第38話 これは医療行為みたいなものです


「今年の春、俺は練習試合の最中に脚を怪我したんだ。全治二か月……悠莉と会った頃には治ってたけど、医者からは激しい運動は避けるようにって言われてさ。正直、そのときは何も考えられないくらいにショックだったよ」


 過去のことだからと悲壮ひそう感を感じさせないように声の調子を意図的に上げて、頭の中で順序を組み立てながら話す。


「一応、俺は一年の後半……三年が引退してからレギュラーになって、それなりに上手くチームでやってたと思ってた。……怪我をしたあと、部室に寄ったときに聞こえたんだよ。『あいつ、怪我だってよ。いい気味だ』ってさ。しかも、それに他の奴も……同じレギュラーで友達だと思ってたやつも、笑ってたんだ」

「……それ、は」

「大丈夫、もう気持ちの整理はついてるつもりだから。多分、元々嫌われてたんだろうな。でも、それに俺が気づかなかった。気づけなかっただけのこと」


 どちらかといえば内向的で人とあまり関わろうとしないのは昔からだった。

 とはいえ、バスケットボールはチームスポーツだ。

 チームメイトとのコミュニケーションは取る必要がある。


 不満はなかったし、できる限り円滑に、輪を乱さないようにやってきた自信はあった。

 しかし、蓋を開ければこのざまだ。


「後から聞いた話だけどさ、俺はどうやら周囲をバカにしているように見えてたらしい。そんなつもりは、欠片もなかったのにな」

「蓮くんはそんな人じゃあ――」


 必死に悠莉は首を振って否定してくれる。


 自分のことのように悲しんでくれているのが、声色から伝わった。


 でも、重要なのはそこじゃない。


「人間だから合う合わないは絶対にある。たまたま、偶然にもチームメイトと致命的に合ってなかっただけなんだ。和解もしてるから気にしなくていい。……まあ、それ以来、色々と変わってさ。端的に言えば、新しく人と関わるのが怖くなった」

「……では、どうして私を助けてくれたんですか?」

「それを聞かれると答えにくいな。あの日、雨宿りをしてて本当に暇だったってのもあるし、たまたま気が向いたってのもある。あと、近くで誰かが作業しているのに寝ていられるほど図太くなかったってとこかな」


 本当にそれだけだった。


 偶然に偶然が重なっただけのこと。


 その場だけの関わりだと思っていたし、関係が続くとは考えていなかった。


「部活をやめてからは、結構不貞腐ふてくされてたんだと思う。なんで俺だけこんな目に……って。試合中の怪我なんて珍しいものじゃないし。たまたま俺がその対象で、たまたまバスケを続けられない怪我だっただけ。そう納得出来たらよかったんだけどさ」

「できたら苦労しない、ということですね」


 色々思うことがあったのだろう。

 悠莉のそれに頷いて、乾いた喉を冷めつつある紅茶で潤す。


 理屈では誰も悪くないとわかっている。

 でも、責任を押し付けれる誰かがいたほうが心理的には楽になるのだ。


 意味がないとわかっていても。


「……俺さ、悠莉と図書室で話してる時間、自分でも意外なくらいに居心地がよかったんだ。互いに踏み込まないし、大義名分もあったし」

「それは私もです。家でも学校でも独りなので、誰かといる時間は久しぶりでした。『いつまでも私に時間をきたくはないでしょうから、早いうちに内容を考えて下さい』と初めに伝えたのに、気づけば偽装交際なんてことをしていますし」

「あのときは本当に驚いた。しかも、ここまで仲良くなるとは……仲いいよな?」

「そうじゃなければ家にあげていません」


 勘違いしないでください、とちょっと怒ったように横目で悠莉が俺を見た。


「私に自己評価が低いと言っていましたけど、蓮くんも低いじゃないですか。そういうことがあったのなら仕方ないかもしれませんが……私は蓮くんの味方です」

「……そう言ってもらえるなら嬉しいよ」

「言葉で足りなければ、ほら。私の胸でよければ貸しますよ?」


 自然な流れでの言葉に困惑が広がった。

 だが、その言葉を嘘ではないと表すように悠莉は俺の方を見て両手を広げ、暗に来ていいと告げている。


 視線が悠莉の胸へと吸い寄せられた。

 白いブラウス、慎ましいながらも存在する女性的なふくらみ。


 前に抱き着かれたときの記憶が蘇ってくる。


 あの感触を自分の意思で体験しに行くのは――うん、よくない。


「……あのなあ。女の子が気安く胸を貸すとか言わないでくれ。……その気になったらどうするんだよ」

「……私はとても嬉しかったので。蓮くんにされて嬉しかったことは、私もなるべく返したいですから。借りっぱなしは良くないです」


 少し恥ずかしいですけど、と頬をほんのり染めつつも、意思を変えるつもりはないと示してきた。


「これは医療行為みたいなものです。大丈夫ですよ、どさくさに紛れて変なところを触られても怒りませんから。蓮くんも男の子なんだなあって思うだけです」

「なにその生暖かい目」

「とにかく、そういうことなので。……黙って私に抱きしめられてください」

「っ」


 頭の後ろに悠莉の腕が回される。

 決して力は強くないのに、どうしてか抵抗することは出来なかった。


 緩やかに距離が縮まって、ついに顔が柔らかく暖かいものに収まった。

 それは悠莉の胸なのだろう、と妙に冷静な思考が導き出す。


 息を吸うだけで、甘い匂いが肺を満たした。

 とくん、とくんと規則的な心音が聞こえる。


 ぬるま湯に浸かっているような感覚。

 程よい眠気に似たものに襲われて、まぶたが少しずつ降りていく。


「苦しいことも辛いことも、全部吐き出してしまいましょう。蓮くんが私にしてくれたのと同じように。実際、やられてみた感想はどうですか?」

「……悔しいけど、落ち着く」

「ぅ、あ、ダメです。あんまりしゃべらないでください。息が当たってこそばゆいので」


 もだえるような声。

 心臓を跳ねさせつつも無言で小さく頷く。


 変な気など起こりようがなかった。

 それくらいに精神的な充足感が高く、甘さと優しさに心が溶けてしまいそうな錯覚さえ覚えてしまう。


「眠かったら寝てもいいですよ。起きるまで、蓮くんを撫でて楽しむことにします」


 ふふっ、と笑う声。

 宣言通りに悠莉の手が頭をで始める。


 優しく子守歌のようなペースでのそれは、くすぶっていた眠気が優位に立つにはじゅうぶん過ぎた。


 少しずつ、少しずつ意識が遠くなっていく。


 これ、起きたとき絶対気まずいだろうな。

 ぼんやりと考えながらも、俺の意識は湧き上がってくる眠気に押し流された。

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