第6-2話 日常(後編)

「……それで、由実がその男子に告られたらしくてさ。でもほら、あのコからしたらそこまで仲良いつもりじゃなくて……嫌いとかではないんだろうけどね……」


『スタークロノス北口店』。先日、白中ルナとして初めて聡子と麻美に出会ったこのカフェに、また3人の影があった。今回は既知の友人同士として、3人の都合がついた日に落ち合うことになったのだ。なんでも、クリスマスシーズン限定のドリンクの提供が始まったらしく、聡子がそれを飲んでみたいということから始まり、せっかくだからとルナに誘いの声がかかった。もちろん、そのドリンクをテイスティングすること自体も目的の一つではあるが、一番の目的は世間話だろう。先程から、聡子はクラスメイトの恋愛事情について話している。聡子のクラスメイトということは同時に柊野翠のクラスメイトでもある。柊野翠としての関係性のままであれば、決して知り得なかったであろうクラスメイトらの情報が次々に耳に入ってくる。聡子からすれば別人の認識とはいえ、柊野翠の彼女という設定上、そこから私自身へ伝わる可能性があるというのはわかっているはずなので、そこまで機密レベルの高いものではないのかもしれない。基本的に初めて耳にする話題ばかりであったため、わざわざ演技をしなくとも自然な反応を返せるのは良いが、それがそもそものクラスメイトとの交流のなさに起因するものであると考えると少し複雑な気持ちになった。


「やっぱさ、この時期になるとアレじゃない? クリスマスまでに恋人作ろうって焦ってるとか。だって、学校でもそんな話したりするような仲じゃなかったんでしょ?」


 麻美が痛いところを突く。実際、クリスマスを目前にして恋人がいないのならば、そのような考えを抱く者はも少なくないだろう。私だって、クリスマスに恋人と過ごすことができるのならそれに越したことはない。ただ、私の場合の一番の問題は、その“自身に恋人ができる”過程が全くもって思い浮かばないことだ。亮介から理不尽な約束を持ちかけられたあの日、自己分析していてわかったのは、私には根本的に恋愛が向いてないのではないかということだ。気になる異性を思い浮かべても特に思いつくこともなく、終いには理想のタイプを自身で体現してしまっている始末である。私には“人を好きになる”という感情がよくわからないのだ。世のカップルたちは、互いのどのようなところに魅力を感じて恋人という関係になったのか。そもそも、“魅力”という言葉で濁してはいるが、それは突き詰めたら自分にとって都合の良い性質とか特徴ということだ。見た目が良いとか金や社会的地位を持っているだとか、優しい、面白い、自身のステータスに繋がるだとか、結局は互いに利己的な感情のもとに成り立っている関係に過ぎない。そういう生々しく打算的な関係性を“恋愛”という言葉でオブラートに包んで、運命やロマンスという付加価値で神聖化して本質を隠しているだけと思うのは私が捻くれているからだろうか。こういうことを彼女らに相談できれば良いのかもしれないが、他人の恋愛事情で盛り上がっているところに水を差すことになりそうだし、身も蓋もなさすぎて口にするのは自分でも無粋だと思う。第一、柊野翠と付き合っているというルナの設定にも矛盾が生じてしまう。


「……ルナはどう思う? あ、もしかしてこの話、彼氏から聞いてた?」


 そんなことを考えていると、麻美が問いかけてきた。あまりに恋愛に対して否定的なことを考えていたため、咄嗟の返答に迷う。


「……いや、初めて聞いた。……うーん、私も麻美の言うとおりだと思うよ。ってか、“クリスマスは恋人と過ごすもの”って過度に煽る風潮がダメだと思う。その人らだって、もしクリスマスがなければもうちょっと時間をかけて仲良くなってたかもしれないし……って、あれ? でもクリスマスがなければそもそも行動に移さなかったのかな……?」


「あはは、自分で言って自分で論破してるし! まぁ、結局そうなんだろうね。クリスマスはきっかけでしかなくて、“クリスマスに彼女がいない自分”を避けたかっただけなんじゃない?」


 聡子がからからと笑う。たしかに、今回のケースで言えばその男子生徒の行動は浅薄だったかもしれない。だが、彼が自身の願望のために実行に移せるだけの行動力を持っていることもまた事実だ。悪く言えば考えるより先に体が動くタイプなのかもしれないが、なにをするにしてもあれこれ杞憂する私のような人間からしたら少し羨ましくも思えた。


「ルナはそういうことある? 今の彼氏は別にして、思ってもみなかった人から告白されること」


 麻美が尋ねる。さて、どうしたものか。一応、完全無欠の『白中ルナ』としては設定上モテることになっていたが、具体的な個別のエピソードまでは用意していないため、そのまま話したところで嘘くさくなりそうだ。それに、これ見よがしにモテエピソードを披露してヘイトを溜めるようなことになるのも嫌だった。


「あー、あんたそういうの多いもんね。中学のときも話したこともないようなヤツから告られてなかったっけ?」


 聡子が言う。私は返答を考える時間を稼ぐために、とりあえずそれに乗っかって茶を濁すことにした。


「へぇ、そうなんだ! 麻美は中学のときはそんなにモテてたの?」


 麻美は苦虫を噛み潰したような表情で答える。


「あんなのモテてたことにならないよ。それこそ、さっきの話じゃないけど、“彼女がいる自分”を演出するためにちょうどいいと思われてただけだし。あの頃は私も今よりお子様だったからさ、要は舐められてたんだよ」


「出た出た、モテる者の余裕。モテざる者からしたら告白されるだけで随分なことなんだけど」


 聡子は麻美の言葉にわざとらしく両手を広げる。たしかに、麻美のルックスは群を抜いてレベルが高いと思う。だとしても、聡子だって見た目は十分整っているし、黙っていればモテるはずだ。そう、黙ってさえいれば。

 コミュニケーション能力の高さは聡子の長所だが、それが恋人としてとなると持て余すと考える男が多いのだろう。麻美も自分で認めているように、モテることと甘く見られることは紙一重だ。聡子はもともとそういうタイプではないのだろうし、麻美もそんな自分と決別するために、今のようなクールビューティーな路線にシフトしたのかもしれない。


「……っていうか私のことはいいの、それよりルナは?」


 麻美が仕切り直す。聡子が話の腰を折ってくれたおかげで私の返答は決まっていた。ルナとしての設定ではなく、柊野翠としての事実を話そう。


「私はそういうことはないかな。前にも言ったけど、中学のときはクラスでも浮いてたし、私みたいなのと付き合おうなんて物好きはいないよ」


「えー、絶対嘘でしょ。その見た目でモテないわけないもん。でもさ、告白まではいかなくても人気はあったんじゃないの? ほら、『誰々がルナのこと好きらしいよ』とか、『だから連絡先教えて』みたいな」


 聡子が訝しむ。たしかに聡子の言うようなことが全くなかったわけではない。だが、それは。私は表情が曇らないよう苦笑いを貼り付けて答える。


「やー……そういうこともなかったわけじゃないけどね……。中学くらいだとさ、悪質なノリが多いじゃん。火のないところに煙を立たせるみたいな? 少なくともうちのとこはそういうくだらないのが横行してたからさ、そういう噂はあっても本気にする感じじゃなかったかな」


「あーわかる! あれなんなんだろうね」


 聡子が同調する。どちらかというと聡子はそういう噂を無意識のうちに拡めてしまうタイプのような気もするが、そこは口にしないでおいた。


 先の言葉は嘘ではないが、事実にしては説明が足りていない。ありのままの事実を話すのは、恥ずかしいというか情けない気持ちが先行して気が引けたからだ。

 自分も中学生になって半年くらいは、どこにでもいる一中学生同様に同級生らと交友を持っていたし、友達のような存在もいた。その頃はまだクラスのコミュニティに属していたから、そのような根も葉もない噂もよく耳にしたし、自分がその対象になることもあった。別にそれが噂だけで完結していればかわいいものだが、実際はそうではなかった。その噂が事実なのか虚構なのかはわからないが、誰かに好意を寄せられていることを露骨に妬む者が現れ始めたのだ。その価値観はいつしか歪んで伝播し、そういった好意の対象は『調子に乗っているヤツ』として槍玉に挙げられる、相互監視の息苦しい環境となっていった。出る杭は打つし、気に入らなければ出ていない杭も出ていることにして打つ。私がコミュニティから距離を置き始めたのはそれくらいの頃からだった。


「でもさ、中には本当に好きだって人もいたわけでしょ? デマだとしてもそういう噂があったら気になったりしない? 嬉しいか嬉しくないかは別にしてもさ」


 麻美がさらに尋ねる。そういう環境でなければ、おそらくはそれが自然な反応なのだろう。私は言葉を選んで答える。


「まぁ、全く気にならないって言ったら嘘になるけど……でも、中学のときはそれ以前に面倒なことに関わりたくないって気持ちが強かったかな。たとえデマでも私が誰かに好かれてるって噂自体をよく思わないヤツもいっぱいいたし。最初からなにも知らなかったことにしてた方が楽だから……ってなんか辛気臭い話になっちゃったね、あはは」


「ふーん……そこまで割り切れるんだ。なんか、大人なんだねルナは」


 麻美はどこか感心したように言う。だが、それは大きな勘違いだと言わざるを得ない。単純に私の中学の環境が特殊というか幼稚なだけだ。私からしたら、他人からの好意に真摯に向き合える方が大人だと思うし、そういう環境であるのが本来なら当たり前だと思う。私は、いや、私を含む河澄中の同級生はその当たり前のスタートラインにさえ立てていなかった。彼女らも今はまだ、私に気を遣ってくれているだろうから、こうして同じ目線で会話できてはいる。しかし、その会話の節々ではことあるごとに思い知らされる、自身を取り巻くコミュニケーションがいかに未熟であったかということを。

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