第5話 邂逅

「やっぱりそうだ! 私、有坂聡子っていうの。あなた、柊野くんの彼女さんでしょ? 私、柊野くんとクラス一緒なの」


 私は一瞬、なんと返答すべきか言葉に詰まる。確かに柊野翠という共通の知り合いがいることにはなっているが、だからといって一方的に存在を知っている程度の人間に声をかけるものだろうか。私が他人との交流が苦手だからそう思うのか、単に聡子の特別コミュニケーション能力が高いのか、はたまた女子の間ではこれくらいは普通のことなのか。そもそも画像でしか見せていない白中ルナをよくもまあ特定できたものだ。私は一瞬思考停止した頭を切り替え、とにかくこの場を乗り切ることに専念する。


「聡子さんっていうのね。はじめまして、彼がお世話になってます」


「聡子でいいって、私もタメで話したいし。それにしても、写真見せてもらった時も思ったけど生で見ると本当美人ね。背も高いしハーフのモデルさんみたい」


 今日という日に照準を合わせて気合いを入れて着飾っているとはいえ、柊野翠であれば絶対に言われなかったであろう褒め言葉を賜る。女子としてではあるが、同年代の女子から容姿を褒められたことは、この二週間の慣れない努力を認められたような気がして思ったよりも嬉しかった。


「ありがとう、でも一応生粋の日本人のはずだよ。英語なんかダメダメだし、リスニングなんか全部呪文に聞こえちゃって、試験のときでさえ眠くなっちゃうから」


「あはは、“一応”って! っていうかリスニングの試験で寝るとか強者すぎ!」


 そんなことを話していると、聞き慣れない声が彼女の後ろから聞こえてきた。


「なに聡子? 知り合い?」


 背中まで伸びたサラサラのアッシュブラウンのストレートヘアーにスラリと伸びた手足。正統派美人アイドルを彷彿とさせる端正な顔立ちの女性の姿が私の目に飛び込んできた。


「あ、麻美あさみ。聞いて、うちのクラスメイトの彼女さんなの」


 麻美と呼ばれた彼女は食事と飲み物が載ったトレーを持ってそこに立っていた。おそらく彼女が注文を受け取るまでの間に聡子が席を取っておくという役回りだったのだろう。


「葉山麻美です。よろしく」


 彼女はそう言って小さく会釈をして聡子の向かい側の席につく。見た目によらずあっさりしているというかなんというか、聡子のテンションが高すぎるだけなのかもしれないが、彼女と比べると落ち着いた印象を受けた。


「二人は同じ高校なの?」


 私は情報収集の意も込めてそう質問した。白中ルナの存在を知っている者が同じ高校の生徒かどうかで身の振り方に影響を及ぼすと思ったからだ。すぐさま聡子が返答する。


「ううん、麻美は聖蘭。私の中学の同級生なの」


 聖蘭高校は二ツ谷高校とは駅を挟んで反対側に位置する女子校だ。たしか私の中学の同級生も何名か通っていたはずだ。そんなことを思い出しながら“中学の同級生”というワードにやりきれない感情を抱く。そう言えば私も今日は中学の同級生と会って来たのだった。私の場合は彼女らとは違って不毛極まりないものであったが。


「……どうかした?」


 先程の亮介らのやり取りを思い出して浮かない表情をしていたのがわかったのだろうか。麻美が不思議そうな顔をして尋ねる。特に表情に出ている意識はなかったため、不意を突かれた私は取り繕う間もなくありのままを話してしまう。


「え? あ、ううん。私もさっき中学の同級生に会う用事が会ったんだけどね、二人みたいに仲のいい感じじゃなかったから、なんか……羨ましいなぁって」


 私はなにを言っているのだろう。会ったばかりの相手に対して。いや、聡子はクラスメイトではあるが、大して話したことはないし、当然だが白中ルナとしてはどちらも初対面だ。そんな相手にいきなりこんなことを話されても困惑するだけだ。さっき亮介たち相手に啖呵を切ったことで情緒不安定になっているのだろうか。


「えー、なになに? ちょっとかわいいんですけどー!」


 返ってきたのは意外な反応だった。聡子はそう言って抱きついてくる。彼女の柔らかな肢体が触れる。これが女子同士特有のスキンシップか、柊野翠のままでは絶対にあり得なかったことだろう。それにしても聡子のそれはあまりに壁がなさすぎると思うが。

 すると、私の顔の前に一本のフライドポテトが現れた。あまりにもいきなり口もとに現れたため、私は反射的に口を開けてそれを咥える。


「ほら、これでも食べてお姉さんたちに話してごらん」


 麻美はそう言って微笑むと、徐にテーブルを移動させ四人がけの席を作る。

 ああ、彼女はこうやって笑えるのか、ずるいなあ。

 私の中で理解しがたい感情が込み上げる。今まで張り詰めていたものが断ち切れて咽喉が熱くなるのを感じる。さすがにここで泣くわけにはいかないし、なぜ涙が出そうになっているのかもわからなかった。


「あ、ちょっと待って……!」


 私は一度、二人に背を向けて深呼吸をして感情の昂りを抑え込む。明らかに不審な挙動だが、そんなことを気にしている余裕はない。次に振り返ったとき、潤いの隠しきれていない私の瞳を見て彼女らはなにを思ったことだろう。私は彼女の言葉に甘えて今日の出来事を話すことにした。柊野翠の彼女の白中ルナとしての感情の機微ではなく、あくまで柊野翠としての感情の機微を白中ルナのものとして。


「……中学のときに私のことを嫌いな奴がいてね、なにかと目の敵にしては突っかかってくる奴だったんだ。まあ、私は私で結構捻くれてはいたからお互い様っちゃあお互い様だけど……。高校に上がってからは学校も通学の時間も違ったから久しく関わりはなかったんだけど、つい先日、どういう風の吹き回しか会わないかなんて言ってきたわけ。中学までとは環境も変わったし、もしかしたら友達とは言わないまでもちょっとは関係が良くなるかなぁ……なんて思った私がバカだった。結局そいつは中学の頃となにも変わっちゃいなくて、なにかにつけて私を見下したいだけだった。それで腹が立っちゃって、もう二度と会わない勢いで言いたいこと言って別れてきて、そして今に至る……」


 亮介らとの間で起きた一連の出来事を白中ルナを当事者としても矛盾が生じないように情報を要約し、それでいて自分の感情からかけ離れないように言葉を紡いだ。


「へぇ、それじゃあ一戦やり合ってきた後だったんだ、その中学の同級生と。それはまあ大変だったねぇ」


 麻美がポテトを摘みながら相槌を打つ。


「……っていうかあり得なくない!? 人を呼びつけておいてその態度って!」


 聡子が憤る。彼女らが私の心の内に渦巻く負の感情に寄り添い、または代弁してくれたような気がして気持ちが軽くなった。思えばこういったコミュニケーションは新鮮な気がする。人との交流の経験が少ない私が言うのも説得力に欠けるかもしれないが、傍らで聞いていた他人同士の会話を思い出しても、男性同士ではこういった会話はあまりないように思う。おそらく同じ話をしたところで、ある者はこうすれば良いのではという解決策を提示し、またある者はどうしてこういう対応をしなかったんだというダメ出しをするだろう。またある者にいたっては、その話を足掛かりに小咄や大喜利が始まる。それはある題材についての議論をしたり、見世物としてのコンテンツとしては正解なのかもしれないが、友人同士のコミュニケーションとして最適解とは言えるのだろうか。友人が本当に解決策を求めているのであれば、最初からそう言うだろう。こういうときに友人に求めているのはその者の心に寄り添うこと、あるいはその気持ちを汲んでやることなのかもしれないと、自身が当事者となって初めてわかった気がした。女性のコミュニケーションは共感だとテレビかなにかでどこかの研究者が語っていたような覚えがあるが、なんとなく合点がいった。

 そして私の心に今までにあまり感じたことのない感情が芽生えた。


「どうしたの? 難しい顔して」


 聡子が私の顔を覗き込む。


「いや……同年代の人っていうか、あなた達と話してると……楽しいなあって」


 そう口を突いて出た言葉に、その場にいる人間の中で私自身が最も驚いただろう。まさか私の口からそんな言葉が出るとは思いもよらなかった。


「あは! なにそれ、照れるんですけど!」


 聡子が両の手の拳を顔の前で握りしめて喜ぶ。一般的にぶりっ子と呼ばれる典型的な仕草だが、彼女の認識において、今この場に媚び諂う対象となる異性はいないことを思うと、彼女はナチュラルにこういう感情表現をする人間なのだろう。私は彼女のそういうところが少し羨ましく思えた。と言うのも、ここまでの会話の中で私が自身の素直な気持ちを吐露した方がコミュニケーションが上手く回っているような気がしたからだ。それでも彼女ほどの感情表現は今の私にはできそうにない。これも私が感じていた性差にまつわることだが、そもそもとして男性同士の会話の中で直情的に感情を表現することがほとんどないような気がする。笑うべきタイミングで笑い、怒るべきタイミングで怒る。悲しみの感情を露わにするのは情けなく、辛いことは隠して平気なフリをする。それが男性間でのコミュニケーションにおける美德なのだと人格形成の段階で植え付けられてしまっているような気がする。


「それじゃあ、高校の友達ともこういう話ってしないの? ってあれ、そういえばルナってどこ高なんだっけ?」


 麻美が尋ねる。亮介とのやり取りの中で当然こういった質問はなされるだろうと想定して固めてきた白中ルナの設定だったが、それをここで披露することになるとは思わなかった。


「私ね、高校は前徳の通信過程なの。親の仕事の都合で一箇所に何年もいれなくてね。学校にはほとんど行かないから高校に友達っていう友達はいないし、中学までの同級生はさっき言ったようなのばっかだし」


 前徳高校は二ツ谷駅東にある通信過程のある学校だが、普通高校に通う彼女らにとってそのイメージは良いとは言い難いだろう。私自身でさえ、通信制高校は問題を起こして退学になった不良や精神を病んで引きこもるようになってしまった層がメインだと思っていたくらいで、実態がどうかは別として、それだけ通信制高校については馴染みがなかった。だが、通信制ゆえに生徒間の繋がりが希薄でもなんら不自然ではなく、“友達の友達”から白中ルナの正体に辿り着くリスクを最小限に抑えることができる。


「え? じゃあ柊野くんとはどこで知り合ったの?」


 聡子が身を乗り出して聞いてくる。


「あ、それ私も気になってた」


 麻美もそれに倣うように耳を傾ける。麻美にいたっては柊野翠とは知り合いですらないのだが、この手の話題は女子にとっては永遠の鉄板ネタなのだろう。


「ああ、それはね、中学のときに通ってた塾が一緒だったの。とは言っても個別指導だったから塾生同士が仲良くなる機会ってほとんどないんだけど、たまたま模試のときに隣の席になってね。それから帰りのタイミングが重なったときは駅までの道を一緒に帰るようになったの。それで……」


 二人の顔がにやけているのを見て、途中で口を噤む。


「あれ、どうしたの? それでそれで? 続きはどうなったの?」


 麻美がまるで御伽噺の読み聞かせを待つ子どものように目を輝かせて言った。


「いやいや、二人とも面白がってるでしょ。言ってて結構恥ずかしいんだけど……」


「いーじゃん! うちら最近そういうときめく話に飢えてるんだから!」


 聡子も口を尖らせる。別に絶対にこの話をしたくないというわけではない。ただ少しだけこういう話には不慣れだというだけだ。自分で考えた設定を話しているだけなのに滑稽なことだが、色恋の話に気恥ずかしさを感じたという発言に嘘はない。その気持ちに嘘はない分、このエピソード自体が、白中ルナ自身が架空のものであることをより際立たせる。

 私は今、この時間をとても楽しいものに感じてしまっていた。この虚飾だらけの存在となって初めて人との関わり合いが楽しいと思えたのだから皮肉なものだ。そしてその楽しい時間にも終わりが近づいている。昼食を取り、電車までの時間を少し潰すつもりでしかなかったのに、時間を忘れて話し込んでしまい、気づけば間もなく帰りの電車の時間だ。既に当初乗る予定だった電車は二、三本前に出てしまっていたが、次の時間帯の電車を逃してしまえば、家に着く頃には両親と杏が部活を終えて帰って来てしまう。さすがに白中ルナの格好をしたところを見られるのは憚られるため、それより先に帰宅する必要があった。


「あの……ごめん! 私ももっと話したかったんだけどそろそろ帰らないといけなくて……。お話聴いてくれてありがとう。なんだか憑き物が取れたような気がするし本当に楽しかった。その……良かったらまた……!」


 荷物をまとめ席を立つ間際に口を突いて出たその言葉もまた、虚飾に彩られた身から出た嘘偽りのない言葉だった。

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