4.5 42〜47ページ目 愛

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 バースデーパーティーも終わりに近づいた頃、何が起こったかは、あまり書きたくない。

 けれど、ここまでこのノートを読んだあなたなら、きっと想像できるはず。


 そう、現実は甘くなくて、私は突然動けなくなった。

 夜、九時前。

 予想通りの時刻だった。


 私は今日のバースデーパーティーのことをちゃんとお母さんに伝えてあったし、可能なら、自力で家に帰る予定だったけれど、迎えにきてくれるように段取りもつけてあった。


 けれど、いつも通りに症状の出た私は、痛みの中に閉じ込められて外の世界とは意思疎通がまったくできなくなったので、おそらく予定していた通りにお母さんが拓さんのアパートに迎えに来てくれたのだろう、次の日の夕方に私は自分の部屋で目を覚ました。


 私がはっきり覚えているのは、バースデーケーキを食べ終わって、ボードゲームをみんなでしていたところまでで、その後の記憶は、全身を刺すような痛みの海に落とされたような感覚が続いているだけで、どうやって誰に家に連れて帰って来てもらったかさえ分からなかった。

 

 目覚めた私の視界に、見慣れた自分の部屋の天井が入ってくる。服はいつの間にかパジャマに着替えさせられていたけれど、汗でぐしょぐしょになっていた。自分の部屋で目覚められたので安心感はあったけれど、はっきり言って、楽しかった昨日の出来事はまるで夢のようで、本当に起こったことなのか、今朝のうちに携帯に送られてきていた昨日ハルが撮ったパーティー中の写真を見るまでは、現実味が湧かなかった。


 私は数ヶ月前から、夕方になって目覚めると、ベッドに横たわったまま天井を見上げて、数年先の自分を思い描いては、どの程度一日の長さが短くなっても自分らしく生きていけるのだろうと考えていた。


 けれどこの日は余計なことは考えたくなくて、このノートにできる限りの思いとともに、今までの出来事を書いて過ごした。


 この日の夕飯には、私の好きな物ばかりが出てきた。それも、食べきれないほどの量だった。お母さんは、私の具合が悪化したような兆候があると、精神的なショックから逃げるように、私の好物を無意識に大量に買ってきたり、作り続ける癖がある。


 昨日私を迎えに行ったときに、私の症状が相当悪く見えたのかもしれない。


 お母さん、心配ばかりかけてごめんなさい。


 ☆   ☆   ☆


 直のバースデーパーティーから、半月の時が流れた十一月の半ば、学校の自習室の外にあるイチョウの木が黄色く色づいていた。秋晴れで空は高く、散歩をしたら気持ちが良さそうな季節だけれど、吹く風は冷たく、自習室の窓は閉まっている。私と直は相変わらず、学校や直のバイトのない日には一緒に過ごしていた。そして私は直に色々なことを思いつくままに問いかけていた。


「あのさ、直は人生をどう過ごしたいと思ってる?」

「人生?」


 直がいつもの通り、質問の真意を探るように問いかけてくる。


 直は私が質問すると、いつもその意味をよく考えてから答えてくれた。


 それはきっと、私に対してだけではないことは分かっていたけれど、それでも私は丁寧に言葉を返してもらえることが嬉しかった。そうすることが、直の人に対する最大の優しさなんだと思った。


「それって、大人になって何をしたいとか、夢とかじゃなくて?」


 直は手を組んで頭の上に置いている。直は何かを考え出すと、手を組んで頭の上に置いて天井を見上げる癖があることに、その頃の私は気がついていた。そして、その仕草を見つめている自分がいることにも気がついていた。


「うん、違う。なんてうか、もっと長い期間スパンで考えたときにどこに向かっていきたいか。どんなふうに毎日を生きたら後悔しないか……」


 自分が問いかけたことなのに、いざ詳しく説明しようとするとなかなか上手く伝えられない。


「んーーー。俺は、そこまでは考えたことないな。そんな先が自分にあるかも分からないから、今を頑張るしかないよ」

「そっか。そうだよね……」


 私は質問が少し大袈裟というか、深刻に聞こえるかもしれない思っていたので、仕方がないとことなのだけれど、自分と同じようなことを考えている人に出逢いたいと思っていたので、考えたことがないと言われたときには、ほんのちょっとだけ悲しかった。


 私がこんなことばかり考えてると知ったら、直は引いてしまうかな? と思った。だから、

 少しして、直が「沙樹はどう過ごしたいの?」と聞き返してきたときには、素直に嬉しかった。けれど、自分の考えを口にした瞬間、全身に虚しさや悔しさのような感覚が襲ってきた。


「私は、どこかで諦めてるのかもしれない。そんな未来、私にはないんじゃないかって。昔はよく、ずっと先のことを考えてたんだけどな……」


 それから、ちょっと間を置いて言った。


「でも、そうだな。穏やかに長く生きれたらいいって。うん、そう思う」

「そっか、沙樹らしい答えだな」

「どういう意味?」


 直は答えを変化球で返してくることが多いから、本当の意味が簡単には分からないことがよくある。


「沙樹はいつも、病気や寿命について考えてるでしょ?」

「まあ、いつもじゃないけど、人よりはよく考えてるんだと思う」

「だからね。隣の芝生は青い。違うな……。ないものねだり、してるかなって……」

「ひどいな直、私そんなにすぐ死ぬとは限らないでしょ?」


 私は、少しふざけた感じで言い返したけれど、心がくじけてしまいそうだった。自分で自分の死について語るのと、人にはっきり長く生きられないと言われるのは、次元が違う。でも、直はすぐに私の解釈が間違っていることを伝えてきた。


「そういう意味じゃないよ。俺が特に違和感を感じるのは、『長く生きれたら』ってところじゃないんだ。沙樹はたとえ病気じゃなくても、は生きないよ」


「……」


「アクティブに、いいや、どちらかというと無鉄砲にかな。あと、長く生きるかもしれないけれど、そこには固執しない気がする」


 そうだ。私は病気じゃなかったら、余計なことなんて考えずに、今を突っ走るように生きていたかもしれない。そして、きっと、どこにでもいる高校生だっただろう。


「直ってさ、結構ズバズバ言うね。——でも、当たってる気がする。私は病気のことを考えすぎて、今をちゃんと見ることができなくなっているんだと思う」

「うん。だから、遠慮しないって決めたんだ。失礼かもしれないけど、なんだか、お世辞ばかり並べるよりちゃんとお互いのこと知れる気がするから」

「そっか」


 そして、直はどこか覚悟を決めたような口調で言った。


「遠回りする時間なんてないんでしょ?」

「うん」

「だから、言いたいことはすぐその場で言うし、聞きたいこともできる限り聞くようにするよ」

「うん。ありがとう」


 私はそう返事をしたものの、自分に残された時間がどれだけ少ないかまだ分かっていなかったし、理屈ではわかっていても、自分の死なんてなかなか想像できるものじゃない。そして、私は現実を受け入れなければならないときが、すぐそこに近づいてきていることに、まったく気がついていなかった。


 ただ、君の言葉はなぜか、ストンと心の中にうまく収まるように入ってくる。言葉のキャッチボールをこんなふうにできるのは、私にとっては、君が最初で最後の人だろうと思った。


 直の素直さが、ひたむきさが、私に現実と向き合う勇気をくれることを、このときの私は気づいてもいなかった。


 ☆   ☆   ☆


 直と私が二人で昼間に出かけるときには、私は『薬』を飲んでいたので、何かあったら、すぐ休んだり、必要に応じて助けを呼べるように、できる限り屋内の静かな場所を選んだ。


 駅の近くのショッピングモール、映画館、図書館、水族館、お互いの家、ハロウィーンのバースデーパーティー以降はハルや直の家で三人で勉強会を開いたりもした。


 映画館ではアニメやコメディーを見ることが多かった。現実から遠ければ遠いほど楽しめた。


 図書館では、大型の画集を見たり、子供の頃読んだ絵本を読むことが多かった。


 ハルが私の具合が悪くなるとよくフラリと現れて私を家に送っていった。


 直とハルが協力して、私を守ってくれていることに気づいてはいたけれど、気づかないふりをしていた。


 私はとても幸せで、何よりも時間を欲していた。


 ☆   ☆   ☆


 気がつくと、今年も残り一ヶ月。


 十二月一日の夕方に、直と私は、私たちが出会った公園で待ち合わせをした。


 夕方にだけ予定がある日には『薬』を飲まずに済むので、副作用がなく、とても過ごしやすい。


 その日の私は体調だけじゃなく特に気分も良くて、自動販売機で買った温かいココアを飲みながら、二人でベンチに座ってぼーっと夕日が沈むのを眺めていた。


 夕焼けが特に綺麗だったとか、特別な日だったとかそんなことはまったくなくて、本当にありふれた日の夕方だったけれど、私には忘れられない日になった。「ココア、おいしぃ!」と私が言った直後に、残照の残る空に向かって、直がつぶやいた。


「ねえ、沙樹は聞きたくないことかもしれないけど、言ってもいい?」


 そう言った直の声はなぜかどこか寂しそうだった。でも、悲観的な感じはなくて、とても穏やかにさえ聞こえた。


「そこまで言っておいて、言わないとかあり得る?」


 私がそう返事をしても、直はまだ言葉にすることを躊躇ためらっているように見えた。しばらくして、直が遠くを見つめるような目をして言った。


「きっと俺、沙樹より好きになる人には出会えないと思う」

「……何それ。適当なこと言って」


 私は足元に目線を落とした。


「いいや。これ、本気だから」


 直の方に向き直ると、真っ直ぐな思いを写す鏡のような瞳が私を見つめていた。まるで、嘘のつき方など知らない子どものようだった。だからこそ私は、直には誰よりも幸せになって欲しいと思った。だからこそ、嬉しいけれど、私の、私なりの、最大限の思いを乗せて……言葉を返した。


「じゃあ、私より好きな人を見つけてね」


 私の答えを聞いた、君のそのときの表情を、私は一生忘れないと思う。だって、あれほどに私を私のまま受け入れてくれる人にはもうきっと会えない。


「そんなの、絶対に無理だよ」


 直。君のその言葉だけで、私は一生分の愛をもらえた気がした。だから、君には誰よりも幸せになって欲しいと心から願って言った。


「無理じゃないよ。賭けてもいい」


 君は私の飲みかけのココアを奪い取って飲み干すと、君は何分ものあいだ、何も言い返さなかった。


「寒くなるまえに、帰ろうか?」


 沈黙を破った君の言葉は——私たちを包む冬の始まりの空気とは真逆で——とてもあたたかくて、私は涙がこぼれどうだった。


「うん」


 君に手を引かれて歩く。この道が終わらなければいいのにと、一歩進むたびに願った。


 この日はいつものT字路までじゃなく、私の家の前まで一緒に歩いた。


 ☆   ☆   ☆


 私はきっと、たとえ百年の時があっても手に入れられなかったかもしれない真っ直ぐで純粋な思いを、大切な君から受け取ることができました。


 そして、自分の中にある愛を知ることができました。……自分以上に幸せになって欲しい人がいるだけで世界はまったく違う色を放つんだね。


 私はこのとき、この世界を初めて愛おしいと思った。


 私がいなくなった後にも、私に関わったすべての人が私のことを頭のどこか片隅にしまったまま、それぞれの道を生きていくのだと想像するだけで、私が今ここにいることが無意味ではなく、それぞれの人の人生の物語に欠かせない一ページであるかのように思えた。




 Will and testament:

 直。物語のお姫様ならきっと永遠の愛を信じるけれど、私は一瞬の愛で十分だから、私との時間は、青春の一ページという名のよくある昔話にしてしまってね。



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