第2-1話 理想と現実(前編)

 二ツ谷高校。二ツ谷駅から南に徒歩15分ほどの距離に位置する。北を国道が走り、東西にはスーパーやドラッグストア、ファストフード店が、南には住宅街が立ち並ぶ。午後4時をまわった頃、部活動のない生徒らが帰路につき始める。帰宅部である私もまた同様に校舎を後にしたところであった。しかし、その向かう先は駅ではなく、高校から2kmほど西側に位置するショッピングモールである。私はそこにあるデパートへ入ると、レディース服のテナントを巡り始めた。

 このデパートは何度か来たことがあるが、レディース服を主として取り扱う店舗をこんなにも真剣に見ることはない。店の外から様子を伺い、同年代くらいの客の多そうな店舗に狙いをつける。しかし、客層はカップルを除けば当たり前だが女性だらけだ。男一人で入るのはやや気が引ける。だが、店の前で逡巡するさまはそれこそ不審極まりない。私は覚悟を決めて自分に言い聞かせる。今日はクリスマスに彼女に贈るプレゼントを買いに来たのだと。

 まず初めに『MARS』と書かれた店舗に入る。店に入り5分ほど商品を物色していて気づいたことがあった。それは、メンズ服よりも安く、それでいて種類が多いということだ。値段については、店の格式的なものも関係するだろうが、それでも同程度のランクのメンズ服の店と比べても安い。定価の時点で全体的に500~1,000円ほど安い上に値引きされている商品が非常に多い。定価で売られている商品を数えた方が早いくらいだ。それに値下げ幅もかなり大きい。そして種類については、まずそもそもの選択肢の幅がとても広い。メンズ向けの服としてはまず存在しないワンピースやスカート、ブラウス等があるため当然だが、例えばカーディガン一つをとっても様々な形状、材質のものがあり、さらにその中の一つの商品のカラーバリエーションも豊富だ。正直、これだけの値段でこれほどの商品群から選べるのであれば着るものには困らないだろう。このときはそう考えていた。

 最初の店舗を出て二つ隣、『Cyan』と書かれた店舗に入る。先程の店はナチュラルな雰囲気が強く、着る対象を選ばない感じだったが、この店は所謂“ギャルっぽい"服が多く置かれていた。価格帯は先程の店ほど割引はしていなかったが、定価自体はそれほど変わらなかった。そして、二店舗目を見終えた時点で既にここへ来てから30分以上が経過していることに気づいた。思ったよりも時間がかかりそうだ。少し見るペースを早めよう。

 続いてさらに隣の店舗、『LUCKYS』へ入る。ここは、最初の店舗同様にかなり広いターゲット層に向けた商品を展開しているが、『MARS』よりも若い年齢層向けの服が多いように感じる。そしてこちらもかなりの数の商品が陳列されており、見終える頃には20分の時間が経過していた。

 ここで私は自身の見通しの甘さに気がついた。選択肢が多いということはそれだけ選ぶのに労力が必要だということだ。それに組み合わせを考慮すると膨大なパターンの中からベストアンサーを選択する必要がある。富豪ならばいざ知らず、金銭に余裕のない高校生にとっては少しでも良い買い物をしたい。そうなると、やはり一つ一つ吟味する必要があるため時間がかかってしまう。子どもの頃、母親の買い物はなぜあんなにも長いのか疑問に思っていたが、その謎が少しだけ解けたような気がした。そして、この時点で私は既にその情報量に圧殺され、どのような服を買うべきかの正常な判断が出来なくなっていた。

 次に訪れたのは向かいの並びにある『solomon』と書かれた店舗であった。この店は実は前々から気になっていた店ではある。というのも、置いてある商品や内装が全てゴシック・アンド・ロリータ調で統一されていたからである。いざ入店してみると、そこはアニメオタク気質のある私にとって天国だった。童話のようなファンタジーの世界のキャラクターの衣装を彷彿とさせるような服が所狭しと並んでいるのだ。本当に演劇等の衣装として使われていそうなドレスから上手くカジュアルに落とし込んだものまで全てがゴシック・アンド・ロリータを基調としていた。この瞬間、私は当初の目的をすっかり失念し、ただひたすらに製品のデザインを愛でていた。緩みきった口許を見て不審な客と思ったのか店員が声をかけてくる。


「どういった商品をお探しでしょうか?」


 振り向くと、この店の商品に身を包んだロリータファッションの店員が立っていた。そこで私は当初の目的を思い出す。


「あ、えーと、プレゼントにいい感じの服ないかな〜と思って……」


 聞かれてもいないのにあくもでもプレゼントを買いに来たことを話す。


「彼女さんですか? あ、もしかしてクリスマスプレゼントですか!?」


 店員の声のトーンが一段階高くなる。


「まぁ……そんな感じです……」


 どんな感じだ。


「彼女さんはどういうのが好みなんですかね?身長とか体型とかはどんな感じですか?」


 明らかにプレゼント選びに慣れていない雰囲気を感じ取りカモだと思ったのか、単なる親切心か、商品選びを積極的に手伝おうとする。正直、放っておいてくれた方が自分のペースでゆっくり見ることができて良いのだが、店員の勢いに流されるままに答える。


「あんまり甘すぎないのがいいかもです。身長は……俺と同じくらい……あ、ちょっと小さいかな? 体格はえーと……細身です」


 今は自分のサイズに合っている服を買うことが重要なのだが、無駄にリアリティを求めてつい少し小さめなどと言ってしまったが余計な一言だっただろうか。


「そ、じゃあヒール履いたらカレシさんくらいだと思ってればいいわね。割と身長高めね、モデルさんみたい」


 杞憂だったようだ。店員は素早い動きで店の手前側の一角に並ぶ商品を漁っている。


「こちらなんかどうですか? こちら昨日入ってきたばっかりなんですけど、細身の方向けのデザインになってるんですよ」


 店員が灰色のワンピースを持ってきた。確かにウエスト周りのラインが細めに作られており洗練されている感がある。さらに生地が灰色のため、袖や襟元、裾のデザインの割に甘くなりすぎず、まさに意向に沿った品であった。値段を見ると、前の三店舗よりは値が張るが、これだけのクオリティで新作商品ならば納得のいかない価格ではない。既にこの店の製品に惹かれていた私はいとも容易く購入を決めてしまった。


「それではこちらクリスマス用のラッピングにお包みしますね」


 結局、私自身が開封することになるのを当然ながら知る由もない店員の気遣いが胸に痛い。資源と労力を無駄に浪費している罪悪感に苛まれながら、店員の包装作業を待つ。自分へのクリスマスプレゼントだと思えばいくらか救われるだろう。事実、ワンピースの収められた華やかな紙袋を片手にデパートを後にした駅までの道すがら、幼少の頃に親から玩具を買って貰ったときのような妙な高揚感が私の中に込み上げていた。


 それから15分後、私は二ツ谷駅西口に接するバスロータリーから道向かいに立地する古いテナントビルにいた。慣れた足取りでエレベーターに乗り6階を目指す。エレベーターの扉が開くと眩いばかりの色とりどりのポスターが出迎える。そこは私が学校帰りにしばしば訪れるアニメショップであった。手前に位置する漫画コーナー、中ほどに位置するキャラクターグッズコーナーを尻目に奥側に位置するコスプレグッズを取り扱っているコーナーへ直行し、目当ての品を探す。

 普段ここのコーナーはそこまで注意深く見ていた訳ではないが、通い慣れている分デパートでレディース服を選ぶよりはずっと早く済みそうだ。アニメショップだけあって置いているウィッグはピンクや青など派手な色のものが多いが、自然な色のものも取り揃えられている。私は無難な茶髪のウィッグを手に取り、会計に向かう。新作商品の陳列が気になったが、ここでそれらを見始めてしまうと、さらに一、二本遅い電車になってしまう。あまり帰りが遅くなって家族に余計な詮索をされるのも面倒だったため、後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも帰路に着くことにした。

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