5.2 51〜53ページ目 生と死

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 十二月三日


 LIFE:


 別れは突然やってきた。


 今日、私はもう、何もしたくない。


 たった数十分前まで、自分がいなくなった後のことを平然と考えていた人間とは思えないほどに私はもがいていた。


 さっき、見慣れた封筒に入った手紙が郵便受けに届いた。


 速達で、スイスからのエアメールだ。

 マティアスからの手紙のはずなのに、封筒に書かれた宛名と宛先がいつもの筆跡ではない。

 だから、封筒を開ける時点で、嫌な予感がしていた。私の手は震えていた。


 中には、二通の手紙が入っていた。


 とても丁寧な字で書かれた手紙だった。


 一通はマティアスから。

 もう一通はマティアスのパートナーの女性からのものだった。


 マティアスからの手紙には、ありがとうが、いっぱい書いてあった。


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 Thank you so much for sharing your life.

 Thank you so much for sharing your time.

 Thank you so much for sharing enormous pain.


 Thank you so much for understanding my decision.


 I had a wonderful and beautiful life.



 あなたの人生を共有してくれてありがとう。

 あなたの時間を共有してくれてありがとう。

 耐え難い痛みを分かち合ってくれてありがとう。


 私の決断を理解してくれてありがとう。


 素晴らしく美しい人生を送れました。

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 スイスでは安楽死を合法的に行える。


 だけど、マティアスは安楽死を選ばなかった。


 彼が望めば、もっと早くに痛みのない世界に行くことだってできた。けれど彼はその道を選ばなかった。


 彼には三歳になる息子がいた。

 去年の夏に、マティアスをそのまま小さくしたような男の子とマティアスが一緒に湖の辺りで遊んでいる写真を一枚送ってくれた。


 彼は一分一秒を惜しんで、懸命に生きた。一日の内たった数分だけでも、できるだけ長い年月、父親として生きられるならと、息子が生まれてからはプレミアムチケットを使うこともなかったと、パートナーの女性からの手紙に書いてあった。小さな命が、彼を死から遠ざけていたんだ。


 死と直面して、どうしてこれほどに穏やかな手紙が書けたんだろう。


 私はマティアスのように強くなれるだろうか?

 たとえ、自分でいられる時間が、一日に一分、一秒になっても、この世界にしがみつけるだろうか……。そして、たとえしがみつけたとしても、私には一体、どれだけの時間が残されているんだろうか。


 私は、今はまだ、うまく考えることができない。


 世界でたった一人、私の痛みを『わかるよ』と言える人がいなくなってしまった事実を、受け入れることができない。


 だけど、マティアスには死を——Death dayを祝って欲しいと言われていた。

 

 だから、昔、彼にもらった手紙に書いてあったとおり、私は彼にこの言葉を捧げる。



『マティアス、 Death day おめでとう。


 そして、


 さようなら。


 あなたが痛みのない世界にたどり着いていること祈ります』




 Will and statement:

 私が死んだら、死んだら……

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