第10-3話 夢の終わり(後編)
12月26日、二ツ谷高校で連日行われていた補習も今日で最終日を迎える。生徒からすれば、実質的に明日からが本当の冬休みとなる。教室に辿り着くまでの間、聞こえてくる会話の半分は明日からの休みのこと、そしてもう半分はクリスマスをいかにして過ごしたかという話題であった。
クリスマスといえば、結局、私たちのパフォーマンスは15組中5位というなんとも言い難い結果に終わった。紫帆はこの付け焼き刃でこれだけの結果を残せたのだから胸を張って良いと言ってくれたが、これが私とのデュオではなくて練習を重ねた本来の相方であればもっと上の、優勝だって狙える実力だったのではないか。それほど紫帆の歌は上手かった。いや、歌唱力だけではなく、舞台上での立居振る舞いがスターのそれだった。
あの日の非日常的な体験に心踊ったのは事実だが、同時に一抹の悔しさを感じていた。たしかに、準備もなくほとんどぶっつけ本番のパフォーマンスだったとはいえ、歌った曲は『Snow survive』。偶然にも私が夢中になったアニメの挿入歌で、飽きるほど聴き、一人カラオケで歌い尽くした曲だ。単純にこの歌を歌うことだけに着目すれば準備不足は理由にならないのだ。結局のところ、私は少なからず観客の入ったステージという環境に呑まれていたのだろう。あのフレーズはこう表現すればよかったなどと今になって反省点ばかりが思い浮かぶ。だが、あの日のステージはあの日限りなのだ。紫帆は本来のパートナーと活動を再開する。そもそも私にはあのステージに立つ資格などない。天文学的な確率で起こり得た事故のようなものだとわかってはいるつもりだ。ただ、そんな奇異な体験を誰とも共有できないのは残念でもあった。あの日がクリスマスでなければ聡子や麻美との話のネタになったかもしれないのに。そんなことを考えながら階段を昇ってゆく。
教室に入ると、案の定、聡子たちが女子グループで固まってクリスマスをどう過ごしたかという話題に花を咲かせていた。聡子には彼氏はいないと聞いていたが、グループ内の何人かは彼氏持ちであり、どこに行っただとかプレゼントになにをもらっただとかの話が出る度に盛り上がりを見せている。私は聡子がクリスマスはルナとどう過ごしたのかというのを開口一番に聞かれるのではないかと身構えていたが、聡子は私には気付いていない様子で話を続けている。拍子抜けしたものの、もともと柊野翠としては聡子とはいちクラスメイト以上の関係ではないため、特に不思議に思うこともなく自席へと向かった。
いつものように補習が終わり、生徒らは部活動に向かうか帰宅の途につく。特にやることのない私も荷物をまとめて教室を去ろうとしたそのとき、聡子が私の机の前まで来て立ち止まる。
「ちょっと来て」
それは、彼女の口からこれまで聞いたことのない低いトーンの言葉だった。既に教室の中に残っている生徒はまばらになっていたとはいえ、ただごとでない彼女の様子にざわつくクラスメイトたち。そんな彼らを尻目に聡子は強引に私を教室から連れ出すと、人気の少ない非常階段へと連れだった。
「ルナのことで聞きたいことがあるの」
私が恐れていた言葉だった。血の気が引き、雪もちらつく年の瀬だというのに冷や汗が全身を流れる。
「前、柊野くんからだったか、ルナ本人から聞いたんだったか忘れたけど、あのコ前徳に通ってるって言ってたじゃない? ……私の知り合いでルナのことが気になってるってやつがいてね。私うっかりあのコが前徳に通ってること話しちゃったの。それについてはさ、悪いと思ってるわ。本来ならルナに教えてもいいか聞いてから言うべきだもの」
聡子は理路整然と、自らの非を認めながらも話を続ける。白中ルナが私の知らないところで好意を抱かれていたことにも驚いたが、今はそれどころではない。この話の行き着く先を私は既に知っている。トリックを探偵に暴かれる犯人のような気持ちで彼女の言葉を待つ。
「でね、そいつが知り合いの知り合いのそのまた知り合いを伝って前徳の生徒の名簿を手に入れたみたいなの。まあ、その執念にもドン引くんだけど、問題はそこじゃない。そいつはその名簿を見て驚いたそうよ。そりゃそうよね、それだけ苦労して手に入れたその名簿の中にはルナの名前がなかったんだから……!」
人気のない非常階段はいつにも増して静寂さを保っている。それが却って彼女の声のコントラストをくっきりと浮き上がらせる。
「ねぇ、どういうこと? 二人して嘘ついてたの? ううん、そもそもルナって一体何者なの?」
先日の麻美との一件でも感じたことだが、嘘を突き通すことはもう限界だった。麻美には次に会ったときに本当のことを話すと約束したが、同時に聡子にもいずれは話さなければいけないことなのだ。もっとちゃんとした形で話したかったが、こうなっては仕方がない。私は全てを白状する決心をした。
「有坂さんごめんなさい。今から話すことは信じられないかもしれないけど、ふざけているつもりはないってことだけわかってほしい」
上ずりそうになる声を抑え、言葉を選ぶ。周囲の静けさからか、自分の声がいやに明瞭に聞こえてくる。私は一つ息を吸い込むと、ついに核心に触れる。
「……まず、俺の彼女ということになっている白中ルナという女性についてだけど……彼女は存在しない」
聡子が怪訝そうな顔をする。それはそうだろう、いきなりオカルト話を持ちかけてきたようにしか聞こえないだろうから。
「はぁ? なに言ってんのあんた……!存在しないって……」
「ああ……今まで君らと過ごしてきた彼女……、あれ実は俺なんだ」
聡子の目が点になる。あの頭の回転の早い聡子でも理解に時間がかかっているようだ。いや、むしろ私や麻美と比べると、根は一番常識的かもしれない彼女だからこそ信じられないのかもしれない。
「え……ちょっと待って……、それじゃあこの間カラオケに行ったのもカフェに一緒に行ったのもあんたの彼女なんかじゃなくて……?」
聡子の手が震えている。怒りと戸惑いと羞恥心が入り混じった複雑な感情が化学反応を起こし爆発する。
「はぁぁ!? それじゃあんたは女装してそれに気付かない私たちを内心ほくそ笑んでたってわけ? ふざけないでよ、二度と私たちに近づかないでこの変態!!麻美にもあんたには近づかないようにこのことは言っておくから!」
「いや、そんなつもりじゃ……」
「うるさい! キモい!! 近寄らないで!!」
弁明しようとする声は虚しくも拒絶される。聡子は去り際に罵倒の言葉を吐き捨て非常階段を後にした。閑散とした非常階段にはいつまでも彼女の声がこだましているような気がした。
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