スキル・初使用

 スーツは夜中の森林を全力疾走するのに向かない、ということが嫌というほど分かった。阿部魁が完全に運動不足であるということも。ネクタイを緩め、息をつく。一呼吸、深く吸い込んで深く吐いた後で、そもそもネクタイなど邪魔でしかないという結論に至り、何のために存在しているのか不明な装飾を森に捨てた。

「大丈夫ですか、ご主人様」

 ここまで引っ張ってきたのは、魁の近眼よりも余程高性能なアイセンサーを持つハルだった。彼女がいなければ間違いなく遭難していた。地軸もはっきりと感じ取れるそうで、ざっくり南西に向かっている。

 当然だが、ここは日本ではない。かなり高緯度らしいが、極東ロシアなのかカナダなのかスカンジナビア半島なのか、ほとんど全てが不明の土地だ。北の国らしく、立ち止まると寒さが身に染みる。

「この場に野宿とかできそうにないな。凍死しかねない。人の住んでいる場所まで歩き続けるしかないか」

 幸いにして起き抜けだ。水分さえあれば、次の日没くらいまでは歩けるだろう。

「お召し物が濡れているのでしたら、私の服をお使いください。私は全裸でも一向に構いませんので」

 ハルは『凍死』の一言に反応して、手早くメイド服を脱ごうとする。

「やめてくれ、追剥に間違えられそうだ」

 仮にここの住人がアンドロイドの概念を知らない場合、裸の女の子を連れまわす不埒者にしか見えない。

「大体ハルのメイド服じゃ俺には小さすぎるだろう」

「引き伸ばします。無理やりにでも」

 真顔で無茶を言う。ビリビリに破れたメイド服で真夜中の森を闊歩する変態を想像し、気分が悪くなった。

「仮にそれが成功したところで、お前が全裸になる必要ないだろ。俺のスーツを着ればいいんだから」

 ハルの思考ルーチンには想定外の解決策だったようで、一瞬フリーズする。

「ご主人様の汗まみれスーツを……私が……? な、なんですかそのご褒美は! 是非に交換いたしましょう! 凍死なさる前にお脱ぎになってくださいな!」

 物凄い勢いでシャツのボタンを外されそうになった。慌ててハルを押しのける。不謹慎かもしれないが、やはりハルはこの位のテンションでないとしっくりこない。

 無駄な体力を使い、魁はその場に寝転んだ。

「と、なんだこりゃ」

 気が付くと、左手で固くて薄い何かを握っている。家電制御用のタブレットだった。テレビのチャンネルを回したり、エアコンの設定温度を変えたり、あるいは家事用ロボットのモニタリングに使うもの。自宅からここまで無意識に持ってきてしまったのか。

「ネットに繋がってる訳は無いよな」

 コマンドプロンプトのような黒い画面には、ただ一言『FACTORY』と書いてあるのみだった。

「『工場』がどうしたっていうんだ」

「持ってって修理してくれという意味ではございませんか?」

「ああ、そんなものが見つかればそうしたいな」

 タブレットを膝の上に置き、ポケットを探ってみる。良くアイロン掛けされたハンカチにポケットティッシュ。携帯端末やPCを入れた鞄は置いてきてしまっていた。

「食い物なんか無いよな」

 弁当箱は戦場に放り投げてきた。役に立つような物など、ハルを除いて一切無い。

「ああ、申し訳ございません。私の気がもう少し利いていれば、ポケットに飴玉など忍ばせて送り出せていたのですが」

「子供を初めてのお使いにやるお母さんかよ……」

 そんな気遣いは無用だった。少なくとも、日本での日常ならば。

「で、ハルの方は何か持っていないのか?」

 無駄な質問だろう。持っていれば、とっくの昔に魁まで差し出している。

「私の方には……交換式ジョイナスユニットしかございません」

 ハルがポケットから取り出したのは、柔らかいシリコンゴムの塊だった。一部のパーツ用の消耗品だ。たまにお世話になるパーツの。

「……普段からそんなもの持ち歩いてんの?」

「きゃっ」

 頬に手を当てながらも、三つもの交換用ユニットをスカートの上に並べた。

「ちなみに向かいまして左から『数の子天井』『キツキツフレッシュ』『ミミズ千匹三段俵締め』でございます。お召し上がりの際は温めてからどうぞ」

「召し上がる体力があったらな……」

 アンドロイドというものは主人によって個性が出るものだが、もしかするとハルはかなり変な個体なのかもしれない。今まで比較対象が無いためスルーしてきたが。

「ところでご主人様。差し出がましいようですが、一言よろしいでしょうか」

 ジョイナスユニットをスカートのポケットや懐にしまいなおしていたハルが切り出す。

「なんだ?」

「先ほど、あのソレントなる者と相対した件でございます。私を盾にしてでもお逃げにならなかったのは、大変失礼ですが誤断と言わざるを得ません」

 運良く指揮官を狙った怪物側の狙撃が入らなければ、魁はハルもろとも死んでいた。あるいは矢が刺さっていたのは魁の方だったかもしれない。

「気が動転してて判断が遅れたのは確かだよ。でも逃げ切れたんだから結果オーライじゃないか」

 ハルが顔をしかめる。彼女がここまで魁に反抗するのは今までに一度もないことだった。『人命最優先』のプログラムがそうさせるのか。

「今後同様の事態に陥った場合、私を盾にすると――いえ、盾になれとおっしゃってください」

「それは……」

 主人からの命令ならば、彼女は決して逆らえない。絶対順守の命令を下し、いざとなれば躊躇無く行動できるようにしろと言っているのだ。

「嫌だね。主人に命令を強要するロボットがあるか!」

「ご主人様!」

 理屈が合わない。娘のように船を溺愛する漁師でも、沈没しかかればそれを捨てるだろう。たかが物を盾にして、人間様が生き延びることは当然といえば当然だ。しかし、機械に命じることを命じられるというのは理屈がおかしい。魁は断固拒否する所存だった。

「話は終わりだ。さっさと人を見つけるぞ。武器を持っていない人間に限るけど」

 腰を上げ、なだらかな斜面に向かって歩き出そうとする。だが、遠くから聞こえてきた異音に身体が強張り、それ以上進めなくなってしまった。犬のような鳴き声だった。

「狼でも住んでいるのか、この森は」

 冷や汗を垂らす魁の眼前、地面が爆ぜた。針葉樹の枯れ枝が舞い上がり、夜気が土臭さに攪拌される。

「うわっ!」

「――っ!」

 ハルが無言で前に立った。先ほどの意趣返しだろう。主人の命を仰ぐこともなく、自ら壁になる。

 魁たちの前に現れたのは狼の顎、そして二本足で立つ人の身。いわゆる狼男だった。砂浜で船から攻め込んできた怪物の仲間だ。

「あー、俺の名は人狼ワーウルフのコレヒドールだ。えーと、なんだったっけなあ。満月の夜は頭が碌に回りゃしねえ。あー、そうだ、センソウだ。戦争しに腐れポンコツのボロ船でカストリアまで来たんだった。で、なんで俺森にいるんだ? 臭いがポルシアの森じゃねえから、帰ってきたわけじゃねえんだろ?」

 コレヒドールと名乗った人狼は、灰色の毛並みの頭をぼりぼりと掻きながら、わけの分からない質問を浴びせた。なぜ彼がこの森にいるのか、こちらが訊きたいことだった。

「知らないよ。鳥でも食いに来たんじゃないのか?」

 ハルの背越しに魁が答えると、人狼は大げさな動作でこちらを指さした。

「あー、そうだ。ニンゲンだニンゲン。人間どもの壁を乗り越えて――で、そのまま真っすぐ臭いを追っかけてきたらここまで来ちまったんだ。で、なんでお前ら二人だけなんだ? 他の鎧とか着た連中はどうしたよ」

 どうやらコレヒドールは、敵陣に攻め込んだまま我を失い、陣を素通りして森まで突っ込んできてしまったようだ。その指先から、二十センチはある長い爪を伸ばす。過程がどうあれ、彼は人類の敵で、怪物だ。

「どうでもいいな。さ、戦争だ戦争。戦争をしようぜ! 『地にまします我らが主よ、名誉ある敵と日々の糧に感謝します』ってな。ガキの頃から礼拝通わされて、聖句なんざこれしか覚えてねえんだけどよ」

 コレヒドールは爪を空手のように構え、肉食獣が獲物を狩る時と同様に身を低くする。危害を加える気満々だ。下手をしなくても、殺す気である。

 恐ろしい狼男の前からハルは微動だにしない。単に恐怖で足がすくんでいる魁と違い、彼女は目の前の敵に立ち向かっているのだ。全て、阿部魁を守るために。

「ええい、ごちゃごちゃとやかましいですね! これでも見てビビりやがれです!」

 ハルは自らの首に手をかけ、思い切り持ち上げた。首から上のロックが外れ、滑らかに繋がっていたシリコンが綺麗に分かたれる。彼女なりの威嚇だった。これで恐れて逃げてくれれば万々歳というところだろう。

「おおっ、首が外れちゃった!? ――ってお前自動人形オートマータかよ。じゃ、味方か? そっちはただの人間――にしちゃ加護の臭いが魔族みてえに弱いな。新型魔族の加護が弱い人間族かよ」

『カストリア』『ポルシア』『魔族』『加護』……彼の言っていることの大半は意味不明だ。それでも、何か勘違いしてくれているというのは理解できる。もしかすると、このまま見逃してもらえるかもしれない。

「そうだ。我、加護が弱い人間族のカイなり。偵察を任じられている。貴様は疾く引き返し、戦列に復帰するべし」

 オークのアレウスを例に取り、怪物独特の時代がかった口調で慣れない嘘を並べた。

「いや自動人形の方はともかく、やっぱお前はねーわ。人間だ。殺すぜ?」

 しかし、肝心なところで相手が知性を取り戻してしまった。

「どうして人間だからって殺すんだ? 憎んでいるのか?」

 魁の抗議にコレヒドールは鼻息だけで笑う。

「憎んじゃいねえよ。今更何言ってんだ? 俺たちの戦争は神が認めた文化だぜ。食い物が欲しけりゃ、畑が欲しけりゃ、町が欲しけりゃ、戦争して奪い合うのは当然だ。特に魔族と人間はよーく戦争すべしとお互いの神様が言ったんだ。あんたも礼拝覚えてねえ人間かよ」

 人狼はつむじ風のように回転し、凶悪な爪を振るう。一抱えほどの木があっさりと切り倒され、枝葉の折れる音が響いた。

「物理法則おかしいだろ。明らかに木の方が爪より太いぞ」

「テックも知らない人間かよ。まるで赤ちゃん人間だな」

 技能の次は技術テックときた。人狼の全身に黒い模様が現れ、禍々しさに拍車をかける。

「ご主人様には指一本触らせません」

「自動人形が人間を庇うってな初めて見たぜ。スキルかなんかか?」

 二人が重なったところで、相手は物理法則も無視するような怪物だ。一遍に斬られて終わるに違いない。想像するのは、狼男の爪で胴体ごと両断される魁とハル。魁は、そのことに対し無性に腹が立った。

「準備はいいか? 駄目っぽいな? 行くぜ!」

 人狼が地面を蹴る。その一瞬で、魁はハルにタックル。押し倒した。

「ご主人様!?」

 爪が頬を掠め、口端を二センチ程度割る。なぜこんなことをしたのか、自分でも分からない。ハルは道具だ。家事労働で過労死を防いでいてくれたことは感謝しているが、運命の恋人でも、身命を賭して守るべき主君でもない。だが、不思議と後悔は無い。

「しばらくタコ焼きは食べられないな」

 切れた口で呟き、背中から倒れる。柔らかい土の上とはいえ、受け身など知らない魁の肺から一気に空気が出た。

「――は!」

 咳き込み、見上げるのは人狼のコレヒドールだ。並んだ牙と唾液が光る。

「躱されるとは思わなかったぜ、弱々人間。驚いた。すごい! だが、もう逃げられねえなあ」

 勝ち誇った敵が再びそのしなやかな獣脚で地面を蹴った。次こそは魁を確実に捉える。

 思えば、この狂った土地に来てから災難続きだ。原始人のごとき野蛮な戦争に巻き込まれたかと思えば、同じ人間から無理矢理戦闘に駆り出されそうになり、挙句狼男に殺されかかっている。それもこれで終わり。本当にそれでいいのだろうか。

「いい訳あるか!」

 巻き添えを避けるためにハルを抱く。想像するのは怪物を殺す武器。手本は見た。オークの巨躯を貫いた、数多の槍。あれが欲しい。是非欲しい。ならばどうする。

「エンジニアを舐めるなよ!」

 作ればいい。

 地面から生えた無数の槍が、疾走の勢いと体重の乗った人狼の身を貫く。

「あ? ああ!?」

 驚愕に、人狼の瞳孔が細まった。これから死ぬのだ。驚いて当然だ。それが当然なのだ。

「人の顔見りゃすぐ死ね殺す。いい加減にしろよ、お前ら」

 土を構成する二酸化ケイ素の変形した槍は、鉄と木で作られたものに比べるとしなやかさに欠ける。しかし、圧倒的な数により怪物の膂力を留めるのに十分だった。

 落ちていたタブレットの画面が切り替わる。『FACTORY』から『SPEAR』に。

 自分でも何をしたのかは分からない。しかし、とにかく危機は脱した。敵を殺し、死地から抜け出した。

 コレヒドールが動かなくなったのを確認し、タブレットを回収。ハルの手を掴んで歩き出す。彼女は魁の手を振りほどき、メイド服のエプロンを外して彼の口に巻いた。

「あ、へはひてたのか(あ、怪我してたのか)」

 過剰に分泌されたアドレナリンの影響か、痛みすら感じなかった。

 ハルは布の端をきつく縛ると、主人の身体に抱き付き、叫んだ。

「あー! あー! ご主人様格好良い! あー! 超格好良い! 最高です! 語彙力雑魚になっちゃいますう! もう一度やってください、今の! もう一度、『いい訳あるか!』のあたりからキメ顔でどうぞ!」

「にほほやははいお!(二度とやらないよ!)」

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