第4-2話 X-day(中編)

 『focus』4階、メンズ服売り場。エスカレーターを上がったその先に亮介とその彼女の影が見えた。渡がエスカレーターから降りるか降りないかのタイミングで声をかける。


「よお亮介、来てやったぞ。で、面白いことってなんだよ?」


 亮介は二人と一緒に上がって来た私の方を一瞥して尋ねる。


「知らない顔だが……誰かの知り合いか?」


 渡はこちらを見ながら亮介に耳打ちする。


「いや、さっき知り合ったんだ。なんでも彼女もこっちに用があるらしくて……なあ、そんなことよりかなりの上玉じゃないか?」


 亮介も再びこちらを今度は舐めるような視線で眺める。


「ちっ、知るかよ! んなことはどうでもいいんだよ!」


 いきなり亮介が不機嫌になる。二人のやり取りはこちらからはよく聞こえないが、亮介のことだからきっと大した理由ではないだろう。


「あいつが道川亮介。さっき渡が言ってた俺らを呼び出した奴だ」


 近くにいた由伸がこちらを振り返り彼を紹介する。中学の頃は気がつかなかったが、その口調からは苦々しさを隠せておらず、由伸はあまり亮介のことを良く思っていないようだった。いや、気づかなかったというより彼がそのような態度を隠していたのかもしれない。中学という閉塞した環境から脱したからか、隣にいるのがかつての同級生である柊野翠ではなく初対面の人間だからか、そういった感情を隠す必要性が薄れたのかもしれない。そもそも、私からしたら良く思っている者がいるのか甚だ疑問だが。

 そんなことを考えていると亮介がこちらへ踏み出し高らかに話し出す。


「今日お前らを呼んだのは他でもない、我々の中学の同級生、柊野翠がぜひ彼女を紹介したいって言うからな、せっかくならギャラリーがいた方がいいと思ってな」


 なんで私が紹介したくてたまらないみたいなことになっているのか、わけのわからない約束を取り付けてきたのはお前だろうと言ってやりたい気持ちをグッと抑える。


「翠……って、あの柊野翠か? あいつが彼女? うは、ありえねー!」


 渡が笑い声をあげる。その反応に亮介は満足げな表情を浮かべる。中学時代も私のいないところではこんな風に言われていたのかと思うと、少なからず辛い気持ちになる。


「あの翠が彼女って本当か? ヤバいな俺たちもウカウカしてられないんじゃ……」


 由伸が真面目なトーンで返す。どうやら彼の関心は亮介が用意したこの舞台よりは、自分に恋人ができるより先に柊野翠に恋人ができてしまったことに向いているらしい。


「ばーか、真に受けんなよ。あんな奴に彼女なんてできるわけがねえ。今日だって俺たちの前に顔も出せねえんじゃねえか?」


 亮介が答える。つくづく私の評価は彼らの中で一体どれほど低いのか。

 そのようなやり取りを眺めているうちに時計の針はまもなく真上で重なろうとしている。そろそろ頃合だ。


 足を前に踏み出す。一歩、また一歩とその歩みを彼らの輪の中に進める。まるで私だけが時空の流れから外れた世界にいるかのように、その一瞬の間に流れた景色が数十倍の時間をかけてゆっくりと流れているように感じた。亮介の真ん前に立ち、左頬にかかる前髪を耳に髪をかける。


「……ねぇ、あなたが道川亮介さん?」


 亮介もその彼女も渡も由伸も、いきなり会話を割って入る私に目を丸くする。


「あ? ああ、そうだけどなんだよ……」


 あの強気な亮介が明らかに動揺している。すかさず私は二の句を告げる。


「はじめまして、私は白中ルナ。私が柊野翠の彼女です」


 その場にいる私以外の全員が息を呑む音が聞こえてくるかのようだった。


「な……!?」


 渡はなにがなんだかわからないと言いたげな、由伸はバツの悪そうな、亮介の彼女は我関せずといった表情を浮かべる。当の亮介は怒りと混乱の入り混じった形容しがたい表情を浮かべる。


「残念ながら、柊野翠は風邪のため今日は来れませんでした。わざわざこんな場を設けていただいたんだもの、私だけでも挨拶くらいはしといた方がいいと思ってね」


 結局、柊野翠がこの場に存在できない問題についてはベタだが体調不良で通すことにした。


「は? 風邪……?」


 正直、論理的にはここが一番脆弱なところだ。不意の展開と情報量の多さに怯んでいるうちに勢いで押し切るため、私は亮介の言葉を待たずに続ける。まるで二週間前とは正反対だ。


「ところで……本人がいないことをいいことにひとの彼氏のことをまあ好き放題言ってくれるじゃない……! わざわざこんなギャラリーまで呼んで笑いものにしようとしてたわけ? まったくどんな性根してたらこんなこと考え付くんだか……」


 女性にしてはやや低い声で、だが男の声色にならないよう細心の注意を払いながら凄んでみる。相手が不審に思うより先に罪悪感を植え付ける。亮介のことだから罪悪感など毛ほども感じないかもしれないが、加害者と被害者の構図を明確にすることで、会話のボールを渡さない。柊野翠の状態ならこんなことは絶対に言えなかっただろう。しかし、今の私は白中ルナだ。しがらみの全くない人格ではこうも後先考えずに発言できるのかと少なからず感動を覚える。こうなると全能感が脳を支配して舌が良く回る。大量のアドレナリンが体内で分泌されているのだろう。


「ま、いいわ。翠もあなた達には良く思われていないだろうって言ってたもの。それじゃ、私は名乗ったし今日はもういいでしょ?」


 憤怒に紅潮し、わなわなと震えている亮介に背を向けその場を後にする。背後からは彼らの言い合う声が聞こえる。


「……おい亮介、お前が言ってた面白いことってこれか?」


「んなわけねえだろ! ちっ、解散だ解散!」


「おい、待てよ亮介!」


 渡や由伸については、良くわからないまま二ツ谷まで呼び出されたものの、なにやら主謀者の想定していた企画は台無しになり、ナンパで引っ掛けたと思った女性は実は馬鹿にしていた同級生の彼女で、好き放題発言された挙句、帰られるのだから気の毒ではある。

 だが、特に予定がないのは私も同じだ。通学用定期があるため交通費がかかっていないとはいえ、わざわざ時間を割いて二ツ谷まで来たのにこのまま帰るのも馬鹿馬鹿しい。それに、折角この二週間慣れないことに挑戦し続けて『白中ルナ』を具現化させることに成功したのだ。この格好をすることももうないだろうし、どうせ今日で見納めならばせめて適当に買い物でもしてから帰ろう。私の理想のオリジナルキャラクターがこの世に存在した証として。


 ────このときまでは確かにそう思っていた。

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