第10-2話 夢の終わり(中編)

 会場はデパートの6階のフロアを貸し切る形で設営されていた。ローカルなイベントだと思ったが、受付のために出演者控えブースに入る前に横目に見た限りでも、視界を埋める程度には客が入っていた。

 どうしてこんなことになったのか。クリスマスに知り合いの誰とも会いたくないからと、一人で特に当てもなく出かけていたと思ったら、何故か初対面の女性に誘われてステージイベントに参加することになった。こんな珍妙な体験を誰に語れば笑ってくれるだろうか。


「それでは、『Violet Strawberry』さんは5番目の出演になります。プログラム上は14時15分となっておりますが、2組前までにはこちらで待機していてください」


 スタッフの男性が事務的に伝える。ちなみにこのグループ名は、紫帆と本来の相方のグループ名だ。紫帆の名前と相方の好きな食べ物からとったとのことである。

 出演者控えブースは客席からは遮られており、別に入り口が設けられている。周りにいるややよそ行きな格好をした者たちはおそらく私たちと同じ出演者なのだろう。若い世代の割合がやや多いが、老若男女に亘っている。


「みんなちゃんと衣装用意してるんだね。私もなんか買えば良かったかな」


 先日、麻美と見たゴシックパンクの服を思い出す。こんなことならあれを買っておけば良かった。


「ルナはそれでいいでしょ。あんまり生活感ある格好してたらそれも考えたけど、その服、衣装って言われてもわかんないと思うよ。実際、僕も最初見たとき出演者だと思ったし」


 さらっと衝撃の事実を知らされる。


「え! この服ってそんな風に見えてんの? もしかして浮いてる?」


「いや、別に私服でもなくはないだろうけど、目立ってはいると思うよ。あ、もちろんいい意味でね」


 なるほど、聡子や麻美はどう思っていたのだろう。後で聞いてみよう。


「皆さん、お待たせいたしました! 『三代クリスマスステージコンテスト』、間もなく開演いたします!」


 MCの声が聞こえる。先程、控えブースでそれらしき姿が見えたが、あれは確か夕方のニュース番組に出演している地方アナウンサーだ。紫帆の見せてくれたチラシに協賛としてそこのテレビ局が名前を連ねていたような気がする。

 主催者のナントカ協会の会長があいさつをし、審査方法の説明がなされる。そういえばこれはコンテストだったことを思い出す。コンテストというからには、それぞれのパフォーマンスが点数化され格付けされるのだろう。正規のコンビでない時点で好成績は諦めているだろうが、せめて紫帆の足を引っ張らないようにしたい。


「ねぇ、おねーさんたち5番目に出る人たち?」


 中背くらいの濃い顔の男性が声をかけてきた。年齢的には大学生くらいだろうか。すぐ近くに似た衣装を着た男性が数人いるところを見るに、彼らは同一のグループなのだろう。


「そうですけど、あなたたちは?」


「ああ、俺たちは6番目なんだ。君らはなんのグループ?」


 私は彼の質問の意図がわからなかった。なんのってなにがだろうか。私が答えあぐねていると紫帆が代わりに答える。


「僕らは歌で出てるんだ。キミはその感じだとダンサーかな?」


 なるほど、てっきりこのコンテストは歌だけかと思っていたが、彼らのようにダンスによるパフォーマンスもあるのか。言われてみれば、周りのほかの出演者には楽器を持っている者やなにかの小道具を持っている者もいる。


「よくわかったな。まあ、大の大人がまとまってこんな衣装着てたら想像はつくか。順番的に客席からは見れないが、歌ならここでも聞こえるからな、楽しみにしてるよ」


 男はそう言うと彼らのグループの方へ戻って行った。


「よくあの人がダンサーだってわかったね」


「こういうイベントでいろんなパフォーマー見てるとわかるようになるよ、なんとなくだけどね」


「ふーん、紫帆はこういう感じのイベントにはよく出てるんだ」


「いや、出演者側になったのは最近だよ、ステージに立つのもまだ3回目だ」


 そもそもこのようなイベントを客として見に行ったこともない私からしたら、一度でも出演しているだけで全く住む世界の異なる人種のように思える。私が今ここにいるのは偶然に偶然が重なった事故のようなもので、本来なら起こり得てはならないことだろう。


「紫帆はいずれ芸能界とか目指してるの?」


 なんとなく興味本位で聞いて質問だったが、紫帆はやや皮肉めいた口調で言う。


「まさか、これはただの趣味だよ。ここにいる出演者だって、その技術を磨くことに熱はあっても、芸能界を目指している人なんてほとんどいないんじゃないかな。僕だってあんな欺瞞に満ちた……おっと、スポンサー様の悪口は控えておこう」


 そう言う紫帆の表情は苦々しげだった。その煌びやかな世界が、閉鎖的で利権の蔓延った上に成り立っていることに失望を隠しきれないといったところだろうか。だが、その反応にこれまで雲を掴むようだった日向紫帆という人間像の輪郭が少しだけ見えたような気がして、私はそれが嬉しかった。


「ふふ、そうだね」


 私が会話の内容の割に楽しげな表情をしていることに不思議そうな顔をする紫帆。やがて順番が巡り、スタッフから舞台袖で待機するように促される。


「エントリーナンバー5番、『Violet Strawberry』です!」


 MCの紹介とともに壇上に立つ。受付前に見たときよりも客の数が増えている。さらに、私たち以前のパフォーマンスで会場の熱気が高まっている。冷えきっているよりはずっと良いが、学校の合唱コンクールくらいでしかステージに立つことなどなかった私はその圧に呑まれそうになる。


「こんにちは、『Violet Strawberry』です! わぁ、すごい数のお客さん! えーと、僕たちはですね、今日二人で歌を歌いたいと思います。ルナさん、今日はなにを歌うんでしたっけ?」


 紫帆が慣れた様子でトークを始める。


「え、えーとなんでしたっけ?」


「ちょっと、しっかりしてくださいよ! 『Snow survive』でしょ!」


「ああ、そうそう『Snow survive』!」


「ああ、そうそうじゃないでしょ! ところで皆さん、この曲はご存知ですか? こちら、『メランコリックゴッド』というアニメの挿入歌となっておりまして…」


 紫帆が曲の紹介を饒舌に続ける。実際、紫帆のトークは巧みだった。一見、二人でトークをしているように見えるが、その実、私の台詞はなくても進行に影響はない。場慣れのしていない私を気遣って台本を書き換えたのだろう。導入部で簡単なトークをすると聞いたときは身構えたが、私はほとんど考えずに台詞を話すことができた。


「紫帆さん、そろそろ歌に入らないと……」


「え、そんな時間? それでは、この曲の良さを語りきれなかったのは心残りですが、僕たちの歌で少しでもこの曲の魅力を伝えられたら幸いです。聞いてください……」


 紫帆はそこまで言うと私に目配せをする。打ち合わせどおり、二人でタイミングを合わせて曲名をコールする。


「『Snow survive』──!」


 前奏のドラムの音が鳴り、続いてギターの音が流れ出す。控えブースにいるときよりも大きく臨場感のある音響が胸を貫く。カラオケの音とはまるで異なるその音質に戸惑いを覚える。そんな私を他所に1番のAメロが始まる。最初のパートは紫帆からだった。


「♫──崩れ落ちた、仮面を踏み潰して──」


 紫帆が一音目を発した瞬間、会場の空気が一変したような気がした。ハスキーな声質にグルーブ感のある歌唱は洋楽のR&B歌手を彷彿とさせる。観客の息を呑む音がここまで聞こえてきそうだ。先程はたしかに足を引っ張らないようにと思った。だが、私程度の技量でそんなことができるのだろうか。ちょっとカラオケが好きなだけのズブの素人にそんなことが。

 メロディは八小節目に入る。この小節が終われば次は私のパートだ。音は外せない、リズムも外せない。声は裏返らないようにしっかり支えて、一音目をはっきりと。そんな私の堅さを感じとったのか、紫帆はこちらを向いて歌う。目は輝き口を動かしていてもわかるほど口角が上がっている。『ほら、歌うのはこんなにも楽しい、キミも思いきり楽しんで歌うんだ』という言葉が聞こえてきそうだ。

 そうだ、普段馴染みのない土地で、紫帆とは完全に初対面として出会ったことからか、いつものように白中ルナを演じる意識が薄れ、柊野翠が表に出かけていた。今の私は完全無欠の白中ルナなのだ。慣れないステージがなんだというのか、慣れないことならこれまで散々やってきたじゃないか。それにこの曲ならもう飽きるほど聴いたし歌っただろう。イメージしろ柊野翠、白中ルナならこのステージをどうデザインする?


「♫──手を伸ばす、その先にいたはずの──」


“手を伸ばす”の“す”の部分で少しピッチが上ずったような気がした。だが、今は既定の音程やリズムをなぞることはそれほど重要ではない。このフレーズを通してどういう空気感を作るか。いや、歌声だけではない。私の一挙手一投足に全ての視線が集まり、それに呼応して観客の息遣いが聞こえてくるようだ。アタックを丁寧に、歌詞に応じて抑揚を調整し、リリースは息を多めに。右手を前に差し出す、視線を外す、再び客席を見る。

 続いてBメロを今度は二小節ずつ交互に歌いサビに突入する。紫帆が主旋律を歌い、私がコーラスのパートを歌うことになっている。私たちはお互いに顔を見合わせ、アタックのタイミングを一致させる。

 瞬間、ビリビリと空気が震えるようなハーモニーが響いた。音響のおかげか紫帆の歌唱力のおかげか、いずれにせよ私はこれまで感じたことのない一体感に包まれた。私は思わず紫帆の方を見て笑みをこぼすと、紫帆も同じように視線を送り返した。


 1番が終わると、客席の方から歓声と指笛の音が聞こえてきた。私はそれでひとまず安堵する。少なくとも好意的にはとらえられているようだということがわかったからだ。

 間奏を終え曲は2番へ入る。2番は1番とは逆に私のパートからだ。さらにサビも私が主旋律を歌うことになっている。謂わば、1番は紫帆がメインで私がサポートよりの構成で、2番は私がメインで紫帆がサポートよりの構成になっていた。初対面のどこの馬の骨とも知れない人間にこれだけ見せ場を用意するのは正気の沙汰とは思えないが、ここで遠慮してしまったらせっかくのデュオ構成が活かされない。私は1番よりも自分の歌い方を前面に出す。1番と雰囲気が変わったことを感じとった観客の反応が伝わってくる。そして、紫帆はその雰囲気に合わせて器用にコーラスを被せる。歌い方のタイプとして、紫帆がR&Bよりだとするならば私はどちらかというとRockよりであるが、そんな私の歌い方に難なく合わせてくるあたり、紫帆の実力は相当のものだと思った。


 やがて、曲は最後のサビへ突入する。1番を踏襲したパート分けだが、一部二人で主旋律を歌うユニゾンが混在する。ここまでくると、もはや細かいことを考えるのは止め、音に身を任せるだけだった。

 曲が終わり、観客の拍手に包まれる。この反応がほかの出演者に比べて良かったものなのか悪かったものなのかわからない。一応、開会のあいさつの後に審査員が紹介されていたが、その審査基準についてはいまいちよくわかっていない。だが、今の私には紫帆には悪いが、パフォーマンスの被評価自体は比較的どうでも良かった。大衆の前でパフォーマンスすることの高揚感に魅入られていたのだ。


「ありがとうございました! 『Violet Strawberry』のお二人でした!」


 MCの声とともに拍手に見送られ、控えブースへ戻る。通路を歩く途中、次にパフォーマンスをすることになっているあのダンサー集団とすれ違う。


「おねーさんたち、歌すごかったよ。一曲で終わりなのが残念だ」


「あ、ありがとうございます……!」


 自分たちのステージが終わったことで完全に気が抜けており、声をかけられると思っていなかった私は、情けない声で礼を言うしかなかった。


「あはは、おにーさんたちも頑張ってね」


 一方、私とは対照的に軽く檄を飛ばす紫帆。

 彼らは背中越しに右手を上げてみせると、通路の先へ消えて行った。

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