3.2 図書館
ご飯を炊いてからリビングのソファーで何もせずに横になっていると、家の外で車の音がした。お母さんの車かな? メッセージに返事が来てから二十分ほど経っていた。
僕が玄関のドアを開けると、お母さんは大きく膨らんだエコバッグを三袋も運びながら歩いてきた。
「遅かったね」
「ごめん、お腹すいた?」
「ううん、大丈夫。ちょっと遅いなって思っただけ」
お母さんは仕事のあとに、少し遠くの大型スーパーに寄っていたみたいだ。エコバッグを二袋受け取って、キッチンまで運んだ。お母さんはすぐに、簡単に調理できる麻婆茄子を作り出した。僕はエコバッグから生鮮食品を取り出して、冷蔵庫に詰めていく。
「今日は学校でプリントもらってきた」
「そっか。本は借りてきたん?」
お母さんは、僕がいつも学校の図書室から大量に本を借りてくることを知っている。そして、親子揃って読書好きなので、僕の家族は読んでいる本の話を良くする。
「ううん……」
「珍しいな」
さすがに、図書室で見つけたノートを盗んできたとは言えなかった。
お父さんはしばらく出張で家にいない。お姉ちゃんは今日から部活の合宿だそうだ。なので、僕はお母さんと二人で即席の麻婆茄子を食べた。
食事中、僕はノートのことを考えていたせいでずっと黙っていたので、具合が悪いのか心配されてしまった。
食事が終わり、食器を洗って、自分の部屋に戻ろうとすると、リビングでテレビを見ているお母さんが聞いてきた。
「お母さん、明日図書館行くけど、一葉も行く?」
僕は無条件反射のように、何も考えずに、
「うん」
と言っていた。
◇ □ ◇
部屋に戻ると、僕はノートを開けずにベッドに寝転がると、星のない夜空を窓越しに見上げていた。
「マフィンさん。やっぱりこのノート、児玉さんに返した方がいいよね」
マフィンはゴロゴロと喉を鳴らしている——もちろん答えはくれないけれど、いつも相槌だけは打ってくれる。マフィンさんのその相槌に僕は、
「そうだよね……」
とつぶやいた。
僕はノートをリュックにしまうと、できるだけノートのことを考えないようにするために、お気に入りの本を本棚から出して読みだした。けれど集中できなくて、内容が全然頭に入ってこなかった。
お風呂に入っても、沙樹さんがあの後どうなったのかずっと気になって仕方なかった。
部屋に戻ると、できるだけ早く眠れるように、スマホを手の届かない机の上において、部屋を暗くして、ベッドにうつ伏せになった。ネットの記事で、うつ伏せになると寝つきが良くなると読んだことがあったからだ。
眠れないだろうと思っていたけれど、それなりに疲れていたのか、あっという間に眠りに落ちていた。
◇ □ ◇
次の日、お母さんが僕を呼ぶ声で目が覚めた。
「一葉、図書館行くよ!」
起き上がって、スマホを見るともう十時過ぎだった。
すぐに学校に行ってノートを返したいと思ったけど、無理だった。今日からゴールデンウィークだ。すっかり忘れてた。学校は閉まっている。もちろん図書室も開いていない。つまり児玉さんにはしばらくの間、会えない……。
「今行く!」
急いで服を着替え、リュックとスマホを掴み、僕は部屋を出た。
階段を降りると、お母さんは玄関で座って待っていた。お母さんの横には先々週に図書館に行ったときに借りてきた本が入った袋も置いてある。
「おはよー」
僕はまだ眠気が取れずに、気の抜けた声で言った。
「はい、おはよう」
お母さんは、袋に入った数個のおにぎりと水筒を僕に差し出す。
「ありがとう」
「寝癖ひどいなぁ。どうやって寝たらそんなんになるん?」
お母さんはそう言いながら、僕の頭に帽子を被せた。外に出ると太陽の光に目が眩んだ。
図書館までは、お母さんが運転する車で行く。僕は眩しいのが苦手なので、後部座席に座って、帽子を深く被り直した。
道路はゴールデンウィーク初日ということもあって、いつもより混んでいた。三十分ほどかかって図書館の駐車場に着くと、本の入った袋を持ってエントランスに向かった。図書館は五階建てで結構広い。
図書館に入ると、本屋とは違う図書館独特の匂いがした。僕はこの匂いが好きだ。僕は返却カウンターに向かい、お母さんはこの頃夢中になっているケーキやパンのレシピ本のコーナーがある二階に姿を消した。お母さんとはいつも一時間後にエントランスで待ち合わせすることになっている。
問題なく本を返却すると、僕は定位置である一階の奥にある海外小説の書籍コーナーに向かった。
本を探し出して三十分ほどしたころ、僕はふと痛みについて知りたくなって、医学書のエリアに行くことにした。
普段は立ち入らないエリアなので、何がどこにあるのかよくわからない。ゆっくりと本棚から本棚へ移動していると、妙に聞き覚えのある声が聞こえてきて、僕は足を止めた。
声の主は僕のいる本棚の反対側にいるらしい。本の隙間から覗くと、そこには特に見覚えのない背の高い男性の姿があった。
「気のせいか……」
僕は小声で呟いた。そして、本探しに戻ろうとした時、その男性の声がまた聞こえてきた。
「そっか、今日は無理か……」
あれ? やっぱり聞き覚えがある。そうか、思い出した。この人、図書館の向かいにある美術館で働いている人だ。何度か見かけたことがある。
「ごめんなさい。あれ、今すぐは……ちょっと返せないの」
僕は謝っている女性を見て、息が詰まりそうになった。児玉さんだった。
「そっか、仕方ないね。じゃあ、まあ急ぎじゃないし、戻ってきたら連絡くれるかな」
「もちろん。ちゃんと連絡するわ」
「じゃあ、また」
「いってらっしゃい」
「そっか。いってきます」
男性はがその場を去る。僕は、罪悪感でいっぱいだった。二人はあのノートのことを話していたに違いない。
ノートはリュックに入っている。児玉さんに返そうと、本棚の反対側に行ったけれど、もうそこには児玉さんの姿はなかった。
図書館中を歩き回り、僕は児玉さんを探した。本棚は高く、遠くを見通すことができないので、なかなか姿が見つからない。もしかして、もう帰ってしまったんだろうか?
僕は児玉さんの連絡先なんて知らないから、今日児玉さんを見つけられなかったら、次の登校日まで、児玉さんに会うことなんてできないだろう。
僕が焦っていると、ポケットの中でスマホのバイブが鳴った。
『今どこ?』
お母さんからだ。時間を確認すると、もうお母さんとの待ち合わせの時間を十分も過ぎていた。
———————————————————————————
『今どこ?』
『ごめん』
『もうちょっと本探したいから、今日は自分で帰る』
『財布ちゃんと持ってきた?』
『うん』
『今日暑くなりそうやし、電車で帰るんやで』
『わかった』
『じゃあ、お母さん。用事があるから、行くな』
『わかった』
『気をつけて帰ってな』
『はーい』
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スマホをポケットにしまうと、再び児玉さんを探し出した。
僕は必死になっていた。図書館だから当たり前なんだけど、右も左も本だらけで、なんだか目がチカチカして、クラクラしてきた。一階から探し出して、いつの間にか最上階まで来てしまった。最上階の一番奥のにある学習コーナーを覗いてみても、児玉さんの姿はなかった。
「こんなところにはいないか……。やっぱり、もう帰っちゃったのかな?」
ため息をついた僕の背後から声がした。
「どうしたの、誰かとはぐれた?」
振り向くと、その声の主は児玉さんだった。
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