第9-1話 夢幻(前編)
冷たく乾燥した風が落ち葉を舞い上げる。その寒空の下を高校生らが歩いている。ローカルニュースでは県内の高校は冬休みに突入したと報道されたところだが、ここ二ツ谷高校では二日目の補習授業を終えた生徒らがちょうど帰途につく頃であった。
例によって、友達のいない私は補習が終わるとそそくさと教室を出る。だが、その足取りは驚くように軽い。今日は高校の西側に位置するショッピングモール『リッジモール』で、聡子と麻美の二人とショッピングをすることになっていたからだ。私は通り道にある書店に立ち寄ると、そのトイレで着替えと化粧を済ませる。最近気づいたことだが、この書店には店の奥と入口付近の二ヶ所にトイレが設けられており、うち入口付近の方は男女共用になっているため、私のような特異な使い方をする者には使い勝手が良いのだ。
書店を出ようと自動ドアの前に立つと、外からの冷たい風がミルクティー色の髪を靡かせる。ちょうど二ツ谷高校の男子生徒と入れ違いとなったが、特に顔見知りの生徒でもないため問題はない。
『リッジモール』内に立地するデパートの一つ、『ZEON』一階の広場に麻美の影があった。麻美はこちらに気がつくと、パァッと笑って大きく手を振った。白のロングコートに膝丈からスカートを覗かせるその姿は、制服を着ているときよりも幾分大人っぽく見えた。
「お待たせ! ……ってか私服で会うの久しぶりな気がする。なんていうか雰囲気変わるよね、めっちゃ綺麗」
それは1%のお世辞もない心からの言葉であった。白中ルナとして接しているからなのか、本当に美しいものを見たからなのか、普段の自分からは信じられないことだが、思ったことがなんのフィルターも通さず口から出た気がした。
「あはは! “綺麗”って女の子から褒められるのはあんまりないから変な感じ」
たしかに言われてみれば、うちのクラスの女子も杏もなにかを褒めるときは“かわいい”だ。褒め言葉に“綺麗”を使うのは悪手だっただろうか。
「あ、いや、変な意味はないんだよ! ただ、思ったことが口をついて出たっていうか……」
私はなんと言って良いかわからず取り繕う。麻美は私のそんな反応が想定外だったのか、先程より動揺した様子で言葉を返す。
「ちょ……ちょっと、そんな真面目な顔で……調子狂うなぁ。……だいたいさぁ、ルナだって……」
容姿に関しては褒められ飽きているだろうと思っていたが、このような反応を見せるのは意外だった。そして、私のことでなにか言及しようとして途中で口を噤む。
『ルナだって』、一体なんと言おうとしたのだろう。
「え? 私がなに?」
「……もう、そういうところだぞ!」
結局、麻美はなにを言おうとしたのかは教えてくれなかった。いつも飄々としている彼女だが、今は逆になにか複雑な感情が見え隠れしているようだった。それがどのような感情なのかは知る由もないが。こういうときに友達ならばどうすべきなのだろう。いつもと様子が違うことを言及すべきなのか、それとも敢えてそれには触れずにいるべきなのか。そんなことを考えていると、あることに気づく。
「あれ、そう言えば聡子は?」
私は直ぐに学校を出たとはいえ、書店で着替えてメイクするのに時間を取られているため、聡子の方が早く着きそうなものだ。トイレにでも行っているのかと思ったが、一向にその姿は見えない。
「あー……ルナRINE使えないんだもんね。さっき連絡来てさ、家の用事だかなんだかで来れなくなったって」
「えっ、それじゃあ……」
「つまり今日は二人でデートってわけですな!」
先程の仕返しとばかりに悪戯っぽい笑みを見せる麻美とデートという単語にドキッとする。麻美はそもそも同性同士だと思っているはずだし、当然冗談で言ったのだろうが。この胸の鼓動は正体がバレたのかもしれないという焦燥に起因したものなのか、あるいは。
思わず先日夢に見た彼女の姿を重ねる。彼女の大きく黒い瞳は吸い込まれそうなほど深い。
正直、コミュニケーション能力が最強レベルの聡子抜きで、麻美と二人だけで会話が続くだろうかという不安が全くよぎらなかったかと言えば嘘になる。だが、そんな心配は彼女のその笑顔でどうでもよくなってしまった。
私たちは当初の予定通り服や雑貨を見てまわる。もしこの生活がもう少し続くようであれば、もう何着かは着回しのパターンがないと辛いところだ。折角だし麻美にも選んでもらうのも良いかもしれない。そんなことを考えてしまうほどに、私はこの奇妙な関係性を楽しんでしまっていた。
“New arrival”と書かれたプレートが掲げられた新作商品を見て、これは似合うんじゃないかとお互いに服をあてがう。一方で、売れ残ってワゴン売りされている謎のセンスの商品を見つけては笑い合う。側から見たらどう見えているだろうか、少なくともクリスマスを前にしたカップルのデートにはどうあっても見えないだろうと自嘲したが、それでもこの瞬間がどうしようもなく幸せだった。
「ルナさぁ、もしかしてゴシックパンク系好き?」
何店舗を見てまわったか数えるのを辞めた頃、次の店舗に向かう途中、唐突に麻美が尋ねる。
「え……なんで?」
「だってさっきからそういう系統の服やたら気にしてるから」
麻美がクスクスと笑う。自分自身特に意識していたつもりはないが、客観的に見るとそう見えたのか。だがたしかに、今月の初めだったか例のゴスロリファッションを扱う店に初めて入ったとき、テンションのままに買ってしまったのを思い出した。ゴスロリとゴシックパンクではやや系統は違うだろうが、一つ共通していることがある。それは私の好きなアニメキャラが着ていそうなデザインだということだ。
「う……ん、言われてみるとそんな気もしてきた」
「じゃあさ、『joker』行こうよ! 私も一人だと入り辛かったんだよね」
『joker』は『zeon』を出て向かいにあるデパート『estelle』にある店だった。『estelle』自体、このモールの中では新しめのデパートだが、中でも『joker』は最近出来た店らしく訪れたことがなかった。『joker』へ向かいながら麻美が呟く。
「でもさ、ルナはいいよね、自分のファッションっていうかスタイル確立してて」
それは白中ルナがデザインされたキャラクターだから当然というか、最初から私の中で客観的な人物像が確立しているせいだろう。
「そう? 麻美の方が色んな服着こなせそうで良くない?」
「ううん、私はいつまでも流行を摘み食いしてるだけだから」
吹き抜けを貫くエスカレーターを昇り、フロアの端にあるその店は異様な雰囲気が漂っていた。まるでハロウィンパーティでも始まりそうな、もしくはダークファンタジー系ゲームの衣装のような、黒を基調としたドレスやパンツ、ジャケットが並べられている。初めて『Solomon』で買い物をしたときと同じかそれ以上の高揚感が私の中に芽生える。
「見てこれ、めっちゃ可愛くない?」
私は入口付近に掛けられていた赤と黒のややカジュアルチックなドレスを持って麻美の身体の前にあてがう。
「ちょっと、私はこんなの着れないって。っていうか露骨にテンション上がりすぎでしょ。ふふ、ほんとに好きなんだ」
麻美は呆れたように笑ってみせる。私はさらに商品を物色しているとある一着と運命的な出会いを果たす。
黒いミニスカートとジャケットがセットアップになってハンガーに掛けられている。そのデザインは私がかつて創造し、今は現実世界への具現化を実現したオリジナルキャラクター『白中ルナ』が闇堕ちした姿という設定である『夜伽ルナ』が身に纏う衣装にそっくりだった。
「お、それ可愛いじゃん。ルナに似合いそう」
「ほんと? どうしようこれめっちゃ欲しい……って高!」
私は商品に付いた値段のタグを見て驚く。このようなコンセプトに特化した服というのはどうしても高くなりがちなのは理解できるが、いち高校生の懐事情にはやや厳しい数字がそこにあった。
「あー……まぁそれくらいするよね……そうだ、彼氏に買ってもらったら? クリスマスプレゼントってことで」
「え、ああ……そうだね。でもどうだろう、ほかになんかプレゼント用意してたら悪いしなぁ」
麻美の提案に思い出したようにそう答える。“柊野翠と付き合っている白中ルナ”というのが、当初大前提の設定だったはずだが、白中ルナとして麻美らと過ごすのが心地よく、忘れてしまいそうになる。
ただ、今ここで購入しようが、彼氏からのプレゼントということにしようが私の財布からお金が出ていくことに変わりはないのだが。
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