第18話 このぬくもりに浸っていたくて


 夢を見ていた。


 私の祖母が生きているときの、昔の記憶。


 小さな白い髪の少女が、老年の女性に頭を撫でられている。

 それは昔の私と、亡くなった祖母。


「ユーリの髪は綺麗ねぇ……」


 そう言って、祖母が私の髪を撫でる手は優しかった。

 昔の私は祖母の手に身を委ねて、心地よさそうに目を細めている。


 祖母の髪色もまた私と同じように白にほど近く、瞳の色も澄んだエメラルドグリーンだ。

 私より美しくつややかな髪も、澄み切った瞳も、私の憧れだった。


 祖母は北欧系の出身。

 私はクォーターに当たり、遺伝によってこの髪と目を受け継いだ。


「ねえ、ユーリ」

「なあに?」

「ユーリはその髪、好きかい?」


 祖母は簡潔に聞いた。

 その表情はどこか申し訳なさそうで、どこまでも優しい。


 祖母が何を考えていたのか、今なら全部ではないにしろ推察できる。

 けれど、そんなことを昔の私が知る由もない。


「うん! 私、この髪も、目も、好き! おばあちゃんはもっと好き!」


 無邪気に、昔の私は答える。


 一瞬だけ祖母は頬を強張こわばらせたが、それをすぐに隠して、


「……そうかい。あたしも好きだよ、ユーリ」

「わぷっ」


 祖母は私を抱きしめ、背を撫でた。

 顔を胸に埋めて、全てを委ねる。


 細く長い祖母の髪が頬に当たってこそばゆかったのを、今でも覚えている。

 心臓の鼓動が心を落ち着かせるのも、祖母の体温が温かかったのも。


 そして、それを最後に。


 夢の終わりを告げるように、世界が白く染まっていった。



 ■



「……夢、ですか」


 ぼんやりとかすみがかった意識。

 温かな布団にくるまったまま、静かに呟いた。


 部屋はすっかり暗くなっている。

 空に昇った満月に近い大きさの月、淡い月光が窓から差し込んでいた。


 僅かに汗ばんだ背、肌着が張り付く感触が気持ち悪い。


 しかし、そこでふと寝る前のことを思い出し、


「……楠木さんは」


 繋いでいたはずの手はどこにもなくて、私がお粥を食べるのに使った食器もサイドテーブルからなくなっていた。


 楠木さんが片付けてくれたのでしょうか……全部まかせっきりにしてしまうなんて、後でしっかりお礼をしないと。


 それから、繋いでいた手へ意識が移る。


「……温かかったです、楠木さんの手」


 左手に残る温度。

 融け合ったそれが、私に昔の夢を見せたのでしょうか。


 孤独には、もう慣れたと思っていた。

 本の世界に閉じこもるのはとても楽で、孤独を恐れた私は都合のいい世界に依存していたのだろう。


 でも、だったら――楠木さんが来ても追い返せばよかったのに。


 出来なかった。

 それどころか、私は心のどこかで誰かが……楠木さんが来てくれることを願っていたのかもしれない。


「熱だから、でしょうか。いつもより……寂しいです」


 そこにいたはずの影を目で追って、独りごちる。


 ぽっかりと胸に穴が開いたかのような感覚。

 いつもより部屋が広く、夏前なのに寒く感じて、布団の中で両腕を合わせてさすった。


 時計を見てみれば、示す時間は七時過ぎ。

 一時間半ほど眠っていたようだ。


 薬を飲んだおかげか、熱は多少下がった気もする。

 身体の調子も幾分か楽になった。


「……調子がいい間に汗だけでも流してしまいましょうか。ですが、もう少しだけ――」


 このぬくもりに浸っていたくて、私はまたまぶたを降ろした。



 ■



 土曜日の昼、昼食を楓と二人で食べていると、盛大にくしゃみをした。


「……お兄ちゃん風邪? 珍しいね」

「うるせえ」


 ずび、と鼻をすすりながら、呑気に笑う楓に答える。


 もしかして、本倉の風邪がうつったのか?

 そんなに一緒にいたわけじゃないはずなんだけど……まあ、休みでよかったと考えるべきか。


 まだ土曜、明日のうちに治せば問題ない。

 適当に寝ておけば大丈夫だろ。


「そいえば金曜日は帰り遅かったけど、どっかいってたの?」

「ん? ああ、ちょっとな」

「……ふぅん? その反応、怪しいね。彼女さん?」

「なんでそうなるんだよ」

「あれ? 否定はしないんだ」

「肯定もしてないだろ」


 事実を捻じ曲げるんじゃない。

 しかし、その返事に楓は納得しなかったらしく、うーんとしきりに首を傾げていた。


 実際、俺は嘘を言ってないからな。


「あ」

「なんだよ」

「いや、先週の土曜日もどこいってたのかなーと思って」

「普通に出かけてただけだよ」

「そうかなあ……あの気合の入り方は普通じゃない気がしたけど」


 こいつ……妙に目敏めざといな。

 気合が入っていたかはさておいて、普段よりも気を使っていたのは認める。


「なあ」

「なに?」

「俺、そんなに最近変か?」

「うーん……変っていうか、怪我の前に戻ってる感じ? まだ完全体じゃないけど」

「完全体って、俺はなんなんだよ」

「人体実験の研究所から逃げ出してきたキメラ?」

「間違っても兄……ってか人間相手に言っていいセリフじゃないだろ」


 どうなってるんだ楓の思考は。

 俺はまだ化物じゃないぞ。


「まっ、恋の悩みなら自称恋愛マスターの楓ちゃんに相談してねっ」

「自称かよ」


 俺のつっこみは聞かずに、楓はリビングを去っていった。


「……恋の悩み、ねえ」


 ふと呟いて、そんなわけないと切り捨てて。


 思い浮かんだお見舞いのときの記憶を振り払い、食器の片付けを始めた。

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