第1-2話 約束(後編)

 帰りの電車の中、怒りと気怠さの入り混じった感情が頭の中で渦巻いていた。なぜこんなことにと自問すればするほど、亮介の人間性が問題なのはわかってはいるが、どうしても自身の対話の下手さを思い返してしまう。もっと上手く切り替えせていれば、亮介を黙らせることができたのではないか、さらに言えば、逆上させることさえなかったのではないかと。

 車窓から見える景色は街から徐々に収穫を終えた後の圃場の風景に変わる。電車の中で揺られている時間は“ただじっとしていることを強制される時間”であるが、それは同時に現代人には貴重な“ただじっとしていることが許される時間”でもあり、考えごとや気持ちの整理をするにはうってつけだったりする。車内アナウンスが河澄駅への到着を告げる頃には、亮介への怒りは幾分収まっていた。


 河澄駅は駅員が一人だけの小さな駅で、周辺施設と言えば、向かいにあるコンビニと裏口に面する公園くらいのものだった。翠の実家は駅からほど近く、10分も歩かないうちに到着する位置にあった。翠は帰宅するなりソファに身を預け、考え事の続きを始めた。

 なぜ私はあの場で売り言葉に買い言葉のような発言をしたのだろう。その後に面倒な展開になることくらい中学時代を思い返せば容易に想像できたはずだ。亮介と会話したのが久しぶりだったということもあるだろうが、それを抜きにしても今日という日はなんだか思考がまとまらないというか、なにかが常に引っかかっているような感覚だ。

 それはともかくとして、再来週どうするかを考えなければならない。別段、亮介の提案など無視してしまっても良いのだが、あいつをさらに増長させる結果になるのもそれはそれで癪に障るところがある。とはいえ、交際相手がいるわけでもなく、彼女のフリをお願いできるような友達もいない。


『ははっ、寂しい奴だなお前。友達と来るとかないのかよ。まぁ、中学時代も浮いてたお前には難しいか』


『高校生にもなって彼女もいない人間なんてどっかおかしい社会不適合者だってのは間違いねぇ』


 亮介の言葉が頭をよぎる。あのときあいつが発した言葉は単に私を貶める以上の意図はなかったかもしれない。だが、その言葉は確かに私自身に足りないものを炙り出していた。


 対話、友人、そして恋愛。


 仮にクラスの女子生徒の誰かと交際した未来をシミュレートしてみようにも、そこに至るまでのビジョンも思い浮かばない。第一、それだけの行動を起こすエネルギーを奮い立たせてくれるほどタイプの生徒は少なくとも私の狭い人間関係の中にはおらず、全く想像が捗らない。

 だが、ここで気づいたことが一つある。そもそも、私の理想とするタイプの女性とはどのようなものか、自分自身がよくわかっていないのだ。今までそれほど深く考えたことはなかったが、まずは私が自分自身の理想を知らなければ、それを相手に求めることなど到底できないのではないか。そう考えた私は紙と筆記具を用意し、自身の理想のタイプについて書き並べ始めた。

 まずは外見的な特徴を思いつく限り挙げ、その後で内面的な特徴を挙げる。それらを自分が大事だと思う順にランク付けする。いざ初めてみるとこれが意外に楽しく、気分の乗ってきた私はランクの高い属性から絵にしていった。別段、絵が得意というわけではないが、幼い頃に妹が夢中になっていた少女漫画をトレースするのに付き合わされた影響で、特定の構図に限ってはそこそこ可愛らしい絵柄を描くポイントは抑えていた。そうして描き上げた人物像を見て、気恥しさと絶望の入り混じった感情に襲われる。

 そこに描かれていたのは、かつて私が小学生の頃に創作した自作ファンタジー漫画に登場するオリジナルキャラクター、『白中ルナ』に瓜二つであった。こともあろうに、自分の理想の結集が幼き日の我が妄想が創造した偶像だったということに、私の美的感覚や価値観は人としてどうなのかと疑わざるを得なかった。そして最も絶望を感じたのは、このような女性が現実に、少なくとも私の人生で出会い得る女性の中に存在するとは思えなかったことだ。二次元的な要素を三次元的に解釈してリアルに落とし込んだとしてもなお厳しいだろう。

 それに、仮に天文学的な確率で限りなくこの理想に近い女性が存在したとして、恋人はおろか、友達付き合いさえまともにできていない私にそんな女性と交際できるとは到底思えない。

 私は手にしていた鉛筆を放り投げ、再びソファへ身を投げる。気まぐれに思いついた自己分析だったが、結果的に一層恋愛というものが自分に向いていないことを再認識するだけになってしまったような気がする。


『人を変える一番の近道は己が変わること』


 ふと脳裏に一節のフレーズがよぎった。これはなんの言葉だったか、暫しの間思惟する。そうだ、書店で見た新書のタイトルだったか。

 そのとき、あるアイデアを思いつき私の全身に衝撃が走った。おそらく慣れないことを考え続けたことで疲れていたのだろう。後に私の今世紀最大と評する気の迷いを見せることになる。

 あるじゃないか、理想の女性を存在させ、あまつさえ約束の再来週までに交際相手とする方法が。“敵を知り己を知れば百戦危うからず”とはよく言ったものだ。いや、この場合は“敵を欺くならまずは味方から”だろうか。


 その方法とはそう、──​──自分自身が“彼女”になることだ​った────。

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