スケール4

4.1 31〜33ページ目 ペインスケールの重み

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 LIFE:


 十月二十二日


 ずっと、病院は第二の我が家だった。


 私にとっては、先生も看護師も、カウンセラーの方は(ここに名前は書かないでおくけれど、みんな親しくしてくれている)遠くの親戚よりも近い、優しく少しおせっかいなお馴染みの人ばかりで、病院にいれば、極端に気を使うことをせず私のことを(つまり病気のことを)話すことができるだけでも、ありがたいと思っている。


 入院は検査入院も含めれば、『もう数えるのはやめたわ』とお母さんが言うほど、今まで何度も繰り返してきた。でもお母さんが私に言わないだけで、日記に私のことをとても細かく書いているのを私は知っている。


 そして、病状が安定しているときには通院になる。通常毎週一回、一回にかかる時間は数十分から数時間ほど。その時の私の状況に応じて変わる。


 生まれて間もなく、私が夜中に動かなくなることにお父さん気がついたときからずっと、この生活が続いている。稀な病気であるにもかかわらず、家の近くにたまたま私のことを診られる病院があったことは幸運なことだった。セカンドオピニオンを求めて、別の病院でも調べてもらったけれど、結局ここでの診断をくつがえせるような病院はどこにもなかったし、ここ以上に私に合った病院はないと思う。


 ところで、病院を嫌がる人は結構多いと思うけれど、私は注射や採血、各種検査は——時間がかかることを除いては——さほど苦痛ではない。


 けれど、私はペインスケールが苦手だ。精神的にキツイというべきかもしれない。


 ペインスケールというのは、痛みの強さを示すときに使うもので、患者が痛みを医師などに伝えるときに使う。私はいつも頭の中で勝手に「痛みの秤」と訳してしまう。


 私の場合、実際に症状が出ているときには動くことも他人と意思疎通をとることもできないので、答えることができない。なので、通院時にいざ、ペインスケール(痛みの段階を表す定規のようなもの)を目の前に出されても、私は指さすことができずにいた。


『痛みの段階が0から10段階に分割されているもの』、『痛みの強さを段階で示さず、横に線を引き左端を<痛みがない>、右端を<想像することができる最大の痛み(いままでで一番の痛み)>として、その線上の位置で痛みの強さを表すもの』、『六つの表情(笑顔から顔を歪めて涙を流している表情まである)から一つを選ぶもの』、 他にもあった。とにかく、あらゆる方法で試したけれど、私はどれも指をさせなかった。


 一点を指すことができなかった。


 とても役に立つものなのはよく分かるけれど、でも、痛みの本質は感じている本人にしか分からなくて、つまるところ、特に私のように痛みが極限だと毎回感じる人間にはスケールではなかなか表せないものがある。他の人と比べることなどできないし、スケールを使うときには比べる必要もない、自分の感じる痛みの強さを表せばいいのはわかっているけれど、でも、心がざわざわと騒ぐように揺れる。


 最大値を指差してもいいのだろうかと、ずいぶん長い間自問自答した。これ以上の痛みがありうるとしたら、死を意味するんじゃないのかとさえ思った。心も身体ももう十分に痛いのだから。


 それに、私が毎日何時間も、耐え難い痛みを感じていることを知ったら、お母さんやお父さんはきっと辛いだろう。それでも、最大値を指すべきなんだろうか。そんなことを考えてしまった。誰も悲しませたりしたくはなかった。


 けれど、「無理に答えなくてもいいよ」と先生が言ったときに——どこか諦めがついたというか、迷いが吹っ切れて、私は病院に行くたびにペインスケールの同じ場所を指さすようになった。診察室のドアの近くの棚に置いてあるペインスケールを無言で指さす。


 線上の一番右端の部分——そう、最大値のところ——を指さすことに決めた。いつか、この痛みが和らいで、別の場所をさせるようになったら、みんなに私は良くなっているのだと伝えられると思ったから……。


 でも、何年経っても、私は同じ場所を指さしている。


 私はペインスケールの重みについて……考えすぎたんだと思う。なぜかというと、安楽死という可能性について考えたとき、——たとえ今の日本で安楽死が認められていないにしても——このスケールで表しているのが私にとっては命の重さに思えたから。


 最大値を指さすようになってからも、ペインスケールを命の秤のように感じてしまっていた。最大値を指すことで『私は死にたい』と伝えてしまっているのではないかと……。


 大切な我が家である病院が、いつか死刑宣告後に入る監獄に変わってしまいそうで、私はひどく怖かった。




 Will and testament:

 私の伝え方が悪くて、先生や看護師、カウンセラーの皆さんにはたくさん迷惑をかけました。考えすぎはいけない。けれど、私には無理でした。もっとツールとして上手に使えたら良かったと思っています。

 私の機嫌が悪い日も、お喋りすぎてうるさい日にも、辛抱強く接してくれてありがとうございました。皆さんはとても素晴らしいです。自分以外の人のために膨大な時間を使っている皆さんを、私は尊敬しています。


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