第13-2話 再会(中編)

 冬休み明け初日の授業が全て終わり、荷物をまとめていると携帯電話に通知が来ているのに気づいた。私は麻美からの連絡かと思い、すぐさま確認したが、そこにあったのは意外な人物の名前だった。


『この間はありがとう。ところで、今日用事があってニツ谷に来てるんだけど、これから時間あったりする? もし良かったらちょっと会って話したいんだけど』


 そのメッセージの送り主は聖夜の歌姫、日向紫帆だった。特に用事のない私は二つ返事で了承のメッセージを返す。あの日、パフォーマンスが終わってからお互いに『shabetter』の連絡先を交換していたのだが、正直なところ、もう会うことはないのではないかと、それぐらい住む世界の異なる人間だと思っていたため、彼女からそのようなメッセージが送られてくるとは想像だにしていなかった。本来は麻美と急遽会うことになったときのために忍ばせていた白中ルナ変身セットに着替えるため、いつもの書店へと向かった。


 二ツ谷駅西口、ロータリーやバス停を見下ろす位置にあるベンチで待ち合わせることになっていた。冬休み明け初日で部活が休みの学校が多いのか、いつもより高校生の姿を多く見かける気がした。間もなくして私を呼ぶ声が聞こえてきた。


「ルナ、久しぶり! 急に呼び出してごめん」


 声の方を見ると、小走りでこちらに向かってくる紫帆が見えた。私は彼女の姿を見て大きな違和感を覚えた。彼女も今日は学校だったのだろう。だが、制服で駆けつけた彼女の姿は、あの日の私の認識を180度覆すこととなった。


「え……、紫帆……? その制服……」


 そこには学ランに身を包んだ紫帆の姿があった。


「ん……? ああそうそう、キミに言ってなかったっけ、僕は飯川高校の生徒なんだ」


「いや、そうじゃなくて! なんで学ラン着てるのさ?」


「なんでって……、これが飯川高校の男子生徒の指定制服なんだから仕方ないだろう?」


 最初、理解が追いつかなかった。私が白状したときの聡子もこんな感じだったのだろうか。俄に信じがたいが、日向紫帆は飯川高校に通う男子生徒だったということか。私の反応にさすがに紫帆も私の言いたいことを察したようだった。


「あぁ……つまり僕のことを男性だと思っていなかったってことか。まあ、ああいう格好してる僕に原因があるのは理解してる。ましてやあのときは女性シンガーの歌を歌おうって持ちかけたわけだしね」


 紫帆はそのような反応をされるのは慣れているといった調子で続ける。


「だけど誤解しないでほしい。別にキミを騙そうとか謀ろうとかって気持ちは全くない。僕は僕が最高にカッコいいと思う格好をしているだけだから」


『僕は僕が最高にカッコいいと思う格好をしているだけ』、その言葉が私の頭の中にこだました。彼女、いや彼は誰の期待に応えるためでもなく、ただ純粋な自己表現としてファッションを確立しているのだ。女装している私となんとなく同じ立ち位置にカテゴライズしそうになるが、その思想はまるで違う。亮介に見栄を張るため、聡子や麻美との交友関係を維持するため、最初に会ったのがその格好だったから。私の場合はどれもこれも主体性がなく、その理由をいつも他人に見出している。そういう他人本位な理由抜きで白中ルナの格好をしていたいのかと問われたとしたら、その答えはわからない。だが、紫帆が完全に自身の自由意志で自身の在り方をデザインしていることが私の目にはとても輝いて見えた。


『騙そうとか謀ろうとかって気持ちは全くない』。そして、紫帆が放ったもう一つのフレーズが胸に突き刺さる。見栄、自己保身、結局私は自分のために嘘をつき続けた。そして、それが破綻して一人の友達を失ってしまった。白中ルナとして接している以上、紫帆にも同じように嘘をつき続けることになってしまう。あんな悲しい思いはもうたくさんだ。


「紫帆、一つ先に言っておきたいことがあるんだ。実は……私もなんだ」


 刹那、口を開けて固まる紫帆。


「いやいや、僕に合わせてそんなわかりづらい冗談を……え? ほ、本当に? 揶揄ってるわけじゃないよね?」


 いつも余裕のある紫帆が困惑している。


「うん、順を追って全て話すよ。まず……」


 そして私は説明を始めた。亮介たちを欺くために白中ルナという存在を作り上げたこと。その姿でクラスメイトとその友達に邂逅し、いつの間にか彼女らと交友を持つようになったこと。そして、その関係性を維持するために嘘をつき続けたことを。


「……それで、どこにも居場所のなくなったキミは、あのクリスマスの日、三代駅前に一人でいたというわけか」


「そう……、でもその後で友達の一人が白中ルナの通っていることになっている学校の情報を人づてに耳にしたことで私の嘘が破綻したんだ。隠し通すことにも限界を感じ全てを話した、ちょうど今みたいにね。もちろん彼女は激昂して絶交されたよ……それだけのことをしたんだ、当たり前だ。だから、もうこのことで嘘を重ねたくはなくて……少なくとも友達には……ね」


 紫帆は口元に手を当て耳を傾けている。そして、暫く考え込んだのちに口を開く。


「なるほど……それで律儀にカミングアウトしたと。あはは、そんなに気にしなくてもいいのに。たしかにキミが女性ではないと聞いたときは驚いたけど、だからといってキミに対する態度が変わったりはしないさ」


 なんとなくだが、紫帆ならそう言う気がした。いや、それも早い段階で言えたからかもしれないが。紫帆はさらに続ける。


「僕たちは他人と関わる以上、少なからず自分を飾る。他人にこう思われたい、あるいはこう思われたくないという動機からね。その延長で、例えば芸能人のようにその“他人”の母数が多くなると、その修飾はより強固になりキャラクターとして昇華される。まあ芸能人の場合はビジネスだけど、金銭が絡まなくたって、例えば趣味でやっている動画配信者なんかだって同じことさ。僕は“白中ルナ”として生きている人間に出会った、ただそれだけのこと。それが本名だろうが芸名や源氏名だろうがキミの本質にはさして影響はない。うまくなかったとすれば、単に嘘を吐いていたということそのものよりも、その聡子という女性がキミのどちらの姿のことも知っていて、かつそれぞれが別人として彼女に相対していたことが拗れて、彼女の中で許せないことがあったんだろう」


 そういえば、麻美も前に似たようなことを言っていたような気がする。


 それにしても、お互いがお互いの性別を勘違いしたまま、共にステージ立って大衆の前でパフォーマンスし、あまつさえ本日まで気がつかないとは全く可笑しな話だ。


「ところで、紫帆の話ってなに?」


「ああ、そうだった。立ち話もなんだしあっちの『スタクロ』にでも入ろう」


 紫帆は駅に直結したカフェチェーン店『スタークロノス中央口店』の方を指さして言った。



 私も紫帆も、期間限定メニューである、砕いたナッツとアーモンドミルクからなるラテの一番小さなサイズを注文し席に着く。


「これを見てほしい」


 そう言って紫帆はカバンから取り出したタブレットをこちらへ向ける。そこに映っていたのは『Theytube』にアップロードされたテレビ番組の切り抜き、あの、クリスマスイベントの様子であった。


「あれ!? これこの間の……! え、テレビで放送されたの? ……うわっ、私映ってるじゃん!」


 習慣というのは不思議なもので、既に女性ではないとカミングアウトした相手であるにも拘わらず、この格好をしていると口調が白中ルナのものになってしまう。


「そりゃあテレビ局がスポンサーだもの、放送くらいするだろうさ。ローカル局ではあるけどネットに上げられたら拡散もされる。ほら、投稿されたコメントを見て」


 紫帆が画面表示を切り替えて、動画につけられたコメント欄が大きく表示される。


「えーと……『Violet strawberryキタコレ!』『Violet strawberryすこ』、へぇ……こんなに名が知られてるんだね」


 紫帆には失礼な話だが、ここまで知名度の高いグループだとは思っていなかったため、彼らにとっては非常事態だったとはいえ、私は二つ返事で出演したことに畏れ多さを感じざるを得なかった。


「違うよ、見てほしいのはもうちょっと後の方」


 案の定、私が紫帆の隣に立ったあたりで『誰?』というコメントがいくつか見受けられた。私はなんだかいたたまれなくなって薄目で画面を見る。だが、最初のトークが終わり、歌が始まるあたりでコメントの内容がまた変わってきた。『右側のギャルみたいなコ名前知らんけどかわいい』『この人初めて見たけど声キレイだ』『歌上手くて草』、そこに書かれていたのは私に対して好意的と捉えられる書き込みだった。巨大匿名掲示板などでネットユーザの辛辣さを知っている私は、そのコメントが菩薩のように思えた。続けて紫帆が携帯電話の画面を見せる。


「見てよこれ、僕の『Shabetter』のアカウントのDM欄。この放送の後……いや、ネットにアップされてからかな? キミに関する質問でいっぱいだ」


「『あのギャルっぽい人は新しいメンバーですか?』『クリスマスイベントで一緒に歌ってた方かわいいですね、どちら様ですか?』『またルナちゃんとは出演しないんですか?』……なんで名前まで……ってそっか、冒頭のトークで言ったんだっけ」


 最近地味にフォロワーが増えていたと思ったが、紫帆のフォロワーから私を見つけ出したのだろうか。紫帆のタブレットと携帯電話を交互に見ている私に紫帆が改まって言う。


「さて、こんなに反響があったのにこの先なにもなしなんて勿体無いと思わない?」


 紫帆が一枚のチラシを取り出してこちらに見せる。このやり取りには既視感があった。そのチラシには派手なフォントで大きく『アニソングランプリ in 楢崎』と書かれている。要はこのイベントに出演しないかということだろう。楢崎というのは二ツ谷区南部にある地域である。マンガやアニメなどのサブカルチャーの振興に注力しているらしいことはなんとなく耳にしていたが、このような催しがあったのか。


「そのチラシは以前開催されたときのものだけどね。毎年同じ時期にやってるようだし、今年もまた開催されるだろう」


 ふと、先日の三代市のイベントでステージに立った際の高揚感が頭を過る。あの胸の高鳴りをもう一度体験できる、それも今度は自分の趣味嗜好に特化した形のイベントとして。

 私の目の色が変わったのに気がついたのか、紫帆はクスクスと笑って言う。


「なんとなくぼかしていたけどキミ、アニメオタクだろう? 隠してもダメだよ、全く興味のない人間がなんの準備もなくあの歌をあそこまで歌えるわけがない。今日僕が言いたかったのはね、こういったイベントがあるのなら是非キミに出演してほしいと思ったんだ」

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