放課後☆ルナティック

茶渋

第1-1話 約束(前編)

 夜が昼よりも長くなって久しく、風の冷たさが日ごと厳しくなる季節、重い灰色の空と葉の落ちきった街路樹とは対照的に、街は年の瀬へと向かう慌ただしさに俄に色づき始める。駅前の大通りにある店の多くは、気の早いことにクリスマス商戦に向けたセールを掲げており、その空気感も手伝ってか、心做しか先月までよりも街を往くカップルの存在が目に付くような気がした。

 大通りを所在なさげに少年が歩いている。少年の名は柊野翠くきのすい。市内の二ツ谷高校に通う生徒だ。本日の授業を終え、いつものように駅までの道を辿る。入学直後には新鮮に思えた通学経路も今ではなにを感じるでもなく、半ば無意識下でも辿り着けてしまう程度には慣れきったものとなっていた。彼は電車の時間が近くなるまでどこかで時間を潰すため、近くの駅ビルに入り5階にある書店を目指した。

 二ツ谷市は所謂地方都市で、若年層が一日駅前にいても暇を潰せる程度には商業施設が栄えていた。一方、翠の住む河澄町は特に大きな産業もない小さなベッドタウンで、ここ二ツ谷駅から電車で片道20分程の距離に位置している。両駅間を行き来する電車は30分に一本ほどの運行頻度のため、タイミングによってはしばしばこのように時間を潰す必要があった。

 ちなみに、比較的田舎町である河澄町には高校は立地していないため、この町で生まれ育った生徒が大学進学を視野に入れる場合、必然的に進学校が多く立地する二ツ谷市やその近隣へ通学するというケースが主流となっており、彼もまたその例に漏れなかった。



「はぁ……」


 この季節になると、恋人のいない者にはまるで人権がないと言われているような感覚に陥る。テレビでは昼夜、恋愛の素晴らしさを説くドラマが放映され、街を流れる音楽は等身大の恋愛感情の機微を表現する。この書店だって、一つ隣のキャビネットでは、恋に悩む乙女のロマンスが描かれた作品が大量に陳列されている。それだけ恋愛というものを題材としたコンテンツは万人に受けるのだろう。だが、そのような経験のない私にとっては、恋愛に関する共感をセールスポイントに売り出されたそれらのコンテンツは、剣と魔法の世界で戦う勇者の物語と同じくらいファンタジーのように思えた。


 書店を物色すること5分。いつもであればここで時間を潰すことは造作もないのだが、今日に限ってはなんだか気分が乗らない。新書のコーナーに『人を変える一番の近道は己が変わること』と書かれた自己啓発本が少々気になったが、それでも足を止めて中身を確認するほどではなかった。私は早々に書店を後にし、別の階で時間を潰すことにした。特に買わなければいけない物がある訳でも気になる商品がある訳でもなく、なんとなしに4階のメンズ服売り場を冷やかしにエスカレーターを下ったのだが、これが良くなかった。フロアを歩いていると、ある人影がこちらに気づいて向かってくるのが見えた。

 彼女と思われる他校の制服を着た女子生徒を連れ、ニヤニヤ笑いながら近づいてくるその影は中学時代の同級生、道川亮介であった。


「よぉ翠、久しぶりじゃねぇか」


 亮介が声をかける。彼の通う港北高校は二ツ谷駅の一つ隣の土浦駅が最寄り駅のため、普段はこのあたりで顔を合わせることはない。おそらくはデートかなにかで二ツ谷駅まで遊びに来たのだろう。


「ああ、久しぶり。二ツ谷にいるなんて珍しいじゃん。遊びに来たの?」


 翠がそう言うと、亮介は舌打ちをして質問を無視した。

 ああ、そう言えばこういう奴だった。単純に思った言葉を口に出しただけで特に他意はなかったのだが、亮介にとっては土浦駅が二ツ谷駅よりも栄えていない田舎だと言われたように聞こえたらしい。


「ちっ……、そんなことより翠、お前は今一人で買い物に来たのか?」


 亮介の顔にまた嫌味な笑みが浮かぶ。中学時代からそうだが、この男はなにかと他人より優位に立ちたい性格なのだ。しかも、中でも私のことは特別気に入らないようで、こういう風に絡んで来る時はだいたいそれが目的なのだと、これまでの経験からわかっていた。おそらく今の質問には、彼女と遊びに来ている亮介と一人で買い物をしに来ている私という構図にすることで、自分を優位に見せる意図があるのだろう。ただ、電車まで時間を潰しているだけだと正直に話すと、それはそれで自分のデートスポットが暇つぶし程度の価値しかないと曲解してまた機嫌を損ねられそうだったので、適当な返事で茶を濁す。


「買い物っていうか見てるだけ……」


 翠が言い終わるのを待たず、亮介は食い気味に言葉を続ける。


「ははっ、寂しい奴だなお前。友達と来るとかないのかよ。まぁ、中学時代も学校で浮いてたお前には難しいか」


 やはり、自分の優位性を誇示し私を貶めることが目的だったようだ。そもそもが電車の時間までの暇つぶしの時間なのだから、わざわざ他人を付き合わせるようなものでもないのだが、彼の中で私は今、“友達がいないから一人で買い物に来た寂しい奴”として見事に確立されている。高校生になって互いに新しい環境に身を置いた今、まともに会話ができるかもしれないと期待したのは間違いであった。

 だが、彼の言うことが100パーセント間違っているというわけでもない。彼の言うとおり、中学時代の私は確かに浮いていた。田舎の狭い人間関係に辟易していたということもあるかもしれないが、いつからか他人に合わせて笑うことが億劫になった私は受験勉強を理由に同級生らと距離を置いて話さなくなっていった。高校では中学ほど他人との距離が近くないためそれほど浮いていないと自負してはいるが、特に仲の良い人間がいるわけではないことも事実だ。一方で彼は中学時代、曲がりなりにもクラスの中心にいたスクールカースト上位の人物であり、今だってこうして彼女と思しき女性と行動を共にしていることから、そこに否定の余地はない。


「その調子だと彼女だっていないんだろ? なぁ、俺たちもう高校生だぜ? この青春の貴重な時間をドブに捨てて勿体なくないのか?」


 亮介の目は輝き、鼻を膨らませる。彼の期待していた展開になってさぞ愉快なことだろう。亮介はそう言っている間にも隣にいる彼女をチラチラと見、彼女はただクスクスと笑っている。

 ここで自分の優位さを見せつけることが彼女へのアピールになっていると思っているのだろうか。彼女の方もこの不毛なやり取りを是としているのだろうか。世が賞賛して止まない素晴らしい恋愛とはこんな茶番じみたというか、欺瞞の上に成り立っているのだろうか。

 普段であればそんなことは考えなかっただろう。揉めないようにその場凌ぎの言葉を並べ立てて終わったはずだ。だが、今日という日は特別に思考があらゆる方向に飛び火してしまう日らしい。


「亮介、お前そんなこと言うためにわざわざ話しかけてきたの? せっかくの貴重な時間なんだろ? 俺に構ってないで買い物楽しんだら?」


 表情が凍りつく亮介。反論されることなど露ほども考えていなかった彼は、その後一転して顔を真っ赤にする。隣の彼女が翠の言葉にまたクスクスと笑っている。この女はどういう立ち位置でなにを考えてそうしているのだろうと思ったが、彼女にまで笑われたのが余計に癪に触ったようで、その鋭いつり目がさらにつり上がって見えた。


「てめぇ、調子こいてんじゃねぇぞ……!」


 そう言って胸ぐらを掴みかかる亮介だったが、ここが他人の目が大量にある駅ビルの中だということを思い出すと、また舌打ちをして掴んでいた手を話した。そして、一旦冷静になってなにか別の企みを思いついたのか、またニヤニヤした笑みを浮かべて提案する。


「そうだ……、お前“そんなこと”って言ったな……。ああ、そうだよな! 高校生にもなって彼女もいない人間なんてどっかおかしい社会不適合者だってのは間違いねぇ。お前にも本当はいるんだろ? 彼女の一人や二人。そこでだ、俺たちが今度二ツ谷に来た時にお前も彼女を紹介しろ」


 なんとも無茶苦茶な提案にさすがに文句が口をついて出る。


「はぁ? 何言ってんだお前……」


 だが、もはや聞く耳を持たない亮介はまたもや私の言葉を待たずに捲し立てる。


「“そんなこと”なら楽勝だろ? 出来ないはずはないよな? そうだな……、俺たちは再来週の土曜日にまた二ツ谷に来る用事がある。その日にお前も彼女を連れてこい」


 こうなってしまうとなにを言っても聞き入れられないだろう。あまりにも勝手なその言い分にさすがに腹は立ったが、それよりも、電車の時間も迫っている中、これ以上絡まれるのは勘弁願いたいという気持ちが強かったため、取り急ぎ話を終わらせるために空返事をしてしまう。


「あぁ、わかった……わかったから。じゃあ、電車の時間があるからまた後でな」


 フロアを後にしながら、正直、二度と会いたくはないと思ったがもう遅い。無論、会いたくないのならばきっぱりとこの場で断っておけば良いのだが、結局私はそうは言い出せずその場凌ぎの選択をしてしまった。私は自分の“対話からの逃げ癖”を呪った。

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