5.5 57〜60ページ目 月 雨 私の好きなもの
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LIFE:
十二月半ば。
せめてあと数年は、少ないなりにも自由な時間が過ごせると思っていた私の症状が突然悪化したのが、十二月の半ばのことだった。
原因はわからない。ただ単にこうなることが元々決まっていたのか、プレミアチケットや『薬』の影響があったのか、何も分からない。
けれど、このノートを書いて、食事をとれば今日は終わってしまう。それほどに、一日の長さが短くなってしまった。
☆ ☆ ☆
私は月を見上げるのが好き。
どこにいても、私はまだ、この
大丈夫だよと、強がってしまった日には、ひとりになると涙がこぼれてしまう。
もうすぐ自由を失うこの人生で、私は何を残せるのだろう?
何も残せないなら、今、何をすべきなんだろう。
☆ ☆ ☆
痛みの伴う時間は長くても、私に起きた幸せの数を数えれば、
もしかしたら、きっと幸せの数の方が圧倒的に大きくて、痛みなんて人生のほんの一部でしかないと思えるかもしれない。
幸せも、不幸も、痛みも、自由も、実態のないものだから、結局自分がどう思うかなのだから。
☆ ☆ ☆
私はできる限り毎日、散歩をしている。
家の周りでもいい。リリはそれでも十分に楽しそうだしね。
それから毎日写真を撮ることにした。
それはきっと、私の世界を偽りなく映し出してくれるだろうから。
☆ ☆ ☆
私の周りに居る人の心に残りたい。
居なくなっても、そばに居たい。
それは、私のわがままなのかな。
☆ ☆ ☆
私の症状が悪化したあとにも、『薬』を飲んでは、私があまりに無理をするので、手元にあった『薬』はお母さんに全部取り上げられてしまった。病院の先生も、処方箋を出してくれない。特殊な薬なので、自分の力では手に入らない。
『薬』は——私が学校だけは辞めたくないと言い張ったので——どうしても学校に行かなければいけないときだけ、お母さんが一つずつ渡してくれている。
プレミアチケットは、よく似た市販薬があるから、前に説明した理由で、私の手元に残っているけれど、いくら私でもプレミアチケットを毎日使う勇気はない。そんなこと、自殺行為だもの。
一度手に入れた自由を奪われるほど、つらいものはない。
『薬』なんて、元々なかったんだと思ってしまえば楽になれるのかな?
☆ ☆ ☆
数日前に私が、雨とかわいい柄の傘が好きだと言ったら、直は文字通り雨の日にかわいいターコイズ色の傘を持って私の家までやってきた。晴れの日も好きだけれど、雨の日は心が落ち着く。
傘をさして、直と散歩に行った。リリも一緒だ。リリのお散歩紐は直が握っている。
「ねえ、直は私と同じ状況だったら、したいことある?」
「うーん……。そうだな。沙樹の状況って、なかなか上手く自分に置き換えて考えることはできないけど……。できる限り、自分を残したいかもしれない。でも、本当に時間が限られてるなら、残り少ない時間しかないなら、家族や友達が笑ってるのを見られたら、それだけでいいのかも……」
そうだね。私も、みんなの笑顔が見たい。でも、どうして先のことばかり考えちゃうんだろう。
「私は何がしたいんだろう……」
「雨が降ってるから、かわいい傘をさして散歩したいんだと思ったんだけど、違った?」
直の口調から、半分冗談、半分本気で言ったのが分かる。
「ううん。間違ってない。でも、自分の生きてる意味ばかり考えちゃう」
「……あのさ、俺のお母さん、笑えないんだよ。もう何年も。お見舞いに行っても、プレゼントをあげても、どれだけ話しかけても、ダメなんだ。笑えないだけじゃない。怒ることさえしない。
時間がどれだけあっても、この世界に存在していても、俺にとっては、最後に楽しく話しかけてくれた日から、お母さんとの時間は止まってしまっているんだ」
……そっか、もし明日終わるとしても、私の時間はまだ進んでる。でも、今じゃなくて、未来に何かを残したいと願ってしまうのはなぜなんだろう。
「私は、わがままなのかな?」
「わがままでいいよ。沙樹には、沙樹でいて欲しい。笑ったり、機嫌が悪くなったり、泣いたり、たまに悲しんだり。そんな沙樹が俺たちの目の前にいてくれたら、誰もそれ以上に望まないよ」
私は、みんなを幸せにする力が欲しい。大切な人をこれ以上悲しませたくない。
「私、できる限り長生きすべきなのかな?」
リリが勢いよく走り出して、直を引っ張った。直は駆け出して、私の声が直に届いたのか分からなかった。その後ろ姿を携帯のカメラで撮って、直に宛てて送信した。
しばらくすると返信が来た。
『この写真いいね。俺にもわがまま言わせて。沙樹にはできる限り長生きしてほしい。一分、一秒だって長く、沙樹のことを好きでいさせてよ』
☆ ☆ ☆
直とハルは毎日のように私の家に来て勉強をしたり、ただリビングで映画を一緒に見ていく。
二人は私の病気について何も聞かないけれど、きっとお母さんや空からすべてを聞いて知っているんだろうな。
☆ ☆ ☆
私の好きなもの。
ここに書いたもの以外にもたくさんある。
全部写真に撮っておこう。
ちょっと明日が楽しみになってきた。
ないものねだりはしても意味ないよね。
Will and testament:
みんなが元気ならいい。
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はぁ。
僕は息を深くついた。そして、呼吸が整うのを待った。ノートを読んでいるあいだ、呼吸するのを忘れていたんじゃないだろうか。
「ハル……。ハルカさんは沙樹さんの家族から、沙樹さんの病状について聞いていたんですか?」
ハルカさんは、図書館の学習コーナーのソファーに座っていたときにも持っていた赤い布表紙の本を読んでいる。本に夢中になっていて、僕の声が聞こえないのだろう——顔を上げる気配がない。けれど、よほど良い本なのか、ハルカさんはとても穏やかな表情でページをめくっている。
「あの本、何が書いてあるんだろう……」
僕は心の声が無意識のうちに、実際に声に出てしまっていた。
「え? ああ、これ」
ハルカさんは首を少し横に傾けて僕を見た後、目線を本に戻してページをペラペラとめくった。
「これにはね、いいことが書いてあるの」
「いいこと?」
「うん。思いつく限りの、いいことが。日記じゃないんだけど、いいことがあったり、面白いことを思い出したり、見たり聞いたりするたびに、書き足していったの。いつか沙樹に聞いて欲しいと思っていた話も、いっぱい書いてあるんだけどな」
「もしかして、ハルカさんが書いたノートなんですか?」
「うん。なかなかキレイな表紙でしょ。ノートだけど、布が張ってあって、昔の装丁の丁寧な本みたいだよね」
ハルカさんが、ノートの表紙を僕の方に向けて見せてきた。
「はい。小学生の時に図書館で借りてよく読んだ、少し古い児童書みたいです」
「そうね。確かにそんな感じかも。……沙樹はね。私が遊びに行くたびに、今日の私の一日を知りたがったの。だから、どうせなら楽しいことを話す方がいいと思って、いいことを見つけるたびにずっとメモってきた。それが日課になちゃって、やめられなくてね、昨日もいいことがあったから書いたのよ。『いいこと:学校のちょっと困った生徒くんが、本の整理中に、倒れそうになった脚立を支えてくれました。あと、急いでそうなのに、「いってきます」も忘れずに返してくれました。』ってね」
「僕って、困った生徒くんなんですか?」
「違うの?」
「まあ、そうだと思います」
僕は授業を受けずに図書室に来る生徒……司書としては、困った生徒か。
「あの、ハルカさんは沙樹さんの家族から、沙樹さんの病状について聞いていたんですか?」
「ううん。何も聞かされてなんてなかった。私は沙樹の病気については、沙樹から直接聞いたことしか知らなかった。沙樹の家族は、緊急連絡用に家族全員の連絡先を教えていてくれたけれど、何かあったらいつでも連絡してと言われただけで、特に詳しいこと何も言わなかった。私もわざわざ聞くようなことはしなかった。
私が沙樹と喧嘩をして何ヶ月も遊びに行かなかったときも何も言ってこなかった。私に何かを頼んだり、無理矢理巻き込むようなことは絶対にしなかった。どちらかと言えば、私に気をつかってるところがあったのかも。無理しないでって、つらくなったら逃げていいよって、言われたことがある。
だから、私が好きで、ただ楽しくて沙樹の友達でいただけよ。もちろん、症状が悪化すれば、誰も言わなくても、いやでも気がついてしまうことはあったけれど」
「そっか」
僕には今そんな友達はいないから、ハルカさんと沙樹さんの関係が、とてもうらやましかった。
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