ帰らないとな。悠莉も大丈夫そうだし」


 様子を見るに、平常時くらいには立ち直ったと考えていいはずだ。

 帰るにも俺を堕落だらくさせようとしてくる悠莉の膝枕から脱出する必要がある。


 ここに長居したら変な気を起こさないとも限らない。

 それに――いい加減、この気持ちがなんなのかわかっている。


 膝枕をされて、頭をでられて、耳元でささやかれて。

 ボロがでないように取り繕うので精いっぱいだ。


 様子をうかがってみれば、悠莉は口を引き結んだまま頭を撫でている。

 緑色の瞳には僅かな迷いが察せられた。


 しかし、悠莉は意を決したように口を開いて、


「……蓮くん。このまま夜ご飯も一緒にどうですか」


 そんな提案をしてきた。


 驚いて悠莉を見るも、その表情に冗談の色はない。


「そこまでするのは迷惑だろ」

「一人分も二人分も手間はあまり変わりません。料理をするならわかりますよね?」

まずいだろ、色々」

「私、蓮くんに借りを作ってばかりなので。夏祭りの後も、今日も。なので、ここで一気に返しておこうかと」


 律儀というか真面目というか、さらに言えば頑固というか……主張を変える気はなさそうだ。

 夕飯……夕飯かあ。


 母さんには「友達と食ってくる」って言えば大丈夫だろうけど……帰ったら楓がうるさそうだな。


 それに、悠莉の手料理を食べられる機会なんてそうそうない。

 前に持ってきてくれたパウンドケーキであの美味しさだったのだから、かなり期待できる。


 悠莉の手料理と理性を秤にかけ、前者へと傾いた。

 断れるはずがない。


「わかった。夕飯までな? 夕飯食べて少ししたら帰る。これ以上は無理だ。色々と怖いし、女の子の家に遅くまでいるものじゃない」

「それでいいです。では、お買い物に行きましょうか」

「荷物持ちで付き合うよ」

「ありがとうございます」


 微笑む悠莉に心臓が高鳴りつつも、膝枕から起き上がる。

 露骨ろこつに残念そうな表情になった悠莉には悪いけど、出かけるのだから仕方ない。


 身体を伸ばして軽く動かして悠莉の方を振り向けば、まだ正座のままだった。

 揃えられた両脚はぷるぷると震えていて、助けを求めるような視線を送られていることに気づく。


 これは、あれだろう。


「今、脚触ったら怒るか?」

「怒ります。なのであの、もう少しだけ待ってください……」


 そもそも不用意に触る気はなかったけど悠莉は本気で警戒したようで、しびれが抜けて立ちあがれるようになるまで俺から一瞬たりとも目を離すことはなかった。

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