第6-1話 日常(前編)

 翌週の月曜日、週末の怒涛の出来事が夢だったのではないかと思えるくらい当たり前の日常が再開される。親はいつものように出勤し、杏は私が家を出る頃に漸く起きてきて準備を始める。いつもの時間の電車に揺られ、通い慣れた道を歩く。平凡な日常を象徴するかのように空には一面薄い雲が広がっている。天気が崩れることもなければ朝方の急激な冷え込みもない、この時季の気温としては高くも低くもない、なんの変哲もない朝。


 まだ生徒のまばらな教室に入ると、いの一番の聡子が声をかけてきた。彼女の朝はいつも早い。私とて教室に入る時間は決して遅くない方であるはずだが、それでも彼女より先に教室に着いたことはない。お喋りの好きな彼女でも人がいなければ誰と話すこともないだろうから、この時間におそらく自習でもしているのだろう。そうであれば、普段遊び歩いているように見える彼女が学年でもトップクラスの成績を維持しているのも頷ける。言動こそ歳頃の女子高生といった雰囲気だが、根は紛れもない優等生なのだ。


「あ、柊野くんおはよー! ねぇねぇ、土曜日に柊野くんの彼女に会ってさ、いろいろお話しして仲良くなっちゃった!」


 当然だが、今の私には白中ルナではなく、クラスメイトの一人である柊野翠として接している。正直、今日聡子に会った際に柊野翠として振る舞えるのか不安に思っていたが、いつものように学生服を着て通学路を歩き、校門をくぐり教室へ向かうというルーティンを踏むうちに二ツ谷高校の柊野翠という外面が無意識的に構築されているのか、その思いは杞憂に終わり、自然と彼女に対する言葉が出てきた。


「ああ、聞いてる。とてもいい人たちだったって言ってたよ。あと……、めちゃくちゃ楽しかったからまた会いたいとも言ってたような……」


 私は私自身の願望をつけ加えた。他人の願望を伝える態で話しているがやはり少々気恥ずかしさは残る。


「ほんと? 嬉しい! っていうかルナ可愛いしマジいいコだよね。柊野くんも隅に置けないんだから」


 私は照れ隠しするように苦笑いをする。私は今の言葉のどちらに嬉しさを感じたのだろう。可愛い彼女がいる自分か、はたまた白中ルナ自身が褒められたことか。


「あ! そういえば、私ルナの連絡先知らないや。柊野くん教えてもらってもいい?」


 私は聡子にそう言われ、何気なく携帯電話を取り出そうとしてあることに気づく。白中ルナの連絡先が存在しないのだ。こういうときに友達の連絡先として教えるのはメッセージアプリ『RINE』のアカウントが一般的だろうが、私には柊野翠としてのアカウントしか持ち合わせていない。


「あー……なんか最近RINEの調子が悪いとかでShabetterのDMで連絡とってんだよね。それでもいい?」


 聡子がそれで良いと言うので、私は以前作成した白中ルナの『Shabetter』アカウント名を教えた。


 その日の昼休み、早速聡子のものと思われるアカウントからフォローとDMがあった。


『やっほー聡子だよ♡ 柊野くんからルナのアカウント教えてもらっちゃった! Shabetterで連絡とってるんだよね? 今度また3人で遊ぼうと思って連絡先知りたかったの』


 行動が早いというかなんというか。私自身、柊野翠として聡子と朝のやり取りを経ているから受け入れられているが、実際のところ、先日知り合ったばかりの人間からいきなりこのようなテンションのメッセージが来て受け入れられるのだろうか。いや、これも単純に私がこういったコミュケーションに慣れていないだけで現代の女子高生にとっては至極普通のことなのかもしれない。


『やっほー♡ この間はありがとう! すごく楽しかったからまた二人に会いたいなって思ってたところだった』


 歳頃の女子高生が送るメッセージとしてこれで良いだろうかと二度三度文章を推敲する。聡子が書いてきたからそのまま返したが、“やっほー”なんて死語ではないのか。それに、相変わらず文章にハートマークをつけることには若干の抵抗というか謎の気恥ずかしさが残る。私はDMを送りフォローし返すと、聡子のこれまでの呟きを眺めてみた。友達と遊んだ際に撮った写真や新しく購入した化粧品の写真なんかが並んでいるほか、コミュニケーションの盛んな彼女らしくフォロワーからのコメントとそれに対する返信の呟きが多くを占めていた。対して私のアカウントは、作成当初こそ自撮り画像を多く載せているものの、ここ最近は自分のメモ帳代わりにしか使っておらず、購入した化粧品や服の良い点悪い点を事務的に書き綴るだけの殺風景なアカウントとなっていた。幸い、オタク感丸出しの呟きはこちらのアカウントではしていなかったため、初見で引かれることはないだろうが、こんなところでも交友関係の差というものをまざまざと見せつけられた。

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