第9-2話 夢幻(中編)
リッジモールから歩いて5分ほどの距離にある欧風ダイニング『Gran』。二人はそこで夕食をとることに決めた。
「そうそう、さっき聞こうと思ってたんだけど、クリスマスはさ、彼氏とどこに行くとか決めてるの?」
麻美は注文を終えるや否やそう尋ねた。クリスマスに予定などない、どうせなら今日がクリスマスなら良かったのにと言いたい気持ちをぐっと抑える。さすがにクリスマスに彼氏と過ごさないというのは怪しまれるだろう。
「特に決めてないけど……。普通に買い物して、ちょっといつもよりお洒落なところでご飯でも食べれたらそれでいいかな」
「ふーん、そんなもんか。いや、私たちくらいの歳頃のカップルってどうしてるのかなぁなんて」
それは質問する相手を間違えていると言わざるを得ない。だが、私はこの話の流れで好機とばかりに気になっていたことを尋ねる。
「ていうかさ、今更だけど麻美は彼氏とか……いるんだっけ?」
心臓が高鳴る。何故私はこれくらいのことでこんなにも緊張しているのだろう。女子同士ならばなんの変哲もない会話のはずだ。麻美が次に口を開くまでの間、時間にして数秒もなかったはずだが、その僅か数秒が数十分にも感じられた。
「いないよ」
幾度も同じ返しをしてきたと言わんばかりに麻美は表情を変えずに答える。それと対照的に私の胸は踊る。何故麻美に彼氏がいなかったことで嬉しい気分になるのだろう。これでは性根の悪いやつではないか。そうではない、そうではないのだ。もっと違う、なにか別の。
「意外……。聖蘭が女子高だとしても麻美なら他校の男子から引く手数多だと思うけど……。もし私が──」
「お待たせしました、ミートドリアです! 器の方、大変お熱くなってございますのでご注意ください!」
私の言葉を遮って、店員が食事をテーブルに置く。“もし私が”なんと言うつもりだったのだろうか。私は一度冷静になって自身の発言を省みる。
麻美はスプーンを一本こちらに渡すと続けた。
「なんかね、そういう気分になれないの。なんとなーくそういうシチュエーションに憧れる気持ちはわかるんだけどね、みんな本当にそんなに他人を好きになったりしてるの? って思っちゃう」
これまた意外だった。聡子と麻美が一緒にいるところに初めて出くわしたあの日、彼女らは私とは住む世界も考え方も180度異なる、今を生きる女子高生のモデルケース的な存在だと思っていた。だが、今彼女が吐露したその気持ちは、これまで私が抱いてきた気持ちと共通するところがあった。思い切り共感の意を唱えたかったが、柊野翠の彼女という立場上それはできない。この気持ちを怪しまれずに言い表せる、そんな都合の良い言葉を模索しているうちに、麻美が続ける。
「最初に会ったときだったかな? ルナ、友達がいないみたいなこと言ってたじゃん。それ、私も他人事じゃないんだ。恋人どころか心を許せる友達なんてほとんどいないの。高校の友達は上辺だけの薄っぺらい関係ばかりだから。みんなが見てるのは私じゃなくて私の立ち位置と外面だけ……みんなが私に求めているのはキャピキャピしたイマドキの女子高生像……。ルナはさ、私のキャラじゃなくて一個人として接してくれるじゃん? 私それが新鮮っていうか、なんだか居心地が良くてさ」
麻美があどけない笑みを見せる。その微笑みがまた、夢に見た彼女の姿と重なる。
「そう……なのかな……?」
麻美にそう言われたことは嬉しかったが、それは買い被りだと思った。事実、彼女のことは所謂“イマドキの女子高生”だと思っていたわけだし、少なくとも今、彼女の考え方に意外さを感じている時点でやはり彼女のことを理解していたとは言い難いだろう。
彼女の場合、その容姿が良くも悪くも人間関係に大きく影響を及ぼしているのはわかる気がする。黙っていても衆人の目を惹き、偶像を抱かれる。彼女の一挙手一投足は監視され属人的な評価を与えられる。それはときには畏怖であり、ときには羨望であり、ときには嫉妬となる。それらの感情は悪意と接した際に、彼女を利用し、あるいは糾弾することへと繋がる。彼女は普段、このような悪意から感情の機微を防衛するため、意識的か無意識的か、周囲の期待に対する最大公約数的なキャラクターを演じているのだろう。
彼女が感じている居心地の良さとは、私が特別なにかしたことに由来するものではなくて、彼女が自らそのキャラクターという武装を解除した結果というだけなのではないか。
同じキャラクターを演じるのでも、私が白中ルナを演じるのとはまた違う。私が白中ルナを演じる場合、外見こそ偽りの塊ではあるが、実のところその精神に偽りはそれほどない。私の理想のキャラクターである白中ルナは、その思考パターンもまた私の理想を踏襲しているため、白中ルナに扮しそのキャラクター像を忠実になぞっている方がむしろ自身の本心に正直であるとさえ言える。
一方、麻美の場合はその逆で、日常における人間関係を波立たせないために彼女自身の精神を偽っているため、その理想と現実とのギャップにストレスを感じてしまっているのだろう。それは、柊野翠として過ごす私にも覚えがある。集団の中で生活する以上、自然にしろ作為的にしろ、個々人の視点からのキャラクターが形成され、その母数が増えるほどにその立居振る舞いは制限される。麻美は表面上とは言うものの、私などよりずっと交友関係の多いはずだろうから尚更だろう。
「そうだよ! だって、ほかの女の子だとこうはいかないもん」
その肯定の言葉にどきりとする。それはそうだろう、なんといっても私は“女の子”ではないのだから。そのような感想を抱かれているということは、やはり私の言動は女性同士で行われるそれとは乖離していたのだろう。
「あ、あはは……なんでだろうね。……って聡子はそうじゃないの?」
「ああ……聡子はね、腐れ縁だし、あいつはあいつで心を許せる友達だと私は思ってるけど……。それとは別にあいつの場合、考え方とか感覚とかが違いすぎるから、こういう話をしてもお互い平行線なんだよね」
「あはは、わかる気がする。聡子はパリピだもんね。まぁそれはそれでいいところでもあるんだけど。私はあんな風に人に接することはできないから」
そんなことを話しているうちにいつのまにか夜は更け、周りの客は二度、三度と入れ替わっていた。
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