8.2 92〜96ページ目 箱根旅行 三日月

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 三月二十三日から二十五日


 LIFE:


 春休み。


 一度病院に入院したら、そう簡単にハルと旅行なんてできないと思ったから、私は無謀な旅を実行に移した。


 私は春休みの三日間、ハルの家に泊まりたいと言って両親を説得した。


 どうしてこれほどに、親のいない旅行に行きたいのか自分でも分からないけれど、日を追うごとにその想いは強くなっていった。


 この計画を実行するために両親に嘘をつく時よりも、ハルを誘うときの方が不安だったかもしれない。


 私がハルを説得したのは病院に入院する日が決まってからすぐのこと、この旅行は誰かの思い出に自分が残って欲しいと言う思いが強かったから、ハルに断られたら終わりだった。


 ハルを説得するためには、何度も話をしなければならなかったけれど、ハルが賛成してくれてからは私が思っていたより、何もかもスムーズに進んでいった。


 まず、ハルはハルの両親に私の家に泊まると言えばよかった。ハルは今までも何度も泊まりに来ていたので、怪しまれることはなかった。私がハルの家に泊まりたいと親を説得するときには、ハルも一緒にお願いしてくれたおかげが、想像していた以上にすんなりと了承してくれた。


 旅行の予約や下調べは、私がやりたいことを伝えると、昼間の間に細かな計画をハルが立ててくれた。ホテルの予約や現地までの移動方法、細かな旅行行程表まで作って、問題ないか確認してくれた。


 ☆   ☆   ☆


 旅行当日、夜に私が目覚めると、早速計画が実行された。


 私とハルは私の家の近くで待ち合わせた。そこからタクシーで新宿駅まで行く予定だったけれそ、待ち合わせ場所に着くと、ハルと拓さんが待っていた。


 どうやったのかはわからないけれど、ハルが拓さんを説得したらしく、拓さんの運転する車で新宿駅に向かうらしい。


 新宿駅に着くと、箱根湯本駅まで乗り換えなしで行ける特急列車に乗るには少し遅かったので、途中で乗り換えが必要になった。約二時間の電車の旅だ。


 私には、電車が駅を通り過ぎるときにしてしまうことがある。

 歌を歌うこと。

 騒音に紛れて他の人に聞こえないから、結構大きな声で歌う。


 この日も、駅のホームにいるときに目当ての電車以外の電車が目の前を通り過ぎるたびに、私は歌を歌った。


 隣にいるハルだけにははっきり聞こえたようで、ハルの方が周りを気にして慌てていた。


 目当ての電車に乗ると、大都会の喧騒がまるで幻想のように消えて、あっという間に、静かな緑あふれる景色に変わっていった。夜なので景色は遠くまでは見えないけれど、別の世界に行けるような錯覚に陥る。


 電車に乗ってしばらくすると、動けなくなる前にプレミアチケットを使った。


 駅に着いたのは十時半過ぎだった。


 箱根湯本駅の駅舎は想像していたよりも大きく、一、二年前にリニューアルされたらしく、明るく開放的な造りになっていた。


 駅の近くにホテルを予約していたので、ホテルに直行した。


 泊まった部屋は和室で、到着が遅かったにもかかわらず、夜食を出してくれた。食べ終わる頃には疲れも少し取れて温泉に入る元気が出てきた。


 展望台浴場があるホテルだったので、落ち着いたら温泉に入りにいった。ハルと一緒にいったけど私は思ったよりも早くのぼせてしまったので、部屋に戻ってゆっくりした。


 部屋に戻るとすでに布団が敷かれていて、布団に入ると、気が付いたら眠っていた。朝、目覚めると、まだ日も昇っていない時刻だったので、窓のそばにある一人掛けのソファーに座って、朝日が昇ってくるのを待った。


 日が昇り切るとハルも目を覚ましたので、朝食を食べると出かける準備をした。


 午前中に、バスで箱根関所跡まで移動した。歴史にはうといので、さらっとまわって見て、芦ノ湖の箱根町港で船に乗り、その後桃源台港で下船して、ロープウェーで大涌谷駅まで移動して、名物の黒たまごとお昼ご飯を食べてお土産を買った。それから早雲山駅まで移動してケーブルカーで強羅駅へ向かい駅に着くと、美術館やカフェに行った後に、陶芸体験に参加してマグカップを作った。あっという間に夕方になった。


「あーーー! 楽しかった! 帰ろっか」


 私は、リュックを背負うと歩き出した。けれど、ハルはベンチからに座ったまま動かない。


「もう一泊してくよ」

「でも……」


 ハルが私の手を引いて、近くのペンションに向かって歩いていく。そのペンションの駐車場に私は見慣れた車を見つけた。拓さんの車だった。


「ハル、もしかして」


 ペンションの中から、予想外の人が出てきた。


「さっちゃん! 楽しかった?」


 空だった。


「うん。ごめん、みんなに言っちゃった」

「みんな?」


 ハルは何かあってから人を呼んでも遅いと思って事前に二人だけじゃなく、私とハルの家族全員に旅の詳細を教えていたらしい。ペンションに入ると直と拓さんが迎えてくれた。今朝ホテルに預けた私とハルの荷物もペンションに届いていた。


 夜ご飯はチーズフォンデュだった。今日の話をしながら、みんなで鍋を囲んでパンやソーセージ、柔らかく蒸された野菜などにチーズを絡めて食べる。なんと、三人は昨日の夜も私たちと同じホテルに泊まっていて、今朝は早起きして私とハルの行き先にできる限り先回りして様子を伺いつつ、観光していたらしい。ちょっと怖いな、全然気が付かなかった。


 ご飯の後には、みんなで談話室にあったトランプで遊んだ。朝が早かったので、十二時ごろにみんな部屋に向かっていった。ハルは私の隣であっという間に寝息を立て始めたけれそ、私は全然寝付けなかった。


 一時間ほど経っても眠れないので、誰もいないペンションの談話室でソファーに座っていると、空が現れた。空は何も言わずに自動販売機でミルクティーを二缶買うと、一缶を私に差し出してきた。


「ありがと」


 空は向かいのソファーに座った。


「さっちゃん、寝れないの?」

「うん。なんか、私ほんと、どうしてこんなに足掻あがいてるのかなって。迷惑ばっかりかけてさ……」


 空は缶のフタを開けると、少しだけミルクティーを飲んで、私の目を見た。


「さっちゃんはさ、なんでも深刻に考えすぎなんだよ。みんなさっちゃんを幸せにしたいとか楽にしたいとか、守るためとか、そんなことのために一緒に居るんじゃないよ。ただ好きだから一緒にいるんだ。だから無理しなくていいんだよ。

 それに、嘘なんかつかなくても、お母さんやお父さんは旅行を許したと思うよ。二人とも今日旅行に来れないこと、すごく残念がってたけど、お姉ちゃんが旅行したがってることにはずいぶん前から気がついていたみたいで、旅行雑誌まで買ってたんだ」


 弟にまで気を使わせてる私は結局、困った手のかかる子どもなんだね。


 空はいつの間にか、私が思っていたよりもずっと大人びてきていた。今までできなかったような人生や親についての話をいつの間にかできるようになっていて、なんだか少し寂しいような気もした。


 しばらく話をした後に「これからのことはちゃんと考えて、空が好きなことをしてね」と言うと、「僕は今までずっと自分がしたいと思ったことしかしていないよ。だから大丈夫」返されてしまった。さすが我が弟、我が姉が似たようなことを言っていた。


 窓の外を見ると月が輝いていた。月明かりの下、ペンションの庭にあるベンチに座っているハルが目に入ってきた。もう午前三時を回っている。「ハルのところに行く」と私が言うと、空は部屋に戻っていった。外に出ると、庭の真ん中まで歩いていってから、振り向いてハルを見た。


「目が覚めたら、寝れなくなっちゃって。今日は満月まんげつじゃないんだ」


 ハルは少し残念そうに言った。


「そっか、でも、私はこの月も好きだよ。更待月ふけまちづきかな」


 私は月明かりが一番眩しい場所を選んで立つ。


「満月なんて、たまにしか見られないんだから、二日月ふつかづき三日月みかづき上弦じょうげんつき十三夜月じゅうさんやづき小望月こもちづき十五夜じゅうごやつき満月まんげつで、十六夜月いざよいづき立待月たちまちづき居待月いまちづき寝待月ねまちづき更待月ふけまちづき下弦かげんつき二十六夜月にじゅうろくやづきけの三日月みかづき。全部楽しんだほうがお得でしょ!」

「沙樹が月に詳しいなんて知らなかった」

「この前プラネタリウムに行ったときに覚えたんだよ。他にも名前があったと思う」


 ハルはまた夜空を見上げた。私も月をもう一度見上げる。


「ねえ、ハル。いいことばっかり起こって、感謝しきれない時ってさ、どうすればいいんだろうね」


 私の問いに、ハルが笑顔で答えた。


「え? そんなの、笑顔でありがとうって言えばいいんだよ」


 そっか。ハルは挨拶や短い言葉をとても大切にしている。


「ハル、ありがとう!」


 私の笑顔はハルに届いただろうか。


 この瞬間が愛おしくて終わって欲しくなんてないのに、急に目眩がして世界は色を変え、私は気を失った。


 目を覚ますと家の自分の部屋のベッドに横たわっていて、ベッド脇には箱根旅行のお土産の袋が並んでいた。




 Will and statement:

 これ以上望んだら、バチが当たるよね。

 

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