第10-1話 夢の終わり(前編)
クリスマス。街は賑やかに色づき、恋人たちは幸せそうに闊歩する。そんな祝福の日に私は一人、白中ルナに扮し三代市へと向かっていた。三代市は二ツ谷市から河澄町を挟んで北西に位置する市である。なぜそんなことをしているのかというと、単純にクリスマスイヴ、クリスマスと続けて家に籠っていることに限界を感じたからである。特になにか言われるわけではないが、クリスマスを一緒に過ごす恋人も友達もいないのだろうと両親に思われるのが辛くなったのだ。
とはいえ、柊野翠は恋人である白中ルナと過ごすことになっている以上、迂闊に出歩くことができない。少なくとも、二ツ谷市では聡子や麻美に目撃される可能性があるため都合が悪い。だからといって、河澄町では亮介らに遭遇する可能性があるし、なにより一日時間を潰せるほどのコンテンツがない。そういうわけで、知り合いに逢う可能性が極力低く、二ツ谷市ほどではないにしろ、それなりに栄えている三代市へ向かっているのだった。わざわざ白中ルナの格好をしているのは、万が一、中学や高校の知り合いに遭遇した際のリスクを減らすことができるからだ。例えば、聡子以外の高校のクラスメイトに遭遇したとして、“柊野翠が三代市に一人でいた”ことが巡り巡って聡子の耳に入るのはまずい。これが白中ルナならば、“柊野翠が三代市に一人でいた”ではなく、“三代市にどこぞの見知らぬギャルが一人でいた”だけになるので白中ルナ個人の特定には至らないというわけだ。それに、クリスマスに一人で街をぶらつくなら、白中ルナの格好でいた方がまだ精神に負うダメージが少ない気がした。
三代市中心部までは電車で三駅ほど。それなりに栄えているとは言っても栄えているのは中心部だけで、そこに至るまでに車窓から見えるのは河澄町とさして変わらない閑散とした田舎の街並みだった。
「三代駅、三代駅でございます」
乗内アナウンスが目的地の到着を告げる。私は電車を降り、見慣れぬホームに降り立つ。三代市には幼い頃、親に連れられて来た記憶はあったが、三代駅に降りるのは初めてだった。
改札を出ると正面にはデパート、その横には飲食店やホテルが並んでいる。デパートの入り口付近には大きなクリスマスツリーが飾られており、軒先にあるスピーカーからはクリスマスソングが流れ、街をクリスマス一色に染めている。私は街行くカップルの間を縫って早速そのデパートに入る。あらゆる店舗がクリスマスセールを謳い、鎬を削って客を呼び込んでいる。
「現在、タイムセール実施中です! 二点お買い上げいただくと二点目半額です!」
二ツ谷にはない店舗も散見され、目移りしているうちに店員に声をかけられてしまった。
「そちら、冬の新作ですが本日までセールス価格で提供させていただいております。よろしければ試着なさってはいかがでしょうか?」
この店の商品は全体的に甘いデザインだが、高級感があり大人っぽくもある。正直、私には似合わないだろうが、麻美ならうまく着こなしそうだ。
『彼氏に買ってもらったら? クリスマスプレゼントってことで』
先日の麻美の言葉が浮かんでくる。もしも麻美と付き合っていたらこういう服をプレゼントしたりしたのかもしれないなどと妄想した後、あの日の別れ際に彼女に言われた言葉を思い出して罪悪感を抱く。
ネガティブな感情を振り払うように商品を眺めていると、なにかが落ちるような音がした。振り返ると、プラスチック製のバッジのようなものが落ちている。明らかに商品ではなく、おそらくはつい先程、私の後ろを通り抜けて行った客が落としたのだろう。
私はそのバッジを拾い上げ、テナントを出て真っ直ぐ歩く一人の影を呼び止めた。
「すいませーん! あのー、落としましたよー!」
最初は自分が呼ばれていることに気づいていなかったようだったが、近づいて声をかけると、自分が呼び止められていることに気づいたようで、その影は足を止めて振り返った。
やや紫がかったショートボブの黒髪に淡いミルキーパープルのインナーカラーが見え隠れしている。その個性的な出立ちに大きな目に長い睫毛、すらりと伸びた手足はまるでファッションモデルかのようだった。
「あっ、ごめんなさい! 良かった、これ失くしてたら大変だったから。ありがとうございます!」
その独特で派手な風貌に反して、軽快かつ丁寧に礼を言う。彼女はバッジを受け取ると、もと目指していた方向へ颯爽と歩き出した。
同い年くらいのように見えるが、その堂々とした立居振る舞いから本当にモデルか女優のようなオーラを放っているように思えた。私は彼女の後姿を見送りながら別のテナントに向かおうとしていると、彼女が急に立ち止まって数秒静止した後、振り返りこちらに再び近づいて来た。
「ねぇ、ところでキミ、この後なにか予定はある? 誰かと会う予定とか」
これはなんだろう、新手の逆ナンだろうか。白中ルナに扮している今、なにが逆でなにが逆でないのかわからないが。
「いえ、特に……でもどうして……?」
私の質問に食い気味に彼女が答える。
「お願いがあるんだ。たぶん『なに言ってるんだコイツ』って思うだろうけど、とにかく聞くだけ聞いて」
彼女は先程拾ったバッジと色違いのものと一枚のチラシを取り出して続ける。
チラシには『クリスマスステージコンテスト』と書かれている。
「今日ここでこういうイベントが開催されるんだけどね、この枠にエントリーしてたんだ。だけど一緒に出る予定だったコが急遽インフルエンザで出歩けなくなっちゃって……」
なるほど、あのバッジは出演者に配られる整理券のようなものだったというわけか。色違いの方はおそらくその今日出るはずだったもう一人の出演者の分ということだろう。だが、彼女はなぜそんな話を私にするのか。そう疑問を抱くよりも早く、彼女がそのバッジを差し出したことで察しがついた。
「え……私……? いやいや、そもそもこのコンテストの趣旨さえわかってないんだよ?」
「大丈夫、大丈夫。人がちょっと多いだけでカラオケと変わらないから。お願い! キミを見た瞬間にビビッときたんだ!」
彼女が両手を合わせて頼み込む。彼女の言い分から想像するにのど自慢大会のようなイベントなのだろうか。あまりにも突飛な頼み事だったが、彼女の真剣な表情を見て断るのも気が引けた。どの道予定らしい予定もないのだ。変わってはいるが悪い人でもなさそうだったので、人助けと思って彼女の依頼を引き受けることにする。
「わ、わかったよ……わかったけど曲はどうすんのさ? そんな短時間で覚えられないし、二人で出ようとしてたってことはハモりとかあるんでしょ?」
「本当!? 話が早い! 実はね予定してた曲は『Snow survive』って曲なんだけど……」
私は崩れ落ちそうになった。ビビッときたというのはそういう意味か。『Snow survive』は、かの人気アニメ『メランコリックゴッド』の挿入歌だ。アニメオタクはもちろんのこと、アニメに興味のない層にもそれなりに知名度のある名曲だ。これだけの人混みの中から私に白羽の矢が立ったのは、たまたま私がバッジを拾ったという縁もあるだろうが、アニメオタクだということを察知されたのかもしれない。そして、そうであるならばそのことに気がつく彼女もまたアニメオタクなのだろうか。
「……その曲なら知ってる。なんならハモりも覚えてるから完全にコーラスに徹しようか?」
「おお、心強い! でもそれはダメだ、主旋律は半々になるように分けよう。そっちのが楽しいでしょう? ハモりも覚えているほど入れ込んで曲なら尚更……ね」
彼女はそう言ってニカっと笑うと、携帯電話を取り出し歌詞が表示された画面を私に見せながらパートを決めてゆく。
「ところでさ、私に声をかけたのはこの歌を知ってそうだったから? そんなにアニオタ感出てる?」
私の質問に彼女は悪いながら答える。
「ぷっ……あはははは! そうじゃないよ、選曲に関してはたまたま! 誘ったのは単純にキミに華があったからさ、ステージで映えそうだなって。まぁ、もとはキミから声をかけてくれたし、一人だったから誘いやすかったってのもあるけど」
そして彼女は思い出したように付け加えた。
「そうだ、自己紹介がまだだった。僕の名前は日向紫帆、よろしくね」
“ボクっ娘”とリアルに会話するのは初めてだ。この見た目の上に“ボクっ娘”とは、属性過多ではなかろうか。
「私は白中ルナ。……とりあえず足を引っ張らないように頑張ってみるよ、よろしく」
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