第7-1話 明暗(前編)

 12月下旬の頃、県内の高校はほぼ一斉に年内最後の登校日を迎える。ただし、二ツ谷高校をはじめとした進学校は年内最後の登校日とは名ばかりで、明日から数日間にわたって補習授業が行われるため、生徒らにとって冬休みの実感は少ない。

 それでも今日は、三学期制の学校は終業式、二学期制の学校は終業式に代わる簡易的な全校集会を行った後、いつもよりも早い時間に放課になる高校がほとんどであった。部活動が休みのところも多いようで、クラスメイトらは帰りのホームルームが終わった後も雑談を交わしたり、この後どこかへ遊びに行く算段を立てたりしていた。そのような中で私はいの一番に教室を飛び出し学校を去る。特に雑談を交わす友人も、遊びに行く予定を立てる友人もないのだから当然だ。そう柊野翠には。

 私が急いで学校を出たのにはもう一つ理由がある。今日はこれからまた聡子と麻美と遊ぶ約束があるのだ。そう、白中ルナとして。

 私は待ち合わせ場所にしている二ツ谷駅に隣接した駅ビル『tocoro』に向かう前に、道すがらにあるスーパーへ立ち寄る。高校から駅までの間にはスーパーが三軒ほど建っているが、高校からも駅からも微妙に離れた距離に位置するこのスーパー『マルシン』には、他の二軒に比べて立ち寄る二ツ谷高校生が少なかった。私はそこの多目的トイレへ入り、持ってきた服へ着替える。トイレへ向かう通路に設置された監視カメラは本物かダミーかわからないが、本物だとしたら入退室の前後で別人が出入りしている奇異な映像が収められていることだろう。


「あ、おつかれー!」


『tocoro』一階にあるクレープ屋の前のベンチでこちらに気がついた聡子が手を振る。隣には麻美の姿もあった。


「ごめん、待ったでしょ」


 聡子よりだいぶ学校を早く出たつもりだったが、やはり準備にはそれなりに時間がかかってしまったようだ。


「ううん、私たちもさっき着いたとこ。ルナのとこも今日で授業終わり?」


 麻美が尋ねる。


「うん。あ、でも進級怪しい人は補習あるみたいだけどね。“も”ってことは聖蘭も?」


 私はネットで調べた前徳の冬期休暇事情を話す。定時制高校も普通高校と長期休暇のタイミングが一緒なのは意外だった。授業時間のように休暇もフレックスなのかと思っていたが、考えてみれば職員だって年末年始もフル稼働という訳にはいかないのだろう。


「そ! だから心置きなく遊べるってもんよ。ね、有坂さん?」


 麻美はわざとらしく畏まって聡子に話を振る。麻美も知っているのだ、二ツ谷高校生は明日からも補習のために登校しなければならないことを。


「うわ、うっざ。ねえ、うちの高校あり得なくない? 補習とか単位危ないヤツだけでいいじゃん! なんで全員強制なの!?」


 聡子が憤る。ルナに扮している以上、大仰に同意することはできないため、彼女の言葉に心の中で頷く。所謂進学校は高校三年間のカリキュラムのうち、共通一次の試験科目となり得る科目は二年生が終わるまでにほぼ終わらせる。そのため、授業の進行スピードが非常に早く、通常の授業で手落ちとなったところを補習で補足するのが常態化していた。つまり、補習とは表向きで、実態は最初から補習期間も含めた前提のカリキュラム構成となっているのだ。最終的には進学を目指している我々生徒のためであることは、私なんかよりもずっと賢く勤勉な彼女のことだから十分に承知しているのだろうが、同じ高校に通う柊野翠としては、憤る気持ちは痛いほどわかる。


「まあまあ、今日は一旦勉強のことは忘れてさ、パーっと騒げばいい気分転換にもなるんじゃない?」


 私は聡子の機嫌を取るの半分、自分に言い聞かせるの半分に言葉をかけた。


「あ、言ったな。それじゃあとことん付き合ってもらうんだからね!」


 そう意気込む聡子の先導に続き、私たちは駅ビルを出て東に10分ほど歩いたところにあるカラオケ店を目指した。


 カラオケ喫茶『ストーンウィッチ』。最新機種を豊富に取り揃えているわけではないため、私はあまり利用したことはないが、お洒落な外装と小綺麗で広めな部屋、カラオケというよりは喫茶店に近い雰囲気や豊富な飲食メニューなど、とりわけ女性客からの支持の高い店舗だ。しかし、他人とカラオケに来るのはいつ以来だろう。確か高校に入ってすぐ、今のグループが形成されるより前の時期に、クラスメイトの何人かに誘われて付き合いで参加したことがあったような気がする。その時はかなりの人数だったうえ、クラスメイト間でそこまで打ち解けているわけではなかったため、かなりギクシャクした雰囲気だった記憶がある。そもそも、カラオケというのは遊びとしてはメジャーな割にハードルが高い方だと思う。閉鎖空間の中で数時間、人前で歌うという非日常的な行為を繰り返すわけだ。とりわけ日本人は諸外国に比べて生活の中に音楽が結びついていないのだから尚更のことである。極限の環境と言えば言い過ぎだが、少なくとも日常から離れた特異な状況下では、そこにいる全員が楽しく快適に過ごせるというのは実はなかなかに難しいことだと思う。逆を言えば、そのような状況下だからこそ見えてくる人間性というものがあるのかもしれないが。


 受付を経て、部屋に通される。カラオケの部屋にしてはシックな内装で落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 聡子はマイクとリモコンを私たちに振り分けると早速曲を選び始めた。初めてのカラオケに行く顔ぶれの一曲目というのはそれなりに敬遠されがちだが、彼女なりに気を遣ってのことだろう。

 大きな音と共に男性バンドグループの曲のイントロが流れ始める。『ペンタグラフィティ』という、メディアへの露出はそれほど多くはないが、コンスタントにヒット曲をリリースし続けているバンドだ。彼女はこのバンドに肩入れしていることは普段聞こえてくるクラスメイトとの会話から承知していた。私も彼女ほど詳しくはないが、良い曲を作るバンドだと常々思っていた。聡子の歌声は声量が大きく、普段の彼女像からはそう遠くない“元気な女の子”といった雰囲気だった。


 続いて麻美が選曲する。

 麻美が選んだ曲は、『kit-tin』という男性アイドルグループだ。数々の男性アイドルを排出する大手事務所がプロデュースしたグループの一つで、ほかのグループに比べてややロックテイストな売り出し方をされており、女性ファンも多い。

 正直なところ、私としては彼らにそれほど興味はなかったが、杏が一時期彼らの魅力をやたらとプレゼンテーションしてきたことがあったので、麻美の入れた曲についても全く知らないというわけではなかった。旬な男性アイドルグループの情報は女子の間では必修科目なのかもしれないが、このときばかりは杏の教えに感謝した。

 麻美の歌声はこう言ってはなんだが、意外にも普通だった。その見た目から空前絶後の歌姫のようなイメージを勝手に抱いていたが、良くも悪くも“歳頃の一般的な女子高生”のものだった。私は他人を見た目で判断した挙句、勝手に期待を膨らませていた自分がいたことに反省した。外見と内面の乖離というものに関しては、こんな格好をして女子高生として過ごしている私が最もわかっているつもりであったというのに。


 そんなことを思っているうちに自分の順番が近づいてくる。初めてカラオケに行くメンツにおいて、特に最初に入れる曲というのは重要だ。その者の趣味嗜好もそうだが、なぜその曲を選ぶに至ったのかという経緯についても、邪推するわけではないにしても、聞かされている側からすればその4、5分の間にそういった思考を巡らせることは往々にしてあり得る。これが特定のアーティスト縛りでもしているのであれば、選曲に対しての言い訳が成り立つため、逆にこういったことはあまり気にしなくて良いのだが。

 そういう視点で二人の選曲を分析してみる。まず、聡子の選曲は彼女が熱を入れているアーティストの曲であることは別にして、曲自体は同年代であればまず知っている上にアップテンポでノリが良い。その上で“自分は彼らのファンだから選曲した”という背景も見えてくる。魁を務めるのに完璧な選曲だと言える。

 続く麻美の選曲であるが、カラオケにおけるその場の空気というか方向性というものは二番目に歌う者の影響が少なくない。というのも、聡子がそうしたように、一番最初に歌う曲というものはどうしても場を暖める役割を担ってしまう。その役割が完璧であればあるほど、聞いている側は“一番目だから”が刷り込まれる。そうなると、やはり次に自由意志により歌う者の影響が後の選曲に如実に反映される。麻美が入れた曲は、グループ自体の認知度は高いものの曲については杏からの情報のよれば、比較的マイナーなものと思われる。おそらくは彼女もまたこのグループのコアなファンなのだろう。ここから導き出される結論、彼女はこう方向づけしたのだ“認知度を問わず好きなアーティストの曲を歌おう”と。

 私は『gloss』というある女性アーティストの曲を入れた。実力派のシンガーで数年前に人気のピークを迎えて以降、あまりメディアには露出しなくなっていたが、時折アニメとタイアップした曲を売り出しており、私はその都度それを追いかけていた。

 画面に表示される曲名を見て聡子が懐かしいと声を上げる。私たちが中学生の頃にリリースされた曲だが、時代の先端を征く女子高生にとっては数年前の出来事も既に懐かしいもののようだ。二人が画面と私の方を交互に見る。白中ルナとして歌唱するのはこれが初めてで、それを聞いているのがたった二人の友人だけとはいえ緊張が走る。これまで一人カラオケで飽きるほど歌ってきた曲だ。話し声が問題なく通用しているのだから歌声だって問題ないはずだ。私は自分にそう言い聞かせ、十数秒のイントロの後、小さく息を吸いワンフレーズ目を発する。染み付いたリズム、刻み込まれたメロディ。あまりに慣れ親しんだ楽曲に、私は気づいたらいつものように歌い上げてしまっていた。二人がポカンとした表情でにこちらを見ている。しまった、ついいつもの癖で反射的に熱唱してしまっていたが、普段の話し声からできるだけ遠ざからないような声色で歌うよう気をつけるべきだったか。女性ボーカルの曲だからそれほど男の声色は出ないだろうとたかを括っていたが、不審に思われてしまっただろうか。


「ルナ……あんた……」


 曲が終了し、聡子がこちらに向かって声を掛ける。戸惑ったような表情にも見えるが本意はなんだろうか。私は自信なさげな仕草で答える。


「あ、あはは……、変……だったかな……。初めてのメンツだったから緊張しちゃって…」


 ところが、聡子から返ってきたのは私の想像とは異なっていた。


「なに言ってんのよ! え、っていうか上手くない……? ちょっと、聞いてないんですけど!」


 続けて麻美が賛同する。


「わかる、なんか普通に歌手みたいだもん。あ、歌い方似てる歌手いたよね、ほら、『外島ナナ』だっけ?」


『外島ナナ』は5年ほど前にメジャーデビューした女性シンガーだ。中学の時に一部の女子生徒が彼女のファンでたまにその話題が聞こえてきたことがあったが、私自身は彼女の曲をよく知らないでいた。


「あー、確かに似てる! ねえねえ、この人の歌なんか歌ってよ」


「えぇ……私この人の歌あんまわかんないんだけどなぁ。ま、これなら……」


 聡子の無茶振りに私はかろうじて知っている、彼女のディスコグラフィーで最も知名度の高い曲を検索した。サビは知っている、AメロとBメロもテレビかなにかで耳にしていたのでおそらくわかる。だがCメロやフェイクがあったら……。


「えいっ」


 私が歌詞を確認していると隣から手が伸びてきて曲の送信ボタンを押す。振り向くと麻美がイタズラがバレた子どものように笑っている。無慈悲にも画面に映し出される往年の名曲『Ever blossom』。意を決めた私はにわか知識ながらも彼女に寄せた歌い方をする。スピーカーから聞こえてくる自身の声が伴奏と混じり合うのを聞いて、確かにいつかの音楽番組で聞いた『外島ナナ』像が浮かぶ。これまでは一人カラオケばかりしていたので自分では意識したことがなかったが、客観的な評価というものは時にこうも簡単に新たな見識を広げてくれるのかと思い知らされる。


「ヤバい! めっちゃ似てるー!」


 スピーカーから流れる音源にも負けないボリュームでリアクションをする聡子。麻美は楽しそうに笑いながら曲に合わせて手を叩いている。

 おそらく聡子と麻美は過去に何度かカラオケに行ったことがあるのだろう。だから新たな風である私に注目が向くのはわかっていた。それにしてもこの盛り上がりは想像以上だ。思っていた流れとは違っていたが、これはこれで楽しいから良しとしよう。


「ルナ、この曲知ってる?」


 順繰りに歌うのが何周かした頃、麻美がある曲を表示させてリモコンを見せてくる。そこに映し出されていたのは意外な曲だった。『Midnight Story』、それは少し前にネット上で人気がでた曲で、この曲自体はアニメソングではないものの、作曲者がほかのアニメソングの作曲を手広く手がけている人であったため私も知っていた。だが、よりによって彼女たちからこの曲の名前が出るとは思わなかった。


「ほんと!? ほらこの曲四人で歌ってるじゃん。私と聡子だけだとどうしても無理があるんだよね。だから……はい」


 麻美がマイクを手渡す。


「え、ルナもこれ知ってるの? じゃあさ、ガチでパート分けして歌おうよ。えーと……私はこのパート歌うからルナはこのパート歌って……」


 聡子が歌詞を見ながらパートを振り分ける。もともと四人用にパート分けされていた曲を無理矢理三人で歌うため、一人分のパートを三人で按分する形にはなったが、それでも二人で歌うよりはかなり原曲に近いパート分けになった。


 イントロが流れ始め、まずは麻美が歌うパートだ。このパートは女性曲としては比較的低い音階にあるが、普段から男性アイドルものを歌っている麻美にしてみればさして難しくもなさそうだ。むしろ彼女は低音域の方が安定しているように感じた。

 続いて聡子がBメロを歌う。原曲では強くはっきりしたトーンで歌われているパートのため、聡子の声質が適正だろう。パート分けを担ったのは聡子だが、彼女自身にもまたその自覚はあるのだ。こうして見ると適材適所と言えなくもない。だが、それなら私は……?

 間もなくして私が任されたサビのパートに入った。女性曲としても比較的高い音階にあたるが、これまで歌った感じを見て適材と判断されたのか、二人から見てゲストのような気の遣われ方をしているのかはわからない。私がサビを歌い終え一番が終わると、何がおかしかったのかはわからないが、二人と目があった瞬間に自然に笑い声が溢れた。

 二番に入り再び麻美のパートが始まる。二番の2コーラス目はハモりが強調されるパートとなっているが、私は半ば無意識的に普段聴いている音を再現するようにコーラスを入れる。歌いながら少し驚いたような麻美の顔を見て、余計なことをしたと思ったが、麻美はそのまま続けてとアイコンタクトしてきたため、お言葉ならぬお目配せに甘えてそのまま続ける。麻美の声とそれより三度ほど高い自分の声が混ざり合い和音を奏でる。即興にしては思った以上のクオリティだったことで三人のテンションも半音上がったように感じる。それに便乗するように今度は私がサビを歌う裏で聡子がコーラスを入れる。原曲では全てのサビに存在するコーラスだが、二番から彼女が参加したのは“コーラスを入れても良い流れ”だと判断したからだろう。視線の合った彼女の目は笑っているように見えた。所詮は歌に関しては素人の女子高生の──私に至っては女子高生ですらないが──お遊びのコーラスワークでしかないが、それでも今この瞬間確かに存在していた一体感。それは一人でカラオケをしている限りは絶対に感じ得なかったであろう体験だった。


「やばーい! ちょー楽しいんだけど!」


 曲の終わりと同時にはしゃぐように聡子が言う。


「ねぇねぇ、今のめっちゃ良くなかった!?」


 そう話す麻美も珍しく高揚した様子で、熱を冷ますように顔を手で扇ぐ。


 二人の反応を見るに、二人で歌うことはあってもこうやってコーラスと合わせることはなかったのだろう。当然、一人カラオケばかりしていた私もないのだが、目を合わせ声を重ねるあの数秒がどうしようもなく尊いものに感じた。

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