第8-2話 予兆(後編)
二ツ谷駅の500メートルほど南側を東西に走る大通り。左手には老舗の和菓子屋や宝石店やリサイクルショップ、右手には不動産屋や焼肉店、そして複数の居酒屋が立ち並んでおり、仕事終わりに一杯を引っ掛けに来たサラリーマンで賑わっている。
その大通りを向かい側から歩いてくる坊主頭とサイドをツーブロックに刈り上げた二人組の男子高校生の影が見えた。
「なんだ、有坂じゃねえか」
坊主頭の方が声を掛ける。
「ん……ああ、後藤じゃん。なにしてんの?」
後藤と呼ばれた坊主頭の男は聡子とは中学時代の同級生であり、二ツ谷区西部に位置する二ツ谷工業高校、通称“ニ工”の生徒だった。
「俺らは高校のメンツで遊んできた帰りだよ。お前こそこんな時間になにしてんだよ。いい加減彼氏の一人でもできたか? 勉強ばっかしてて……」
後藤の言葉を聡子が苛立った声色で遮る。
「はぁ? なにそれうっざ! 私がどこでなにしてようが関係ないでしょ!」
「おいおい冗談だって、怒んなって……。それより有坂、ちょうどよかった。お前に聞きたいことがあったんだよ」
「聞きたいこと……?」
聡子はどうせ碌でもないことだろうと言いたげな表情で訝しんだ。
「この間、駅でお前と葉山がいるとこ見かけたんだけどよ……、もう一人いたギャル……あれは誰だ? 中学のメンツで遊んでたのかと思ったが、あんな奴いたか?」
「この間……って『スタクロ』?」
スタクロとはカフェチェーン店『スタークロノス』の略称である。すると聡子はなにかに気づいたように悪い笑みを浮かべて続ける。
「ははーん、あんたルナのこと気になってんでしょ? ダメダメ、あんたみたいな男には紹介できないわ」
「は……!? べ、別にそんなんじゃねぇよ! こいつがどうしてもって……!」
後藤が一緒にいたツーブロックに髪を刈り上げた男の肩を叩く。彼は後藤や聡子の出身校である二ツ谷南中学とは別の中学の出身であった。即ち聡子とは初対面である。
「その人は?」
「こいつは同じクラスの桜庭ってんだ。俺はいいんだよ本当に。ただ、こいつの青春を応援してやりたくてさ。こいつこんな見た目だけど結構純粋な奴なんだよ」
聡子は困惑した。後藤のことは、調子が良いだけのどうしようもない奴だということを三年間の中学生活のうちに重々承知していたため、彼の頼みを一蹴することに後ろめたさを感じることなど微塵もなかった。だが、こうして初対面の人間を盾にされると、あまりぞんざいな対応をするのも気が引けた。何より、この桜庭というこの男は見た目こそギラついているが、後藤にルナへの好意を暴露されまごついているその様は、たしかに異性や色恋といったものに免疫がなさそうであると推察するに十分であった。しかし、ルナには彼氏がいる。いくら友だちがいなくて根暗そうな奴でもルナの彼氏なのだ。そこのところは最初に言っておいた方が彼もダメージが少ないだろう。そう思った聡子は彼女にしては歯切れ悪く言葉を紡ぐ。
「えと……、桜庭くん? あのね、言いにくいんだけど……ルナは付き合ってる人がいるの。だから……」
聡子の言葉を聞いた桜庭の目が一瞬曇る。
「……うわーマジか! そりゃそうだよなー、だってあんな……芸能人みたいだし……」
軽い調子を装ってはいるが言葉の端々には落ち込む気持ちを隠せていないように見える。
「ちょっと……! ガチでショック受けてるじゃん。私が悪いことした気になるんだけど」
罪悪感に苛まれた聡子が後藤に囁く。
「ほんとだよ……純情な男子高校生の夢を砕きやがってよぉ」
後藤はわざとらしくやれやれとため息を吐く素振りを見せて聡子を突き放す。心なしか彼も少しショックを受けているようにも見えたが、聡子はそんなことよりも後藤のその態度にまた声を荒げる。
「はぁ? あんたねぇ、私はダメージが少ない方が良かれと思って……!」
「だぁー、冗談だっての! ……じゃあよ、こういうのはどうだ? ひとまず付き合うとか付き合わないとか、そういうのは別にして友だちとしてでいいから紹介してくれよ」
食い下がる後藤に上空に広がる冬空よりも冷たい視線が投げかけられる。
「なんであんたがそんな必死なのよ、やっぱあんたも狙ってんじゃない。だいたい私にそんな義理ないし」
そう吐き捨て、立ち去ろうとする聡子を桜庭が呼び止める。
「有坂さん待って! 別に紹介してくれなんて言わない、友達のツテを辿るか文化祭かなにかのタイミングで自分でコンタクトをとるから、彼女の通っている高校だけでも教えてくれないか?」
桜庭の懇願は必死だった。その熱意に負けたのか憐憫からか、一瞬の静寂の後、聡子は大きくため息を吐いて言う。
「……はぁ……前徳よ。通信制みたいだから学校に行ってもどうせ会えないんだろうけどね。あ、そういや前徳の文化祭事情ってどうなってるんだろ?」
「通信制〜? 元ヤンかなんかか? なんだってそんな……」
後藤が馴染みの薄い通信制という単語に首を傾げる。
「はい、もういいでしょ? 私も忙しいんだから、それじゃあね」
聡子は二人の言葉を待たず、大通りを歩き去った。
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