10.4 その後

——終わってしまった。


 僕は、何も書かれていないページをめくった。

 最後のページにたどり着くと、うつむいたままノートを閉じた。


「あの、ハルカさん」


 ちゃんと話したいのに、言葉が出ない。


「一葉くん、大丈夫?」

「えっと。このあと、いや……。あの、ノート、最後まで読みました」


 このあと沙樹さんに何があったのか知りたい気持ちと、このまま彼女の気持ちだけを知って終わりにしたい気持ちに、僕は板挟みになっていた。


 作業机に置かれたハルカさんのスマホからバイブ音がした。


「このノートはちゃんと直さんに届いたんですよね」


「うん、届いたよ。私がポストに投函したの。

 元々直に渡して欲しいって沙樹に頼まれていたし、そのノート、ちゃんと封筒に入ってたの。直宛になってて、住所を書いて切手まで貼ってあった。あの朝、沙樹が酷い発作を起こして、直が慌ててみんなを起こしてね、救急車が呼ばれたの。

 私は前日に沙樹の誕生日を祝った後にひどく疲れてしまって、そのまま沙樹の家に泊まっていたから、救急車が来たときには私も沙樹の部屋にいた。沙樹が部屋から運び出されて、みんなが沙樹の部屋から出て行ってすぐに、ベッド脇のサイドテーブルに置いてあった封筒を見つけたの。直接手渡しすればよかったのかもしれないけど、あのときは気が動転していて、気がついたら、病院前にあるポストに投函してた。

 封筒には中身までは書いてなかったから、ノートが入っているかは半信半疑だったけれど、直からノートを受け取ったときにもノートが封筒に入っていて、「この封筒、ハルが投函したの?」って聞かれたから、私が投函した封筒にノートが入ってたって分かった」

「救急車? もしかして、沙樹さんは……」

「うん、あの日、沙樹への蘇生処置は止められなかった。沙樹、死ねなかったの」

「……。死ねなかった??」

「ごめん、言い方が悪いわね。あの朝、沙樹は生死をさまよった。心肺蘇生されて、持ち直して、でも、意識は戻らなかった。そのまま、二年前の冬まで、沙樹は病院のベッドで眠り続けた。

 五年間ベッドの上で、沙樹はずっと、とても苦しそうだったけれど、誰にもどうすることもできなかった。悔やんでも悔やみきれない。

 沙樹は蘇生を望んでいなかったのに……願いを叶えてあげられなかった。

 あのとき沙樹をそのまま放って置くことはあの場に居合わせた誰にもできなかった。

 いや、違うな。空だけが今までにないほど大きな声をあげて、やめて! 蘇生しないで! さっちゃんを自由にして! ってって叫んでた。けど、私は、沙樹の気持ちを知っていたのに、沙樹から気持ちを聞いて、分かったって言ってたのに、声を上げる勇気すらなかった」


 また、ハルカさんのスマホからバイブ音がした。ハルカさんがスマホに目線を向けた。


「外に出よっか」

「はい」


 美術館のエントランスホールに戻ると、ハルカさんはトイレに向かった。


 閉館時間が近づいているのか、エントランスホールには数人しか人がいなかった。


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