第43話 逃げないで答えて欲しい


「元々、偽装交際関係を持ち掛けたのは私です。本当に勝手な話だとは思いますし、ここまで続けてくれた蓮くんには感謝してもしきれません」


 悠莉は静かに頭を下げた。


 けれど、そんな感謝ともつかない言葉が入り込む余地は俺にはなかった。


「えっと、先に何個か確認していいか?」

「はい。なんでも答えます」

「……関係を解消するってことは、悠莉が自分の言葉で断れるようになったってことでいいのか?」

「そういう認識で問題ありません。私はさっき告白してきた人に、『好きな人がいます』と伝えて断りました。今まで彼氏がいると騙していてごめんなさいとも謝ってきました」


 眉を下げながら、申し訳なさそうに悠莉は言う。


 偽装交際関係を持ち掛けられたとき、悠莉は『私に好意を伝えに来る方には申し訳ないと思いますが、それでも不誠実な気持ちを伝えるよりはいいのではないでしょうか』と言っていた。

 つまり、さっき悠莉に告白した相手へと告げた言葉に嘘偽りはなく、全てが真実ということになる。


 だが、そこには聞き逃せない言葉が混じっていた。


「……その好きな人っていうのは」

「恋愛感情としての好きです」

「……そっか。なら、俺の役目は終わりか。長いようで短かった気がする」


 期間にしておよそ一か月半くらいが、悠莉と偽装交際を続けた時間だ。


「色んなことがありましたね。まさか数日でデートに連れて行かれるとは思いませんでした」

「その割に楽しそうだったけど」

「とても楽しかったですよ? 蓮くんが場所を選んでくれて、ちゃんとエスコートしてくれましたから。頂いたしおりも大切に使っています」


 ほら、と鞄から悠莉はラミネートされたクローバーのしおりを取り出して見せる。

 たった数百円の代物。

 けれど、それは二人で過ごした時間を形として残したものだ。


 大切に使っていて、離さず持っていてくれたことが、何よりも嬉しかった。


「お見舞いのときもありがとうございました。実は大変だったので、蓮くんが来てくれて助かりました。あのときに手を繋いでくれたこと、本当に嬉しかったです」

「大したことはしてない。悠莉が寂しがり屋なのは意外だったけど」

「……仕方ないじゃないですかっ」


 怒ったアピールをされても怖くはない。

 むしろ可愛いな、と思うばかりだった。


「……夏祭りも、沢山の思い出ができました。花火も、あんなに綺麗なんだと思えたのは初めてです」

「来年も行くんだろ? 楽しみだな、また悠莉の浴衣姿が見れるの」

「そう、ですね。来年もまた、蓮くんと一緒に――」

「涼太と美鈴も誘ってな」


 そう言うと、悠莉は口先を尖らせて半眼でにらんでくる。


「……そうですよね。蓮くんはそういう人ですからね」

「もしかしてバカにされてる?」

「呆れているんです」

「もっと酷かった」


 呆れられるようなことをしただろうか。


 というか……悠莉がさっきから言っているのは、俺と悠莉が一緒に過ごしていた内容ばかり。

 偽装交際も終わるから、その精算をしているのだろうか。


 楽しかった思い出も、偽装交際をきっかけとして生まれたもの。

 その繋がりがなくなったらと考えて、嫌だとささやく声が聞こえた。


「蓮くんには、泣いている姿も見せてしまいましたね。私の弱み、握られてしまいました」

「弱みってほどでもないだろ。人間なんだから泣くときもある。俺も似たようなものだし」

「二人だけの秘密ですね。約束ですよ?」


 柔らかな微笑みに小さく頷く。


「指切りでもしますか?」

「いやいいって。悠莉のことは信用してるし。俺のことが信じられないならするけど」

「……信じていないわけではないですけど、一応しておきましょうか。信じていないわけではないですけど」


 念を押すように二回言って、悠莉は右手の小指を差し出す。

 照れ隠しの意味もあるそれに、俺も応えた。


 小指を絡める。

 細く、少しだけ冷たさの残る悠莉の指。


 力を込めれば折れてしまいそうなほど華奢なそれを、しっかりと意識して繋ぐ。


「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます……こんな感じでしたか?」

「俺もあんまりやったことないから微妙だけど、多分こんな感じだろ」

「……信じていないわけではないですし。そういう約束をしたって覚えていれば良さそうですね」

「だな」


 絡めていた小指を解いていく。

 名残惜しくもある感触を思い出して、悠莉の小指をじーっと眺めていた。


 そして――もう、耐えられそうになかった。


「……悠莉、話を遮って悪いんだけど、俺も一つ聞いて欲しいことがあるんだ」

「そうですね。私はいっぱい話しました。まだ話したりないですけど、残りは蓮くんの後にしましょうか」

「ありがとう。でさ、話す前に、お礼の内容を伝えてもいい?」

「いいですけど……決まったんですか」

「ああ」


 ここまで言ったらもう引き返せない。

 心なしか悠莉の表情も強張こわばっているように感じた。


 心臓の鼓動が早まっていく。

 緊張で手が震えそうになるのを理性で押し込めて、深呼吸で冷静さを取り戻しつつ、悠莉を真っすぐに見て。


「――俺がこれから言うことに、悠莉は逃げないで答えて欲しい。それが、俺が求めるお礼の内容だ」

「……そんなことでいいんですか?」

「いいんだ。俺にとってはそんなことじゃないし」


 実際、これは前座。

 自分の退路をふさぐためのそれを、悠莉は「わかりました」と了承してくれる。


「本題を聞かせてください。私に逃げず、答えて欲しいことを」


 悠莉の問い。

 その微笑みに、真正面から向き合う。


 心の中で混沌こんとんとした様相をかもしている感情を全部ひとまとめにして凝縮し、悠莉に伝えるための言葉へ変換して、送り出す。


 胸の奥が酷く苦しい。

 舌の根は乾いて、悠莉の姿以外が目に入らなくなる。

 乱れそうになる呼吸を必死に耐えて、汗ばんだ背中の感覚を追い出して。


「――悠莉のことが好きだ。俺と付き合って欲しい」

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