第2-2話 理想と現実(後編)

「なんだ、今日は遅かったじゃないか。友達か? 」


 時刻は午後7時、家族は既に食卓を囲んで食事を始めているところで、私の席にある食事にはラップがかけられている。帰宅するなりそう声をかけてきたのは父、鉄郎だった。普段は父が仕事を終え帰宅するより先に私が家にいるため不思議に思ってのことだろう。


「んー、まあそんなとこ」


 私は茶碗に白米を盛り、料理のラップを外す。


「温め直したら? 冷めたんじゃない?」


 母、桃子の提案をまだ温かいからと言って断る。


「アニキが友達と遊んで遅くなるとかないっしょ。どうせ『アニメブックス』にでも入り浸ってたんでしょ」


 そう言ってケタケタ笑うのは中学一年生の妹、杏である。彼女もいつもは部活動のため、帰りは私より遅いのだが、今日は私の方が遅いようだった。


「おまえなぁ……、まあ『アニメブックス』寄ったのは事実だけど。残念ながら『鬼ラブっ!』の最新巻売り切れてたぞ。特典が欲しいなら予約することだな」


『鬼ラブっ!』は現代に生きる鬼達が人間のフリをしながら人間を喰らう機会を伺っているうちにその人間と恋に落ちるという、俄かに社会現象を巻き起こした作品であり、中高生に絶大な人気を誇っていた。私はそれほど興味のある作品ではなかったが、杏が読み終えたのを読ませてもらって内容は押さえている。杏は自身の見通しの甘さに落胆する。


「ガーン! そんなぁ……」


 妹よ、オタク活動とは生半可な覚悟で取り組む者に対して時に残酷に牙を剥き襲ってくる。そうやって打ちのめされては次はもっとうまくやろうと画策しているうちに沼に嵌まってゆくのだ。


 夕食後、早速自分の部屋で本日の戦利品を開けようとバッグを開ける。『solomon』の紙袋をこれ見よがしに持ち帰って言及されるのが面倒だったため、中身を取り出して畳んだ紙袋とともに全てスクールバッグの中にしまい込んでいた。パンパンに膨れあがっていたバッグから華やかな紙袋と赤と緑のリボンでラッピングされたワンピースを取り出したところで部屋のドアを開ける音がした。


「なぁ、アニキ! 勉強わかんないとこ聞きたいんだけど……」


 杏が勢いよくドアを開けズカズカと部屋に入って来る。


「あのさぁ、ノックしろって何回も……」


 咄嗟にラッピングを後ろに隠して杏に文句を垂れたが、間に合わなかったようで、それを見た杏は固まっている。


「え、なにプレゼント!? あ、クリスマスだから!? 誰だれ!? もしかして彼女!?」


 目を輝かせ矢継ぎ早に問い詰めてくる杏。歳頃の中学生にとって恋愛は一番の興味の対象なのだろう。最悪なタイミングで見つかったと思ったが、それでも試着している最中でなくて良かったと肝を冷やした。しかし、見つかってしまった以上なにか取り繕わなければならない。不意をつかれて働かない頭を必死に思考させる。


「そ、そんなんじゃねぇよ! ほら、これ以上は中学生には秘密だ! 勉強教えてやるから部屋から出てけ!」


 結局、特に上手い言い訳も思いつかず、食い下がる杏を勢いで押し切る。結果的に彼女のことを照れ隠しするみたいな感じになってしまったが、嘘はついていないのでよしとしよう。


 その後暫く杏の家庭教師に付き合わされたことも相俟って、試着は先程の反省を活かして家族が寝静まった夜中に行うことにした。私は先に寝ると言って、部屋から家族の動向に耳を澄ます。杏、父、そして最後に母が寝室に向かう気配を聞き届ける。念のため、部屋から顔を出して家の中を見回す。廊下もリビングも見える範囲全てが消灯しており、誰の声も聞こえない。

 私は部屋に戻り、逸る気持ちを抑えてラッピングを開けると、丁寧に折り畳まれた一品が顔を覗かせた。ベッドの上に広げ、やはり完成度の高いデザインをしているとひと通り感心した後、満を持して購入したワンピースを着てみる。絞り気味に作られているウエスト部分が嵌るか不安であったが、特に窮屈に感じることはなかった。それよりも肩幅の部分が思った以上に余裕がないことに男女の身体のつくりの違いを感じた。それでもチャックの位置がよく分からず戸惑ったくらいで無事に試着には成功した。次に『アニメブックス』で購入したウィッグを被る。説明書きには適宜カットして使ってくださいと書かれていたが、とりあえず着けてみる。

 軽く髪を整え、意を決して姿見の前に立ってみる。だが、そこに映っていた自分の姿を見てなんとも言えない気持ちになった。思っていたイメージと違う。確かに、新作ワンピースに身を包み、ブラウンのミディアムヘアーをおろした姿は女性に見えないこともない。だが、なんというか全体的にイモ臭いのだ。カットもしてないため当然ではあるが、伸びっぱなしの髪にとりあえず染めたようなワントーンの髪色。さらにノーメイクの野暮ったい表情に対して、デザインだけは秀逸なワンピースが余計にちぐはぐさを助長して却って場違い感を醸し出している。この感じには見覚えがある。お洒落に目覚めたばかりの、自分に似合う服ではなくとにかく着たい服を着ただけの垢抜けない女子だ。

 服と髪さえ用意すればどうにかなるだろうと簡単に考えていた私は、そのショックからそっと服とウィッグをしまい込んで不貞寝と洒落こんだ。

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