第15-3話 真実(後編)

 先日の一件から一週間。あれから千景とはまだ会ってはいない。私はどんな言葉で彼女を誘えば良いのか、どんな顔で彼女に会えば良いのかわからなかった。光陰は矢の如く一瞬で過ぎ去り、気がつけばこんなに日にちが経ってしまった。これまで最低でも週に一回は会っていたので、そろそろ会う約束を取り付けないとますます顔を合わせづらくなる。それに期末考査まで日にちも少なくなってきたところで、彼女の勉強の進捗の方も気になる。そう思い携帯電話に手を伸ばそうとすると、一通のメッセージの着信があった。


『お疲れ様です。もしご都合がよろしければ(そしてご迷惑でなければ)、今日の放課後また勉強を教えていただいてもよろしいですか?』


 仰々しいまでに丁寧な文体で書かれたメッセージ、送り主は千景だった。彼女からメッセージを送ってくるなんて珍しい。あのときは彼女も顔を赤らめてギクシャクした雰囲気になっていたが、時間が経って落ち着いたのだろうか。考えてみれば、異性とキスしたと思っているのは私だけで、彼女の方は女性同士のキスとしか思っていないのか。女性同士なら無問題なのかと言われると私はそのあたりの感覚はわからないが。ともかく、あれだけ奥手で内気な彼女の方からせっかくアクションがあったのだから断る選択肢はないだろう。私は早速、落ち合う時間を彼女に伝えた。



『アトラス』の薄桃色の外壁が見えてくる。私は入口の自動ドアを抜けてロビーに置かれている赤い背もたれのベンチを目指す。そこには既に千景が待っているのが見えた。


「ごめーん、待った?」


 座って参考書を眺めていた千景は顔を上げて私を見ると言った。


「いえ、ついさっき来たばかりなので……私の方こそ急な話ですみません」


 いつものように開口一番に謝る千景。だがなんだろう、なにかいつもと違うような気がする。それとも私の方が意識しすぎているだけだろうか。ともあれ、私たちはそのまま図書館の入口の方へ向かった。


「あ!」


 二人の声が図書館入口付近で重なった。一人は私のもの。そしてもう一人の声の主は隣にいる千景のではなく、私たちとは反対側から図書館入口へ向かって来る影が発したものだった。見慣れた二ツ谷高校の制服に紺色のマフラーと黒い革製のバッグ、そこに立っていたのは聡子だった。

 聡子はまるでゴミを見るかのような目で私を蔑む。


「信じられない、まだその格好してたんだ。しかもなに? 今度はまた別の女の子侍らせてるの?」


 千景が横にいるにも拘らず、出会い頭に辛辣な聡子節を投げかける。


「別にいいでしょ、私だって事情があるの。誰と一緒にいようが私の勝手でしょ?」


 私は聡子の言葉についムッとし、売り言葉に買い言葉を返してしまう。こんなはずではなかった。本当は謝りたいだけなのに素直に言葉が出て来ない。

 一瞬の静寂の後、聡子は冷ややかな目で私を絶望の淵に突き落とす一言を放つ。


「あっそう……わざわざ女装して出歩くほどなんだからそりゃあ大層な事情でしょうね、柊野君?」


 彼女は敢えて千景によく聞こえるように、というより最早千景に聞かせるようにはっきりと言う。わかっていたはずだ、聡子には生殺与奪の権を握られていることを。本当ならば、いの一番に彼女に謝罪すべきだったのだ。それがつまらないプライドでなにもかもを台無しにしてしまった。これで千景にも嘘を吐いていたことがバレてしまった。言おう言おうと思っていながら言い出せないうちに嘘が破綻する。まさに聡子のときと同じ轍を踏んでしまったのだ。


「ねぇあなた、騙されちゃダメよ。こいつは私にもこうやって女の子のフリして正体を隠して近づいてきた変態野郎なんだから」


 聡子が私の隣に立つ千景に、ダメ押しの一言を放つ。完全に終わったと思った。ただでさえ過去のイジメやストーカー被害で異性に対する不信感を抱いていた千景は私を心底軽蔑するだろう。いや、軽蔑されるだけならばまだ良い方で、余計に彼女の傷を抉ってしまう結果になってしまったことに後悔と自責の念で押し潰されそうになる。視界がぐるぐると回り、景色に色がなくなってゆく。


「……ます……」


 消え入りそうな声で囁く千景。急転直下でショッキングな事実を伝えられ、感情が錯綜して言葉にならないのだろうか。蚊の鳴くようなその声を聡子が聞き返すと、先程より少しだけ強い調子で千景は返した。


「……知ってます……ルナさんが本当は男の子だってこと……!」


「えぇ!?」


「はぁ!?」


 私は仰天してつい大声が出る。そして私の驚く姿を見て聡子もまた驚きの表情をしていた。


「ちょっと、なんであんたがびっくりしてんのよ! 訳わかんないのはこっちだっての! 知ってる……って、あんたが喋ったからあんたの正体わかってるんじゃないの? あのコなんなの?」


 先程までの険悪な雰囲気よりも驚きの方が勝ったのか、聡子は私の袖を引っ張ってそう耳打ちをした。


「いやいや、私だって知らないよ。今の今までバレてないと思ってたし。わかってる素振りなんて微塵も……」


 私もそれに小声で返す。聡子は改めて千景を見る。頭の上から爪先まで、食い入るような視線にさすがに千景も居心地の悪そうな顔をする。初対面の人間をそんな凝視するのはどうかとも思ったが、まあ聡子だしと納得してしまっている自分もいた。


「……人違いだったら悪いんだけど、あなた、もしかして松橋千景さん?」


 今度は私と千景の二人が驚く。なぜ聡子が彼女のことを知っているのだろう。千景の反応から二人が知り合いというわけではなさそうだが。


「……やっぱりね、聖蘭の制服着てたからもしやとは思ったけど……」


「なんで? 聡子は千景のこと知ってたの?」


「名前だけはね。麻美が以前、そのコのことを話していたのを思い出したわ。滅多に他人に関心を持たないあいつが珍しく入れ込んでいたから印象に残ってたの」


 聡子は一度私の方を見ると妙な間を取った。その視線の意図するところはわからなかったが、彼女はそのまま話を続ける。


「あとは簡単な話よ。あんたの正体を知ってるのは私か麻美くらいでしょ。あんたがカミングアウトしたんじゃないなら麻美しかいないじゃない。そんでもって、麻美があんたの正体をわざわざ知らせるとしたら、そういう“入れ込んでいる人物”に絞られるってわけ」


 推理を披露する聡子。よくもまあその少ない情報からそこまで推察できるものだ。冷静な状態の彼女はやはり頭が切れるというか話が早いというか。


「……そのとおりです。この間、葉山さんとお話する機会があって……ルナさんの話を聞きました。彼女の方は私とルナさんが既に知り合っていたことに驚いていましたが……」


 なるほど、結局麻美は千景とコンタクトをとることに成功したのだ。要領の良い彼女のことだ、あまり波風が立たないように上手いこと私の紹介をしてくれたのだろう。


「でも、ルナの正体を知っていたのならどうして……?」


「そうよ! だってずっとあなたを騙してたのよ、そのことに憤りはないの!?」


 私が千景に尋ねると聡子は食い気味に問う。千景は二人からの質問責めに一瞬たじろいだが、一呼吸置くとぽつりぽつりと語り始める。


「……最初は信じられませんでした。だって、ルナさんは私なんかとは全く別の人種のキラキラした女子だと思って疑わなかったから。……でも、葉山さんから教えられた後、自分でもよくよく考えてみて気づいたんです。ルナさんが男だとか女だとかなんてどうでもよかったんだってことを。……初めてルナさんに会った日、見ず知らずの私をストーカーから助けてくれた、私の代わりに警官に怒ってくれた。どう捻くれて解釈してもそこに悪意はなかったはずです。だったらそれでいいかなって……」


 私は彼女の真っ直ぐな言葉にこそばゆさを感じつつも、それ以上に驚きが勝っていた。あれだけ他人に自身の気持ちを伝えるのが苦手だった千景が、こんなにも素直に自分の気持ちを言葉として具現化させている。


「……それに……これは私の個人的な事情によるものですが、中学の頃はイジメられていたせいもあって、同年代の女子との接し方がわからなかった。怖いとさえ思ってた。でもルナさんは私のことを見下さないし憐れまない、そして私も接していて卑屈になることがない。あのときに知り合えたのがルナさんだったからここまで立ち直れたんじゃないかと思うんです」


 千景の独白を聞いてバツの悪そうな顔をした聡子が叫ぶ。


「な……なによ! そんなこと言って、これじゃあ私が悪者みたいじゃない!」


 そうだ、謝るなら今このタイミングしかない。私は千景に外してもらい、改めて聡子に向き直った。


「聡子……あのときはちゃんと言えなかったから……嘘ついてたこと、改めて謝らせてほしい。聡子たちと遊ぶ日々が楽しくて、この日常がいつまでも続けばいいなんて現実逃避して、どんどん本当のことが言えなくなってた。もうあんな風に笑いあえる日には戻れないかもしれないけど……ごめん」


 私はそう言って頭を下げた。五月蝿いくらいの静寂が私たちの間を流れる。聡子が今どんな顔をしているかわからない。数秒後、聡子が小さく息を吐く音が聞こえた。


「……もういい」


 聡子はただ一言ぽつりとそれだけ残してその場を後にした。

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