第11-2話 懺悔(中編)
麻美にメッセージを送って一時間。私の携帯電話は音沙汰がない。そんなものだろう、私だって親戚付き合いで今やっと時間が取れたのだ。親族以外に友達付き合いも多いであろう麻美ならそれくらいは想定の範囲内だ。そう自分に言い聞かせてみたものの、やはり気になって仕方がない。あの二人と遊ぶようになる前まではめったに他人から連絡が来ることのなかった私にとって、携帯電話が僅か一時間沈黙を決め込むことなどあまりに日常的なことだというのに。
私が悶々としているのを他所にゲームに没頭していた杏は、不意に縮めた足を伸ばした反動でソファから立ち上がって言った。
「そーだ! アニキ、初売り行こうよ!」
杏が私に買い物を誘うのは珍しいことだった。思春期真っ盛りの杏は外で私と一緒にいるのを嫌がる。その感情は私も中学生の頃に経験しているためよくわかる。
「どういう風の吹き回しだよ、お前からそんなこと言い出すなんて……」
杏はにんまりとした笑みを浮かべて言う。
「だからさ、さっきのあの格好して買い物行こうよ、お姉ちゃん?」
「はぁ? イヤだよ。なんでそんな……」
「お願い! ほら『Cyan』みたいなギャル系の店、私一人だと入りづらいからさ」
その入りづらい店に私は一人普通に男の格好で入ったんだぞとはなんの自慢にもならないため言わないでおいた。
そんなことを話している声が聞こえたのか、キッチンで祖母と洗い物をしていた母が、リビングとの境にある暖簾から顔だけをこちらに出して声を掛けてきた。
「あら、初売り行くの? それじゃあちょっと、夕飯の材料足りないのがあるから買ってきてくれない? お釣りはお駄賃でいいから」
「やりぃ! ってことで行こ! お・ね・え・ちゃん?」
「おい……俺はまだ行くとは……! っていうかそのお姉ちゃん呼びやめろ」
「えー、いいじゃん! それに私だってギャルファッションしたいの! アニキばっかズルい!」
なにがズルいのかよくわからないが、こうなると首を縦に振るまでなにを言っても無駄だということを幼い頃からの経験則で身に染みてわかっている。別に頑として跳ね除けても良いのだが、せっかくの正月をわざわざ険悪な雰囲気にするのも憚られるし、理由はどうあれ珍しい杏からの誘いを無下に断るのも、兄としてどうかと思うところもあったため、渋々受け入れることにした。
母方の祖父母の家は二ツ谷区にあるため、『リッジモール』をはじめとした商業施設へのアクセスは河澄の実家よりもずっと良いのだが、同時に聡子や麻美の生活圏でもあるため、万が一に備えて白中ルナ変身セットは持ち歩いてはいた。それがまさかこんな形で日の目を見ることになろうとは。
「はえー、すっご……! メイクとウィッグと服でこんな変わるんだ」
杏が白中ルナと化した私を興味津々に観察する。
「あんまりジロジロ見るなよ。それよりいいな? 私は親戚のお姉さんという程にしとくんだぞ」
「ぶっは! その声マジ誰? なにその謎スキル! てかそれなら結局お姉ちゃん呼びでいいじゃん」
「ウチでそう呼ぶなってことだよ。それじゃ、母さんとかジジババに見られたくないし先に出てるからね。コンビニのところのバス停で待ってるから」
私はそう言い残してこっそりと祖父母邸を後にした。
初売りだけあって、県内でも有数の大型商業施設である『リッジモール』は人でごった返していた。学校帰りに気軽に立ち寄れる私と違い、たまにしか来ることのできない杏にとってはこの人混みさえも新鮮なようで、足取り軽やかに私を引っ張りまわす。例年であれば、初売りに杏を連れて行くのは親の役割だったはずだが、今年は杏があんなことを言い出したのを良いことにその役割を押し付けられたような気がする。
「いらっしゃいませ! ただいま初売りセール中でーす!」
早速目当ての『Cyan』に入店する。正直、この店の服は中学生には着こなしづらいような気がする。高校生が着るにしたって少し大人びてると思うし、ある程度身長がないと合わせづらいとは思うが、折角ご機嫌で商品を物色しているので、無粋な口出しはしないことにした。
「ねぇア……お姉ちゃん! これ超かわいくない?」
杏が一枚のワンピースを持って駆け寄る。肩がざっくりと開いた攻めたデザインをしている。たしかにかわいいとは思うが……。
「そちらかわいいですよね。今年の新作モデルになってまして、大変人気のため品薄状態なんですよ」
やはりというか、杏の大きな声を聞きつけた店員がすかさず近寄って来た。その摺り足の洗練されたること、豪の者たらんやといったところか。私は杏が店員に丸め込まれて買わされてしまわないように布石を打つ。
「お前これどうやって着るんだよ。お前の身長じゃ引きずっちゃうだろ」
私は杏の身体にワンピースを当てがって見せる。
「私じゃなくて、お姉ちゃんが着るんだよ」
惚けた表情で杏が言う。なんでこいつは私の服を選んでるんだ。自分がギャルファッションをしたいから来たんじゃないのか。
「お姉さま、お似合いだと思いますよ! そちらに試着室ございますので試着してみてはいかがですか?」
しまった。これ好機とばかりに店員が試着を勧める。正直、彼女も杏が着るには大きいし、デザインとして大人びすぎていると感じていたのかもしれない。
だが、もし試着してサイズが合ってしまったら購入を見送るハードルが一段上がってしまう。やんわりと断ろうとした矢先、私の思惑を杏はいとも容易く打ち砕く。
「え、見たい! お姉ちゃん着てみて!」
こいつは本当に、着せ替えゲームでもやっている感覚なのだろうか。その場の雰囲気に流されるままに試着室へ案内される。カーテンが閉まるや否やまずは急いで値札を確認した。
新作でさらにワンピースということもあってなかなかに値段が張る。12月の出費が大きかったため、今月は倹約したいところなのだが。というか、白中ルナの正体があの二人にバレてしまった以上、服を買い足す必要などもうないようにも思える。そんなことを考えていると、試着室の外から杏と店員の話し声が聞こえる。
「本日はお二人でお買い物ですか? 失礼ですがお二人は姉妹ですか?」
「ううん、親戚のお姉ちゃんです! 正月だからこっちに遊びに来てるの!」
「それでお二人でお出かけ……と、ふふ、仲が良くていいですね。お姉さんは普段どちらにいるんですか?」
「ん? あ、えーと……どこって言ってたっけなぁ……」
嘘をつくのが下手なんだからノリノリで受け答えしなければ良いのに。早く着替えないと杏が要らぬボロを出しそうだ。私はワンピースに頭を通した際に乱れた髪の毛を手櫛で整えてカーテンを開けた。
「あ、いい感じじゃーん。ねぇねぇ、そういうのは着ないの?」
「わぁ……とてもお似合いです。本当にモデルさんみたい!」
適当にサイズ感が合わなくて微妙だとでも言おうと思っていたが、なかなかどうして私の身体にジャストフィットしていた。というか、私にとってジャストサイズということは大抵の女性の体型には合わないのではなかろうか。本当に品薄状態になるほど売れているのだろうか。
私はひと通り杏へのお披露目が済んだ後、ワンピースを脱ぐため再び試着室のカーテンを閉める。するとまた、杏が誰かと会話している声が聞こえてきた。今度は店員ではない誰かと話しており、試着室の前から離れているのか、先程よりも遠くの方から聞こえてくる。着替えを終えてカーテンを開けてみるとやはりそこに杏の姿はなかった。
「お疲れ様でした。あの、お連れさまでしたらあちらの方に……」
どこか困惑気味な表情を浮かべる店員が指し示す方を見ると、店の外で誰かと会話している杏を見つけた。危ないから勝手に動き回るんじゃないと思う反面、どさくさに紛れてワンピースを購入するのを有耶無耶にできると思った私は保護者面をしてテナントの外へ出る。
杏が話していたのは、杏の同級生である多田伊織だった。彼女もまた、初売りにつられて家族で買い物に来ているのだろうか。伊織はややお嬢様気質であり、杏とは小学生の頃からの知り合いで、何度か家に遊びにきたこともある。友達といえば友達なのかもしれないが会うたびに喧嘩している印象があり、どちらかというと犬猿の仲というべきだろう。
「はっ、だから言ってるじゃない。あなたみたいなちんちくりんがこのような服、着こなせるわけないでしょう?」
「はぁ? 私はまだ成長期きてないだけだし! なんなら私の方がBMI低いんですけど〜」
小学生の頃から度々目にしてきた光景だ。口喧嘩の内容がごっこ遊びからファッションに関することに変遷しているが本質的にはなにも変わっていない。しかし、私が試着室に入ってものの数十秒の間によくも喧嘩にまで発展できるものだ。さすがに公然と罵り合いを続けられても困るので、二人を制しに入る。
「おーい、こんなところでまでなにやってんだ」
「アニ……お姉ちゃん! 聞いてよこいつがさ……!」
「お姉ちゃん? あなたに姉なんて……」
伊織が私の方を見て押し黙った。なにを感じ取ったのかはわからないが、この隙に会話の主導権を握ってしまおう。
「ああ、私は杏の親戚の白中ルナって言うの。あなたは杏のお友達? 杏と仲良くしてくれてありがとうね」
なにかを言いたそうにしているが上手く言葉にならないという表情をする伊織。人は先手を売って感謝をされるとその感謝された内容を実行しようとするという。『いつも綺麗にお使いいただきありがとうございます』と書いてあるトイレの貼り紙理論だ。私はすかさず杏の方を向いて声をかける。
「ほら杏、もう行くよ!」
杏の手を引っ張り『Cyan』の前を離れる。特に目的とする店があるわけではないが、この二人の距離を引き離すのが最優先だ。
最寄りのエスカレーターを昇り、近くにあった雑貨屋に入る。
「お前なぁ……こんなところでまで喧嘩おっ始めんなよ」
「はーい、ごめんなさい」
杏の反応が妙に素直だ。いつもであれば、私が小言を言おうものなら『でもでもだって』の応酬が始まるはずだ。それに勢いで押し切ったとはいえ、杏の手を引いたときも素直に引き下がるとは思わなかった。捨て台詞の一つでも吐いてくるかと思ったのに。
「……なんだよ、やけにものわかりがいいじゃん」
「ぷくく……だってさ、見たでしょ? お姉ちゃん見たときの伊織のあの顔……!」
伊織がなんとも言えない表情をしていたのは覚えているが、それでなぜ杏の気が晴れているのかはよくわからない。ただ、今日一つわかったのは、私が白中ルナの格好をしていると杏の反応が素直になりがちということだ。そうであるのなら、たまには我が家に“親戚のお姉ちゃん”が登場するのも悪くないのかもしれない。
「あ、思い出した! そう言えば、“白中ルナ”ってどこかで聞いたことあるなって思ったら、アニキが小学生の頃考えたオリキャラじゃないっけ? 自分でその名前名乗ってんの超ウケるんだけど。ね、ルナお姉ちゃん?」
数学の解法は全く覚えないくせに、どうでも良いことだけはしっかりと覚えている。この名前を聞いて由来がわかるのは杏くらいのものだろう。
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