第3話 探究

 翌日、私は電車の中で携帯電話と睨めっこしていた。なにをしているかというと、ひたすらインターネットで情報収集をしていたのだ。昨夜の一件から私は私に足りない、課題となり得るポイントを整理した。

 一つ目はメイク技術だ。まずはコスメを揃えるところから始める必要があるのだが、実際に買いに行くのは放課後にするとして、その際に迷わないように事前にコストパフォーマンスの良い所謂プチプラコスメの情報を調べているところだ。ちなみにメイクはギャル系のメイクが元の面影も隠しやすい上に単純に好みだったため、まずはこのジャンルに絞って勉強することにした。メイクが一番明確に習得まで時間のかかる作業と思われるので、当面はこれを最優先とする。

 二つ目はウィッグのカット技術だ。メイクについても同じことが言えるが、今の時代、動画共有サイトを探せばプロが直々に技術を紹介する動画が山ほどあり、大抵のことは“なんとなく理解する”ことができるのが非常に有難かった。とりあえずこのメイク技術とカット技術は、主に動画を見てやり方を覚えることにした。

 そして三つ目はトータルのファッションセンスを磨くことだ。正直、これがないといくらほかの技術を磨いたとしてもちぐはぐでバランスが悪くなってしまう。だが、こちらは前二つと異なり実質的なスキルというよりかは知識や感覚に寄っているところがあるため、空き時間にいくらでも対策ができる。ネットの情報のほかに杏の購読しているファッション誌を見、街ゆく人のファッションを観察することで鍛えることにした。

 最後に四つ目のポイントは声だ。画像を見せるだけならいざ知らず、直接会うのだから会話は免れないだろう。だが、これにはある程度の勝算の余地があった。というのも、私は何を隠そうアニメオタクな訳だが、当然の如くアニメソングも大好きだ。アニメソングも含めてその作品だと思っている。しかし、昨今のアニメは、少なくとも私が好んで視聴するようなものはオープニング、エンディング、挿入歌合わせて九割は女性シンガーが歌っている。即ち、男性アニメオタクにとって、もし好きなアニメの歌を歌おうと思ったら、その時点で女性シンガーの歌を歌いこなさなければならないという使命が待ち受けているのだ。だが、私はそれを達成するため、定期的なフリータイム一人カラオケという特殊な訓練を経て、女性シンガーの歌うアニメソングを歌うことにはわずかばかりの自信があった。少なくとも、家で鼻歌を歌っていると、家族に杏が歌っているものと間違えられる程度には。もちろん、歌と実際の喋りではやや異なるものがあるが、セリフパートを有するアニメソングの延長と思えば、多少の会話については磐石であろう。


 それから一週間、通学中、授業中、放課後、夜中とあらゆる空き時間に前述の課題について知識を蓄え技術を磨いた。もともと興味のない授業は時間の半分くらいを夢の世界で過ごしてしまっていたため、片手間に考えることがあると眠気も飛び、皮肉にも授業内容は寝て過ごしていたときよりも頭に入った。

 結局、服とウィッグはトータルコーディネートに合わせて買い直すことにし、既に購入してしまったワンピースはタンスの肥やし、茶髪のウィッグはカットの練習用となった。先日は最終的な完成形をイメージせず行き当たりばったりの買い物をした結果、ちぐはぐな組み合わせになってしまったため、今回は私の理想像『白中ルナ』に限りなく近づけるように、それでいてコスプレではなく現実味を持たせるように調整していく。

 そうして、自分の中で完全に納得できた訳ではないが、一つの着地点としての『白中ルナ』が完成した。オタクの性か、鏡を見る度に、自撮りを確認する度に微修正したい箇所が見つかるものの、仮に私がこのキャラクターに似てる人物として他人から紹介されたとしても、まあまあ許せるレベルにはなったのではないかと思う。

 とはいえ、どれだけ客観的に見ても私の主観であることに変わりはない。完全に客観的な評価が欲しかった私は、自撮り画像をもとにいくつかのSNSサイトに登録し、動画共有サイト『TheyTube』にチャンネルを開設した。『TheyTube』の方にはチャンネルを作っただけでコンテンツは何もなかったので特に反応はなかったが、SNSサイト『Shabetter』では早くもフォローとダイレクトメッセージが来ている。取り急ぎ他人からの評価が貰えれば良かったため、目に付きやすいように自撮り画像を多く登載したせいもあるだろうが、メッセージの半分以上が、援助交際をはじめとした出会いを求める内容であったのが少し気になるところではあった。余程尻軽そうに見えたのだろうか、それとも、女性であれば誰でも良いという類の輩か。女性というだけでこれほどまでに性欲の標的となり得るのは驚愕だった。いずれにしても、少なくとも一定数の人間には女性として認識されているようだったので、来るべき約束の日を前にひとまず安堵を覚えた。



 翌日、ホームルームが始まるまでの間、例によって携帯電話で情報収集していると珍しく声をかけられた。声の主は同じクラスの女子、有坂聡子だ。ダークブラウンの長めのボブヘアーとぱっちりとした瞳が特徴的だ。人物像を一言で表すとするなら“お転婆な優等生”で、こうして普段から絡みのない私に対しても平然と話しかけてくる対話力を持っている。その発言力はクラスの中でも高い位置にあったが、それに負けず劣らず勉学にも秀でている。ただ、姦しいと捉えられるのもまた事実で、そんな彼女を疎ましく思っている生徒もいるようだった。


「柊野くん、昨日『Cyan』で買い物してたでしょ。私も昨日いたんだよ」


 それを聞いて驚いた。確かに店の中にはいなかったはずだし、入店するときも周りを確認したはずである。


「え、どこに? 気づかなかったよ」


「あ、やっぱり気づいてなかったんだ。私、向かいの店で買い物してたら柊野くんっぽい人いると思ってさ、なんで『Cyan』にいるんだろと思ってこっそり隠れて見てたらしてたらなんかプレゼント買ってるし……ねぇねぇ、もしかして彼女?」


 聡子はニヤニヤ笑いながら尋ねる。なるほど、さすがに向かいの店にいて、しかも隠れられていたら気づかなかったのも無理はない。


「あー、まぁそんな感じ。っていうかなんで隠れて……」


 私の言葉を途中で遮り、目を輝かせて尋ねる。なんとなくこのやり取りには既視感がある。


「やっぱり! えー、どんなコ? めっちゃ気になる! ねぇ、写真とかないの?」


 聡子は私とほぼ話したことがないとは思えないほどぐいぐいと質問を重ねる。


「えぇ……そんな見せるほどのもんじゃ……」


「えー、いいじゃん! 見せてくれたってさ!」


 聡子がそう言って膨れると、その騒ぎを聞きつけた彼女の友達らが集まってきた。


「どうしたの聡子? 柊野に絡んだりしてさ」


「ほら柊野くん困ってるよー!」


 女生徒らが次々と思い思いの発言をする。


「聞いてよ、柊野くんったらさー! 可愛い彼女いるらしいんだけど、写真見せてって言っても頑なに見せてくれないの!」


 私の制止も虚しく聡子が話の輪を広げる。しかもナチュラルに内容を盛っているからタチが悪い。聡子の言葉を聞いてさらに盛り上がる女子生徒たち。これ以上無駄に話が広がるのは都合が悪い。この人数ならば仮にバレたとしてもまだ冗談として済まされるはずだ。その際は私に変態の汚名が着せられることになるが。私は観念して自撮り画像の中から適当な一枚を見せることにした。


「あぁわかったよ、見せるから人に言うんじゃないぞ」


 携帯電話の画面を覗き込む聡子ら。先程までの騒々しさが一転静まりかえる。そこに映っていたのは軽くウェーブのかかったミルクティーのような色のミディアムヘアーにはっきりとした目鼻立ちをした少女が片目を瞑り、額の前でピースサインを掲げている姿であった。


「え! なにこれ? めっちゃ可愛くない?」


「ハーフとか? モデルみたいじゃん!」


「こんなコがなんで柊野と? どこで知り合ったの?」


 口々に好きなことを喋っている。いざ見せてみるとなると、無自覚に私を卑下しているコメントが耳に入らない程度にはハラハラしたが、どうやら私であるということはバレてはいないようで安堵に胸を撫で下ろした。だが、彼女らは私が画像を見せたことでより一層盛り上がってしまう。約束が違うじゃないかと憤る気持ちもあったが、それ以上に早く収束してほしいという気持ちが強かった。普段、クラスのコミュニティの外にいる地味な生徒が、なにやらクラスの中心的女子グループの話題の中心となっている。何事だろうと遠くから成り行きを見ている他の生徒らの視線が痛い。


「ねぇねぇ、ちなみに彼女さんのお名前はなんていうの?」


 聡子の質問にほかの女子生徒も便乗する。やはり彼女の発言力は高いのだろう。バラバラだった問いが一つに収束し、私の回答を待っている。こうなっては白状せざるを得ない。いや、そもそも架空の存在に白状もなにもないのだが。


「なんで名前なんか……、はぁ……白中……ルナだよ……」


 咄嗟に私のオリジナルキャラクターそのままの名前を言う。設定に凝りすぎるのも考えもので、聞かれると当時考えたキャラクター設定がスラスラ出てきてしまう。

 その後もさらなる質問攻めに合いそうになっているところ、ホームルームのために入室してきた担任の一声が私を救った。この瞬間ほど担任の存在を有難く思ったことはなかった。

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