第27話 一番ですから


「私の身の上話に関しては少ししたと思いますが、まあ、母親と会って色々思い出してしまい、その後からずっとこんな感じだったという……言ってしまえばそれだけのことです」


 あくまで自分は大丈夫だとアピールするように、悠莉は言う。


 でも、それはどれほど悠莉にとって辛い体験だっただろう。

 少なくとも翌日にまで尾を引くほど精神面が傷ついて、学校で泣き出してしまうほどなのは確実だ。


 血縁の繋がりはどうやっても切り離せない。

 その辛さは、家族関係には円満な俺にはまるで分らなかった。


「……どうして今日休まなかったんだ」

「乱されたくなかったから、でしょうか。両親は私をいないものとして扱っているのに、私がいないはずの両親を意識して休んでいられません」


 平坦な声音ではあったものの、その奥には真実しか述べていないのだとわかる冷たさがあった。


 自分が親からいないものとして扱われる心境を、俺は知らない。

 けれど、それは悠莉が……仮にも血の繋がった家族が味わうには、とてつもなく辛く苦しい責め苦であることは想像できる。


 常識的に考えれば一番安全な場所になりうる家が、地獄のように過ごしにくい場所に変わってしまうのは想像にかたくない。


 それに、平然とそんな悲しいことを言ってしまえる悠莉の精神状況も限界に近いのではないだろうか。

 孤独を何年も強いられれば、精神が壊れていてもおかしくはない。

 今の悠莉は奇跡的に日常生活をできているだけなのではないかと、首元に刃をえられたような悪寒を感じた。


「私は孤独でした。祖母が亡くなり、両親から捨てられ、金銭だけを与えられて、独り寂しく本の世界にのめり込んで。それが今、少しずつですけど変わっているんです。私だけの力ではなく、蓮くんをはじめとした皆さんのおかげで」

「悠莉……」

「だから、もう手放したくないんです。存在しないものに邪魔されて、私はまた孤独に戻りたくない。一度誰かと過ごす時間を知ってしまったら……独りで過ごす時間はとても寂しくて、辛くて……どうにかなってしまいそうなんです」


 悠莉は頭を胸に預けたまま、「だから」と続ける。


「今日、誰に何を言われても押し通るつもりだったんです。自分の様子がおかしいことなんて家を出る前からわかっていました。けれど、今日、あの扉から外に出なかったら、二度と出られない気がして」

「…………」

「でも、やっぱり最後には泣いてしまいました。惜しかったです。しかも、一番見せたくない人に見つかってしまいますし」

「俺のことか」

「ほかに誰がいるんですか」

「そりゃあ涼太とか美鈴とか」

「……蓮くんの、ばか」


 こつん、と肩の当たりを悠莉が小突いた。


 同時に浴びせられた普段の悠莉が言いそうにない言葉と仕草にたじろいて、喉の奥が詰まってしまう。

 可愛いを通り越してあざとさすら感じるそれに、心拍数が急激に上昇して身体が熱くなる。


 ほんのりと朱に染まった頬を微妙にふくらませながらの上目遣い。

 破壊力は言わずもがな、まともに目を合わせることすら難しい。


 空気が弛緩しかんしたことで、シリアスな雰囲気だったから自然と意識から排除できていた悠莉の身体の柔らかさだとか匂いだとかを鮮明に感じてしまい、椅子から転げ落ちそうになるのをこらえて押し留まった。

 しかし、その選択は同時に悠莉を寄りかからせたままにする、ということでもある。


 まさかいきなり引き離せるわけもなく、俺は諦めて理性を鋼のように保とうと強く決心をする羽目になった。


「一番ですから、蓮くん以外にあり得ません」


 ……それはどういう意味でしょうか??


 一番が俺以外ありえない?


 一気に想像が飛躍してその言葉へと辿り着いてしまい、脈拍が急上昇してしまう。


「……俺、告白されてるとかそういうのじゃないんだよな? 違うなら、もうちょっと言い方に気を付けて欲しいと言いますか。……マジで勘違いするから」


 念のために確認をすると、やってしまったという風に口元に手を当てた悠莉の顔が真っ赤に染まった。

 悠莉はあわ、あわわと言葉にならない弁明を手振りでして、やっと落ち着いたかと思えば「……忘れてください」と意気消沈したように呟いた。


 流石に掘り返す気にはならないので「わかった」と答えると、今度はしゅんと眉を下げて見せる。

 今回のは悠莉の完全な自爆……俺は何も悪くない。

 そのはずなのに、なんか負けた気がする。


「とにかく。それだけのことですから、話したら楽になりました。こんな特に面白みもない話を聞いていただいてありがとうございます」

「それだけのことって感じじゃなかったけど……楽になったならよかった。俺でよければ話くらいは聞くからさ。それと」

「それと?」

「……次からは、ため込む前に言って欲しい。また、あの辛そうな悠莉の顔を見るのは嫌だ」


 真剣にそう言ってから、自分は何を言ってるのかと眉間を揉んだ。


「いや、傲慢ごうまんだよな。安々とプライベートの話をして欲しいなんて。さっきのは本気にしなくていいから」

「――いいえ。また、頼らせてください。私が一番信用できるのは、蓮くんですから。蓮くんになら、話してもいいです」


 淡く笑う悠莉。

 本調子とまではいかないにしろ、元気は戻ってきたらしい。


 それならよかったと納得して。

 無視をするには大きすぎる引っ掛かりからは強引に目を逸らして。


 外を見てみれば小雨はすっかり止んでいて、雲間から陽が差し込んでいた。

 光のカーテンがかかる空を眺めつつ、


「……今日は帰った方がいい。送っていくから。一人で帰すのは不安だし」

「そういうことなら、お言葉に甘えて。どうせなら、どこかで甘いものでも食べて気を紛らわせたいです」

「確か駅前の喫茶店に美味しいガトーショコラの店があるって楓が言ってたなあ……そこ行ってみるか?」

「はいっ」

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